カストリアディス-ラスト・タンゴ・イン・パリ

民族問題、とは何でしょうか?
対岸で起きていることに対し、このひとことで納得し、
興味の範疇から消去する、という安易な思考回路を私たちはマス・メディアの
それに操られてきたようです。

先日の演奏会場は、ギリシャの哲学者、カストリアディスの自宅で行なわれました。
中途、トルコの伝統曲を演奏しました。
会場にいる人々はギリシャとトルコという”民族 »の狭間でどんな想いを抱き聴いて
いたのでしょうか。
民族とは、ある誇りを持ち、共存することなのでしょうか。
絆というやや軽々しい言葉の中にある、彼らの絆とは何なのでしょう。

コンスタンティノープルに生まれやがてギリシャの民となる者。
アテネに生まれやがてトルコの民となる者。
宗教を軸にしたこの背景で、それ以外の人々は、どこの民となるのだろう。

「具体的な歴史によって生成された個を超えた運命的構成体、
すなわち「民族(Volk)」
(明かしえぬ共同体:M.ブランショ:解説:西谷修:ちくま学芸文庫)

演奏しながら、個が、音楽のある空間で共同する瞬間を、少し見ました。
それは、”ウスクダラ”という伝統曲ではない曲を演奏した時。
ブルガリアの映画監督Adela Peevaの作品「この歌はだれのもの?」にあるように、
いつの時代も、どこでも、「民族」に頼らないみんなのもの、
であるこの曲は、だれのものでもない。

演奏後に振る舞われた、ぶどうの葉で米と肉を包んだドルマダキァは、
今日は特別レモンと卵のもったりしたソース付き。
ぶどうの葉の料理も、この地域にあるものとして、ある民族のものでは、ない。

帰り際Passy駅に向うに、このアパートが映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の
舞台であったと知った次第。
こうして、今日も地を歩き、演奏行脚の日々は続くのでした。

春寒に音の温さやだれのもの

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図書館のような家の一角にある、摩訶不思議な日本語の本たち。

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セーヌ河の目の前。
この日も寒く、だれかは外で聴いているのだろうか。

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雉キジを喰う-あまいものしょっぱいもの-

例えば晩秋に採った柿を干し、正月のなますへ加えるとする。
プラムと子羊で少しアーモンドも散し、タジンとする。
鴨との相性は紋切り型のオレンジのソースとする。
あまいものとしょっぱいものの組み合わせは、
雉の場合、スグリの実、とするそうだ。

ジビエの季節はやや過ぎてしまったが、
市場で見つけたという雉の料理を教えてもらった。
決してシンプルではないが、その調理過程が
食卓の皆の笑顔となるからには、やりがいのある半日仕事、となる。

1) 内臓を処理し、熟した(フザンタージュ(肉を熟成させること))雉
の腹の中にスパイスを塗る。
(クローブ、シナモン、ねずの実、パプリカ、塩、胡椒..etc)

2) ココットにバターを入れ、雉丸ごと表面に焼き色を付ける。
焼いた鍋に赤ワインをカップ1杯、ブイヨン300ccを入れる。
刻んだ人参、玉葱を入れ、約1時間煮こむ。

3) 肉を鍋から出し温かいオーブンで熱を保つ。
煮込んだ野菜を漉し、ソースにする。

4)小鍋に3)のソースを煮立て、スグリのジュレ(大さじ3)を
入れさらに煮立てる。

5)小麦粉大さじ5とバター大さじ3を常温で混ぜ合わせ、
4)のソースに少しずつ加える。
常に泡立て器でソースを立ち上げる様に混ぜる。

6)雉を切り分けお皿に盛り、ソースをかける。

鶏肉では味わえないジビエ独特のうまみが、スグリの実の合わさる、うまさ。
もちろんシンプルに塩で焼いただけがいい、という人物もテーブルにはいたり。
しかし雉の肉は塩で焼くだけではやや野性味が強い。
それもこれも、好みで。

