寝ぼけてアテネ、眼がさめれば鈴鹿山脈

 「日本庭園を知る」講演会は、パリ、ロンドン、ウィーン、
ブタペストそしてマドリードと回り、無事満員御礼となり候。

「人間はなぜ庭をつくるのでしょう?」
という冒頭から始まる講演会の主役は京都の庭職人、石川佳さん。
このシンプルな質問から目の前に広がる庭への眼差しは、「ここに居る」
という事実につきる。
あなたがここに居る、だから、この空間は庭になったのだ。
なんだか禅問答のようですね。
さて、この講演会ウィーンの後パリに戻るはずが、なぜか機体はアテネに向かい、
蒼い蒼い海を見ることに。
寝ぼけて航空券を買うとこうなるようです。
そして、夢心地の日々を過ごし辿り着いた日本は伊勢志摩~鈴鹿山脈。
山の中にはヒグラシの音。で眼を覚ましたというふしぎな夕暮れ。
男梅雨空けぬ小暑、父が捕まえる今年の蝉一号となり候。

蝉時雨庭にようこそ安堵かな

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アテネまで15分

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ギルシャワインのラベル!本当にあるなら吹いてみたいな。

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伊勢志摩サミット!?ねぼけた祭りは放っといて、
太古からある志摩の海と地。

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日本の塩・フランスの塩

あかちゃんもばあちゃんも、汗をかいて、水を飲んで、
食べものから塩分をとって、汗はしょっぱい。
この連鎖はずっとずっと進歩しない原理ですね。
伊勢志摩は二見にある、御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)。
この御料地にある御塩御倉の »かたち »は、地球儀を回して
大西洋岸ゲランドという塩田地帯でもみることができます。
夏は夏で仕事にはげみ夕刻塩田脇でビールをのむ職人さんたち。
冬は冬で潮風を背中に自然の中にある年中仕事。
こういう働く姿を愛らしくおもうのは、
そこに根源的人間の姿をみるからでしょうか。

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御塩御倉

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ゲランドの塩田

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塩田に風通る道半夏生

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Ecole Théodore Monod

歩いて、歩いて、サハラを歩いて何万里。
井戸なき砂漠を歩いて900km。
ラクダと、杖と、喉を潤すにカマンベールとレモネードの夢をたずさえて。

ある日フランスの小さな村の小学校にやってきたThéodore Monod。
モーリタニアの砂漠ですれ違ったというこの村の住人である映像作家が、
村の小学校でテオドールじいちゃんの話を、子供たちと聴こう、
と提案。校長先生も大賛成。
あるふとした時に、このじいちゃんの姿や、おぼろげな内容だけれど、
物事の本質のような”何か”を、質感を、子どもたちは思いだすかもしれない。

学問は教育機関を携えて?
日々喰うための仕事?
研究者としての”自分”より、歩く自分を選びサハラ砂漠を行き、
その感覚をもってこの学校へも訪れたのだろうか。

博物学者であり生物学者、IFAN研究所所長や博物館教授である
彼の調査は学問の範囲で書物となり、専門的な範囲で審判にさらされる。
しかし彼の砂漠での調査とは、その調査の先にある、
生きとし生きる人々の、こころに届ける »お話 »なのだ。
だから、この老爺を、じいちゃんと呼びたくなるのだ。
きっと、モーリタニアの人々もひとつの愛情の形として、
彼をそう呼んでいただろう。

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この村を訪れた日本人作家はドリアン助川さんという。

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とことんスト!

ここまで気合いを入れてストをするフランスの労働者に乾杯!
5月16日から続く国鉄のスト続行中。
徐徐にガソリンスタンドの値段表示はもどってきているものの、
列車の間引き、運転停止は止めどなく。
予約購入した列車が運行しない、と知った乗客は、
ともかく目的地に向うべく目の前の車両に飛び乗る。
3時間強立ち続ける、通路も食堂車も地べたに座る人、人、人。
車内風景は難民の人々のごとく。

この苦難も、労働法改正案に抗う人々を前に、なんとかやり過ごせてしまうものだ。
やっとこさ着いた駅の壁には、世界に生きる人々を撮った写真。
Gaccilyという街で行なわれる写真祭 Festival la Gaccily photo と
国鉄SNCFが掲げるスローガン「示唆する文化」のコラボレーション。
写真の中の現実を前に、ストの影響なんてへっちゃらな気分になる。

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左はOlivier Jobardの作品。
チュニジアのzardis港から出発した底網船に乗る難民。