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鴨同様、ジビエの鳥にも柑橘類が、合う。

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この時期どこをどう探しても生のスグリはないので、
ジュレになったものを。

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bourguignon同様、うまいソースを作るならばうまいワインを惜しみなく。
ということでソースに使った赤ワインは、
MédocのLa Cardonne2008年となる。

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レリスを求めて331km

昨年7月。レリスが求めたものを求めて、Metzへ向う。
彼が彼のすべてを、ものとして寄贈した先
ポンピドゥー美術館は今やMetzに分館を構え、
それは日本でいう新幹線側。
ロレーヌ地方を代表する街の裏に、建てられている。

ミッシェル・レリスを唯一インタビューという形で
ドキュメンタリー映画に姿を残したのは、
シュールレアリズムフィリップ・スーポーを語る、
というお題目のお陰。
Michel Leiris souvenirs Soupault
彼の晩年のサン・ルイ島の自宅。
映像の中で彼はいう「人は詩人である。」

レリスの残した表現という範囲での文章には、
おそらく彼が経験したアフリカのそれにおよばない。
あるいは言葉が経験を代弁するのか。

展覧会には、オブジェ、写真、記録…etc
アンドレ・シェフネルと砂漠の一帯でテントを組み立て座る写真。
美術評論をした作家たちの作品。
ダカール=ジブチ・アフリカ横断調査団の手記。
書簡。

観客は、わたしは、レリスの何をみたというのだろう。

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ポンピドゥー・センター・メッス入り口。入場者を迎えてくれるのは、
Céleste Boursier-Mougenot セレスト・ブルシエ=ムジュノ作
「clinamen v.2」陶器が水の上で出会う音と空間の世界は、圧巻。

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ドキュマン=レリスはジャズが好きだった。

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レヴィ=ストロースからの、手紙。

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展示室最後は、なんとクリス・マルケルの短編
「北京の日曜日 Dimanche à Pékin」で終わる….

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板子一枚下は地獄 新年祈りのかたち

虚無に満ちあふれるこの時勢。
何望むでもなく、しかしこの村の人々は、ただただ五穀豊穣を、
あるいは土地柄海上安全を祈りとし、
年の始め1月2日に海の神さんへ三番叟を捧げる。
何年も何百年も受け継がれし人形の、お面が入った重箱の中身を、
それを抱える爺さんに尋ねれば、
「知らぬほうがいいものよ」
とけたけた笑いながらの返答。

今日喰うものがあり、海穏やかな、しかしそれ以外に何もない、
豊かな生きる営みが、伊勢志摩は安乗という漁村にある。 

初舞や凪の応じて三番叟

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いざ海へ

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祝詞、玉串奉奠と続き

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父尉の舞

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鼓に笛の音も、空に舞ふ

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ムッシューサティ、いよいよ立候補でしょうか

時勢ざわざわする中、13日の地方選挙の直前、
エリック・サティを街で度々見かけました。
SFIOから第三インターナショナルを経由し、
いよいよムッシューも立ち上がったのか!?!?
生誕・没後関係なくムッシューサティの精神はこの世に漂い続けてもらいたいです。
それは、安易な自由ではない表現を知るということ。

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11区の区役所前には候補者のポスターの反対側にて

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アルクイユ市は諸手を挙げて駅前にて

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寄稿したユリイカ1月臨時増刊号は今日パリに到着
冊子詳細は→http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702992

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アポリネール / ヤナーチェク Apollinaire/Janáček

アポリネールの生涯を描いたドキュメンタリー映画の音楽を制作中。
音楽となるべく音の粒は今パリで舞いはじめている。
監督からの依頼はヤナーチェクにインスパイアされた音を、
Ky à la Janáček Kyヤナーチェク風といったところか。

ノートルダム寺院にもエッフェル塔にも、人はまばら、のパリで、
アポリネールの「見る詩」を街の壁に貼る、といった撮影の試み。
それは彼の作品思念に呼応するため。
ヤナーチェクの作品で圧倒的に魅力を覚えるのは
「草かげの小径にて-言葉なく-Sur un sentier broussailleux-Sans paroles-」
二人とも、第一次大戦を生きた人間で、
一人は戦後、一人は大戦の終焉と同時に亡くなる。

時勢の影響を常にうけながら、それでも人々は音楽を愛でていたと思う。
もしかしたらそれはある希望であり、ある治癒なのかもしれない。

彼ら同様第一次大戦を生き、その後レベティコの女王として生涯歌いきった
ローザ・エスケナージからの言葉を。

Je dois mon corps à la terre noire,
mon âme au messager des morts,
et à mon amour je dois ma vie présente.
- Róza Eskenázy (1890-1980)

黒き地に躰をあずけ伝へしは我が魂を死者に送りぬ
(訳:仲野麻紀)

———————————————-

冬の雨音は言葉に寄り添ひて

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サイクス・ピコ協定による国境 食べる生きる

そして、それでも日常生活は、続くのですね。
様々な戦渦で生きる人々は、毎日毎日唸る空爆のもとで、
女はじゃがいもや小麦粉を求め、子等は道に落ちているモノで遊び、
そして…男は…。
このような想像はどこからくるのでしょう。
四の五の言わず私たちは、今日も「食べる」ことによって生きている、
他者も同様に日常の延長として「生きている」
という事実からです。

犠牲者への悼みとは別の次元で、わたしたちに残され、課せられたことがある。
それは、考えるということ。
サイクス・ピコ協定から派生し今に至るそれを、考えることを、
日常にしたい。

招かれし神帰月人は逝く
神帰月(かみかえりづき)は11月の意味、冬の季語。

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一番のメトロ乗換駅であるシャトレ。そう、土曜日の夜に人はもう外出しない。

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しかしながら唯一残された日常として、音楽をします。
しかしここはもう公共の場ではなく、 »自己判断 »に委ねられた場所での録音。

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そしてモロッコから、こんにちは

日本での演奏を終え、フランス組、レバノン組それぞれの地へと帰り、
日本組は最終日公演東京根岸の下町から、西へ西へとモロッコは
エッサウィラへ、アシュラ祭りへ趣いた次第。
Good Bye Schlöndorff を各地で協力していただいた皆様、
来場いただいた皆様、ありがとうございました。

メディナの路地で児等が、タリージャという、
陶器と山羊の皮でできた太鼓を叩き、
モロッコ各地で使われる何万個というこの太鼓はこの日、割られる。
それは、土と皮でできた楽器の再生を次の年に残し、再びお母さんたちが作る、
楽器の運命。
来年も、そして今いるこの子ども達が大人になって、
また子ども達に与える様に、楽器を通して人の営みは続くのだ。

カスバゆく秋意を揺らす太鼓の音

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イスラム暦新年から10日目、モロッコのアシュラ祭では
子ども達がタリージャを叩く

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孤児院ではアイサワ(スーフィー教団)が奉仕演奏

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エッサウィラ、老夫婦が港に佇むという現実。
その横でHassan Hakmounが撮る映画という虚構。

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数ある中から鳴りのいいタリージャを選ぶ

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レバノンへ、さようなら

なぜ「グッドバイ・シュレンドルフ」=グッドバイなのですか?
計3回の講演後の質疑応答の中で、もっとも素朴な質問が印象に残る。

「なぜなら、シュレンドルフがベイルートで撮影していた間は、
内戦が停戦になっていたのです。
撮影クルーが街から去ってしまった同時に戦争は再開されました
=よって、この作品のタイトルは、 »さらば、シュレンドルフ »なのです。」

これが今回の公演での大きなメッセージだったとは…
山形国際ドキュメンタリー映画祭公演後の反応。
それは映画をつくる側からの多くの意見を得る事により、
なぜワエルがシュレンドルフのこの映画を使い、
過去に吹き込まれカセットテープと合わせて作品をつくったのか、
改めて理解できた次第。

國學院大学での講演の報告書にはこうあります。

「撮影の数百メートル先では本当の戦闘が行われている最中の撮影で、
当地のレバノン人が見れば映像の虚構が皮肉としか見えないとのことです。」

しかし、これこそがシュレンドルフ監督の、
各々の生きる役割を社会に反映させる方法なのです。

そう、映画のタイトルである「偽造者」とは

・映画の中の主人公 (ベイルートを取材するジャーナリスト)
・虚構の映画(しかし撮影場所はリアル)を創る映画監督
・当事者ではない、わたしたち

今宵一夜がベイルートになる空間へ、ようこそ!

10月13日(火)19:30 open 20:00 start
SuperDeluxe 東京都港区西麻布3丁目1-25
前売り3000円 当日3500円 (学生1000円)

1部:Good Bye schlondorff
2部:Ky [キィ]
なんと、20~30年代のアラブ音楽音源でワエルによるDJ!

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講演の様子

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山形国際ドキュメンタリー映画祭開演前のチェック。
開場は地べたに座る若者多々、満員御礼感謝。

難民を乗せる船間の天高し

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われら逆行族

えっ?
ハイレゾ音源配信、App Storeで買うのが今や常識でしょう!?

わしら逆行しております。
わしらはレバノンでカセットテープを作りました。
その中身はデジタルとアコースティックで織り成す音楽です。
80年代のベイルートの爆撃音、家で怯える人々の、声。
Kinectによる音が重なり、ウードが鳴く。

明日、ワエルはこのカセットを持って、レバノンを発ちます。

あっ、そういえばソニーはカセット簡易再生機の生産を昨年中止したような…?
ものは大事に使いましょうね。

あっ、限定100本です。

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レバノンの若手アーティスト

出自、そして選択の余地のない成長過程に必要な環境。
それは運命なのだろうか。
ならば彼らにとって環境である国とは何なのだろう?
それは、「家族」だという。
国家ではなく、祖国とは「家族」のことを指す、と
先日ディアスポラとしてアメリカで幼少期を過ごしたベーシストが語ってくれた。

この数年レバノン人アーティストとの関わりを軸に、
このレバノンという国の特異性を肌身で感じでいる。
アイデンティティーに言語を含むか含まないか、
それも環境によっての母国語のレベルはあるだろうが、
普通に3カ国語を操る彼らにとって、
国の存在、あるいはシーア派とスンニ派の許されぬ結婚、
国民の半分がキリスト教である現実を前にして、
異民族という形での形式的共存が認められぬ中で、今を生きる人々は、
表現というフィルターを通して、この地を知らぬ私たちに現実を伝えてくれる。
この表現という事象をアートと呼んではいけないのだろうか?

皮肉も一杯、哀愁も一杯、映画も音楽も大好き、
フェイルーズの面影に美味いオリーブを頬張りながら、
旨いレバノン料理を作るお母さんの隣で過ごす、
祖国という概念を、宗教という概念をどこかに置いて、
ただその土地に生きる彼らの姿が、まぶしい。

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Quartier Paris 夏のパリ・アートフェスにてのパフォーマンスは、
エジプト映画からの映像と音のリミックス、で楽しませてくれた、
Rayess BekことWael Koudaihと、ビジュアルアーティスト、La Mirza

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レバノンを代表するラッパー、Rayess Bekはこの10月に来日します。
現詳細は→http://openmusic.kyweb.fr/openmusic.jp.net/Good_Bye_Schlondorff.html

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ガラス玉の世界は輝いている?

目下ポンピドゥーセンターで開催中のMona HAOTUMモナ・ハトゥム展での
白眉はなんといっても、「地図 map」である。

なぜガラス玉なのだろ?

この地図には国を表す国境が示されていない
ふとした衝撃により容易に崩れてしまう危うさを表現した

なぜ透明な、ガラス玉なのだろう?
世界に光があたる様に、世界が光を吸い込むことができる様に…

こういったメッセージは観る側が感じることで、
しかし芸術におけるメッセージ性を言葉で表すことの
安易的具体性さと可能性の間で、いつも表現者は逡巡する。

この作品の配置は「展示空間に任せる」とある。
よって透明のガラス玉からなる地球の地図には、
光が当たるのか、背景には何があるのか、
上から観るのか、水平線上に配置するのか、
色々な可能性がありながらも、展示会場の制約された場の中で
如何様にも表情をかえる。
この作品、日本は金沢21世紀美術館のコレクションとあるが、
どのような展示がされているのだろう?
できれば、輝く世界であってほしい….

立秋や東の果てに斜陽尽き

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西にモンマルトル・サクレクール寺院
東にBogignyの団地群。いわゆる郊外の…
この東にモスクが建っていると想像すると、ワクワクする。

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ならば日本各地の除染土壌袋は!

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ベイルート、カブール、バグダットの都市地図=爆撃のあった地点

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チョムスキー×ヴェルチェク 西洋のテロリズム      On Western Terrorism

ある時サハラ以南の地で、植民地時代をその地で生きた人と話をしていた時、
「日本は西洋=(白)だ」、という彼の認識のもとで話が進んだ。

日本はアジアだという認識は、当の本人が意識するところであろうか。
ならば私たちは例えばどれだけ大戦前の日本のしてきたアジアでの行為を、
インドネシアのことを、ベトナムの歴史を、真の中国での市民の声を…
アジアという範囲に耳を傾けているだろうか?
同じ国の内にある声さえも届かないこの小さな地において。

日本国内の植民地化と世界の地で起こっていることを
チョムスキーのこの言葉で考えてみよう。
「賛美されている経済成長というものが、
少数のエリート集団による自然資源の強奪によって成し遂げられているという事実」

まるでどちらかの家のサロンで話しをするチョムスキーとヴェルチェクの、
温和な時間。経験を消化した言葉たち。
数多ある専門的な言葉でまくしたてた識者のそれとは一線を画し、
抗う術としての会話、がこの本の中で展開されている。

結論をいおう、
「彼らと私たち」という立場を貫くが如く、
日本は世界の三極構造のひとつにこれからも居続けたいのか、それとも
「彼らは私たち」という立場の在り方に、希望を求めるのか。

ジョージ・オーウェルの言葉である「un-people・非人間」に
なるのか、ならないのか。
という選択だ。

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訳者は本橋哲也氏 邦題は
「チョムスキーが語る、戦争のからくり-ヒロシマからドローン兵器の時代まで-」
平凡社

夏の星背中湿らす深き夜

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今日は三日月、ラマダン終了 L’Aïd el-Fit عيد الفطر

自分自身が断食月をやっているわけではないけれど、
世界中の敬虔なイスラム教徒と共に私たちはこの地球にいるわけで、
彼らの時間の流れに、想いにちょっと触れてみたい。

隣の食品店はいつも西アフリカのおばちゃん、おじさんで溢れている。
働く人々はどこの国の人々だろうか?インド人の様な…
数週間前、この店でオクラを買った時に渡されたのが、断食月中のカレンダー。
日の出と日の入りと一日のお祈りの時間が記されている。
今年はフランス全土も猛暑にて、夕方頃には旦那衆が、
スターリングラードの運河片陰に集まり、ポツリぽつりと仲間と話をしている。
女たちは日が暮れてからいただく食事に精がでる。
だから、断食月中でも、食料品店はいつも賑やかだ。
ちなみにここで売られているオクラの原産国は、ホンジュラス!
長旅ご苦労様!

新月から三日目、今宵はみなさん家族と共に、
よきイド・アル=フィトルとなります様に。

人生の欠片を共に夏の月

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ポンピドゥーセンターではレバノン出身のパレスチナ人アーティスト
Mona Hatoumの個展

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Waiting is Forbidden !!!!!

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イスラム暦は今年1436年

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音を見立てる

Drome地方にある「禅の庭」での演奏会は、遠くは京都から庭師が、
そして、我らふらんす吟行俳句会とパリ短歌会の同志の参加で、
Erik Borjaさんの庭は賑やかに。
そして、南仏の庭の大地と空に、音は広がったのでした。
耳に聴こえてくる音は、それこそ聴く人の内的見立てによって、
なに様にも成れる様です。
だから、この庭で演奏するということは、演奏家の鳴らす音が、
あるいは奏者個人の奏でる音という我を
どこかにやってしまうことができる、
例えば原罪を和らげてくれる様なことかも知れないですね。
そして、それは音の先に宇宙がある、という希望かもしれません。

禅庭や見えきしかたち風薫る   佳
鳴きやんでまた鳴く七日蝉時雨  麻紀
鍵穴の奥の十字架暑気払ひ    崇
せせらぎのさやかにひびく禅の庭 なをみ
もろこしの花連山の影を背に   克洋 

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睡蓮の池のまわりにただよう音

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イゼール河を清水の護りとして鳥居の立つ横に、各々に庭を演奏した奏者が集合

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枯山水から下る階段庭園には、Ky

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父上はアルジェリア人のフルート奏者アミナと。鳥のような彼女の音のささやき

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演奏後は、Erikさんのドメインclairmontsのシャルドネの白で。お疲れ様!
http://www.cavedesclairmonts.com/

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白濁した飲みもの -カンボジアからその壱-

西アフリカでバンギーと呼ばれるパームワインは、
その飲んだ時の表現が確かミッシェル・レリス著「幻のアフリカ」文庫本の、
真島一郎さんによる解説に出てきた覚えがある。こんなくだりだったと思う。
「レリスとおなじく私もまた、初めてヤシ酒(バンギー)を口にしたとき
「精液の底味」を舌先に覚え…」

ブルキナファソで始めて飲んだ時の感覚が蘇る。

ここカンボジアでもヤシ酒を飲む様で、シェムリアップ(アンコールワット遺跡の
地)で仲良くなったバイク車の運ちゃんに誘われ、マキ(林より小さい茂み)にある
村の集いの場でこれを味わせてくれることとなった。
街を離れ、村の様な場所ここは、地元の人々が長閑に過ごす、とでもいうか、
観光客の足はここまで届かない雰囲気だ。
一晩前にヤシの汁を採り、翌日の昼まで醸造させ、
その日の20時まで飲むものである理由に、
僅かな時間による醸造であるからしてお腹にくるそうだ。
これが街で見かけない理由、観光客にもあまり提供しない理由なのかもしれない。

昼の14時はイベリア半島よろしくシエスタといきたいこの地の気候の中、
特に若者がマキに集まり、ところで私を連れて来た運ちゃん然り、
昼間から白濁したヤシ酒を飲む。一緒に。
アルコールはきわめて低いためバケツ一杯を何杯でもいけそうだ。
実際この飲み物はバケツに入れられている。
つまみは川魚の素揚げと鶏のレバー。
一緒に出てきたソースは、やはりヤシ酒が酢になったものだという。
給仕の女性は自作の酢、何年ものとやらをペットボトルに入れ、
帰り際私に持たせてくれた。
これはどうやらカンボジア料理を深く知るきっかけになりそうだ。

どの土地にあっても、人間一人一人の毎日のこの瞬間をどのように共同できるか。
それは極めて個人的な経験になるであろうし、個によって形成される関係だ。
そして彼と私の間にはバンギーを介した瞬間、
”運ちゃん”・”お客さん”という関係はなくなり、
ただただうまい酒を飲み交わす”仲”という、
互いの内的体験が今という時をつくったのだ。

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ヤシ酒で乾杯と相成る。
カンボジアのものは西アフリカのものより炭酸が弱いようだ。

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クメール語ではカテーチューと呼ばれるヤシの酒

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肴は外に出ている炊事場で作っていた。

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米酢に似た、しかし酸味はよりまろやかなヤシ酢

麦酒とは似て非なるかなヤシの酒

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サンドニ門〜シャペル大通り 娼婦の館に住む

昔一番の繁華街として、観劇後の老舗ブラッセリーFLOや、劇場の名残。
今は西にクルド人街、東にインド人街。
駅には中国人女性が、時に女同士で腕を組んで、
あるいは1mごとに立ち並ぶ、娼婦たち、の街サンドニ門。
門の南にはかつての最盛サンドニ通りに今も、
ポツリぽつりと女が立っている。
繊維問屋の多いこの界隈には、荷物を待つインドの人々の姿。
その姿を撮ろうとしたところ、突如女二人が私の前に立ちはだかり…
「カメラをよこしな!何撮っているのよ、画像を消しなさい!!」
と、私がうっかりして向けたレンズの先に彼女達は、立っていたのだ。
幸いにして彼女たちの姿はカメラには映っていなく、一件落着したものの、
彼女たちは自分たちの置かれた立場を私に云々お説教。
女同士の立ち話、となった。

パリに住み始めてかれこれ10年を越えた今、振り返ると10回以上引っ越した
私の住居には、彼女達の姿が往々に在った。
18区の駅には、演奏を終えて帰路に着く夜中、彼女たちは無料のエイズ検査車に
列をなし、11区のベルビル界隈では同じ建物に早朝戻って来る彼女たちの姿。
お客を街でとり、客はいつも彼女の5m後ろでアパートの階段を昇る姿。
時にヒモらしき男の姿とすれ違う。
そして今、モンマルトルとウルク運河の間に位置する現住居である大通りに面した
建物の壁には、番地の存在より大事な、昔灯燭がその存在の証明となる、
灯す台が建物に付いており、また隣の建物は娼婦の館特有の飾り看板が
彫られている。建物を入り牢屋のような金属の扉の向こうには、
今ではパリ市によって保存義務になっているロココ調の階段が出迎えてくれる。
(といってもそれは見かけだけで、昇る部分はなんとも貧そなつくり)。
家の中は小さくも、扉が隣り合わせ、向かい合わせになることはなく、玄関の壁には
全面鏡。
大家さんいわく、この建物は19世紀末からあるそうだ。
となると、床はやや歪んでいる….。
この界隈が決して高級住宅地とはほど遠い下町であるから、
メゾン・クローズとは呼べぬが、役割は、同じであった。

女と街の関係、娼婦なしに、人類の歴史を語ることは、できない。

客待ちて何を想おふ梅雨の月

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バタイユ作・マダム・エドワルダの舞台になったサン・ドニ門

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パリにはすべての通りに名前がついている

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問題となった荷車を押すおじさんの後ろ姿。この後怒られるのだが…

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どの部屋も五角形のつくり

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ラジャスタンからブルターニュへ

7世代に渡るシタール奏者として、また家族全員が演奏一家であり、
おそらく田森雅一氏の研究「近代インドにおける古典音楽の社会的世界とその変容 」
にも登場するであろう、移動する演奏者として
ラジャスタンとヨーロッパを行き来している、Amanat Ali Kawa。
中世の頃から漁村であるBilliersというブルターニュにある村でのフェス、
Moul Stockは今年いよいよ10年目。
500人近いこの村の人々がパリに、あるいはラジャスタンに行く不可能性は明白。
だから、4人の演奏者・歌い手は、ベルギー、ドイツ、フランス、ラジャスタンから、
今日この村に合流し、昼は村人の庭、そして夜はタブラとシタールのDUOから
徐々に盛り上がる音世界を披露してくれた。
当のわたしは、毎年演奏する側で参加しているが、今年は彼ら演奏家のお世話、
そしてエプロンをかぶって、
村人とブルターニュのビールを売る喜び、
ブルターニュ産の食べ物を作るよろこび、を経験。
地方に生きるこのシンプルな共同体に、多いに拍手!
 
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カルタールを奏でるサヴァン氏とハーモニウムのワヒッド氏

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この村フェスティバルの醍醐味、子供たちがかぶりつきで聴き入る!

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地元で採れた白インゲンを煮込む。5月の牡蠣はLaitierというミルク風味。

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お疲れさま!

夏きざす芝生に子等と音遊び

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ジャパトラと着物でsax

ジャパトラとは、二十五絃箏とお囃子、墨絵に語りというフォーマットで
民話、神話、日本の昔話を繰り広げるパフォーマンス集団
Japan traditional Arts Academyの略。
http://tomoyanakai.com/jtaa/
パリ、マドリード、バルセロナ、ローマと演奏を行なった彼らの姿に拍手。
それは、移動も然ることながら、奏者にとっては運命共同体である楽器の移動
その回数に、毎回の不安と苛立ちを見せず舞台に挑む姿。
各国の言葉で挨拶をし、会場の人々と談話する姿。
中国の筆、とフランス語に訳される墨絵の何たるかを、
参加者と行なう実技で体得する姿。
「異文化交流の〜」という言い古されたそれに一蹴りするに至る。
なぜなら、この場合、交流ではなく、両者真剣勝負だから。
急遽saxでの参加にあたり、事前の一人リハで譜面を頭に叩き込むも無念。
Gongにパーカッション、サックスにクラリネットを二つの手で操るも、
なぜに足を使えぬものかと歯を噛む思い。
しかし始めて着物をきて演奏する醍醐味を、味わった次第。

それにしても、女の演奏者はなんとも衣装に気をつかうことか。
サックスが華となり主役であるからには、ああ、私は黒子(黒衣)になりたい。

汗みどろ楽屋に着物脱ぎ滑す

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ジャパトラ番外編 Ky+中井智弥

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パリ日本文化会館の墨絵講座にて

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袖を連ねて着物女

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たんぽぽの家 アートセンターHANA

佐保川を越えて右に平城京跡、秋篠川を越えて左に薬師寺。
奈良駅前で見つけた自転車置き場にてレンタルサイクルを借り、
土地勘よき自分と高を括っていざ西ノ京へ向かうも、
唐招提寺からの坂道回り道ですったもんだ。
交番に寄ってようやく辿り着いた小高い丘の上に立つ「たんぽぽの家」には、
以前岡本太郎美術館での開催「岡本太郎とアール・ブリュット展」で観た時と
同じイマキュレな空間と、ここで活動=仕事をするダウン症の人々の
作品に包まれた場。

アール・イマキュレの名は、アウトサイダーアートやアートブリュットとは
一線を画しており、その差異とは、
後者を、主体在りとし社会あるいは対称という構造から生まれるアートか、
前者を、主体なき無垢という衝動による始源たるアートであるか。

奈良のこの地に彼らが働く(=というのも彼らのアートを自立性をもったものとして
ファブリック製品、あるいはテキスタイルの商品にする実質的場所。)ということの
土地の意味を、自転車で来たことによってわかった気がする。
この地自体が immaculate イマキュレと感じる故。

帰り、秋篠寺の伎芸天を想いながら、秋篠川を右手に山に向かって自転車を漕ぎ、
太古の昔、山には春を司る神霊=佐保姫がいたという思いを馳せながら、
佐保川を渡る。
川両側の桜並木の蕾が春を待っていた。

この地のどの山も、地球の上で繋がり連なっていると信じたい。

佐保姫や救ひ給ふネパールの民

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たんぽぽの家アートセンターのアトリエ内で

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薬の殻を集めて何万個!
摩訶不思議かっこいい作品に仕上がります。

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実際に靴下の柄となった作品。伊勢丹でも販売しているそうです。

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秋篠や 外山の里や 時雨らむ 生駒の岳に 雲のかかれる(西行)

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