右は深田志穂の作品。バングラディッシュはChittagong港。
チッタゴン最初の港にある使われなくなった石油タンカー。

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空港で羊に会いましょう

少し前までベルビル界隈にはマグレブの人々がろばを繋いで道を歩き、
18区のアフリカ人街では鶏コッココッコと鳴くCageが数十個、
近所の人はここで卵を必要なだけ買った。2002年前後のパリ移民街の風景。
2016年、空港の敷地には羊が飛行機と共存する姿。
あるいはだれかによるInstallation artというギャグだろうか。

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近代に羊の毛剪る人いずこ

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Crescendo <

藤の芳香の中で、歩く目線をすこし上げると、
桐の花、花、花。
双方薄紫の階調。
藤は垂れ桐は空へ、重力の中で生きている。

藤は春、桐の花は夏の季語。
春のフェイドアウトと初夏にむかうクレッシェンドの間にある
五月という時が見えてくる。

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珈琲をテラスで二人桐咲きぬ

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みずがめ座η流星群 η-Aquarids

ブルターニュ、23時。
村は真っ暗、電灯は皆無。
港の灯台が遠く瞬く。
空は新月。
すると、空は星たちの光で溢れる。
こぐま座、金星、みずがめ座η流星群。
すると、呼び起こされる映像は、チリの映画監督パトリシア・グスマンの
「光のノスタルジア」と「真珠のボタン」。

薄暮に浮かぶひこうき雲を見ながら、この得体の知れぬ機体に乗る
わたしたちの日常を思い浮かべながら、
生身の人間は、星のひかりに身をゆだねるしかない。

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惜春や瞬く星のそば去りて

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広場 – Arvo Pärt- 催涙ガス

広場の提議とは。
ローラースケート、杖をつく人々の手の温度、
ベンチの読書、恋人たちの口づけ…

スターリングラード駅北側は100年前はパリではなかった。
だから、運河の境目として、18世紀に建てられた
入市税の関所その名をLa Rotonde(円形車庫)という。
20世紀後半、フランス植民地国が次々と独立をはたすころから、
人々は、この地をパリのゴミ箱と呼んだ。
わたしはこのゴミ箱に住んでいる。
だから、19区の市民は、ここで生きています。
こどもたちがボールを蹴り、マグレブのおじさんたちが煙草をふかし、
おかあさんたちが井戸端会議。
そこに生きる世界がある。
そして、つい最近までは広場の意義が反映されたこの場所で、
若者は地べたに座り、政治を語り、ビール片手に芸術を語り…
その横でムスリムの家族はピクニックをする姿。
今日、行政はそのどれもを商品にしてしまった。
レパビュリック広場、ナシオン広場で立ち上がるNuit Debutの影響下、
広場という広場は、人が集う場という機能を奪われ、警察は催涙ガスぶちまく。
スポーツは入場制限がある範囲での »行為 »、商品となった音楽をガンガン鳴らす。
樹々の傍らで鳴く鳥の存在には目も向けない。

ペレストロイアカ前、エストニアでArvo Pärt アルヴォ・ペルトの世界は、
ある制限の中静謐な世界を脈々と紡いでいた。
そして、今日彼の音は、「音は消えても音楽はのこる」というほどの、
具現性を超える想像の中で、広場に鳴り響くのだろうか。

すべてを商品にしてしまう社会のしたたかさは、
小咄にするしか、ない。

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ECMのアルヴォ・ペルト
加藤訓子さんによる編曲版Spiegel im Spigelの世界は息をのむ。

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男の子が自転車を走らせ街を行く。
こんな景はもうみられなくなってしまった広場。

囀の向こうの空に下弦かな

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西は黄昏、東は夜

ノルマンディーに向う道中は一面菜の花。
あと三ヶ月もすれば、もろこし、麦秋を迎え、南の方からひまわり畑に変わる。
ヨーロッパの大地は、こうして気温の変化と並行して黄色が輝く、季節。
演奏会場まであと100km。遠方にモンサンミッシェルが見える。
人々は、昔この道を何とも歩いたことか…。
朝9時、パリから演奏者を積んで一行は片道5時間のルノーのおんぼろバス。

西は黄昏、東は夜。
フランス夏時間、演奏が始まる21時の風景だ。
十六夜の月の光を浴びて、会場の外で深呼吸。
さて、今日もいっぱい吹くとしよう。

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演奏会場では白いお馬さんが迎えてくれる

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丘は黄色に牧草は緑に

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コートジボワールのバシールが唸るリズムに女子が踊る!

春草のノルマンディーに立つ仔牛

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ひとつの中の多様性

「人間は共存するが、一体にはならない」
といったのは生物学者のHenri Laborit。
彼のエッセイが元になった映画「アメリカの叔父さん」での一節。
ワエルのスタジオにもこの本「éloge de la fuite」があったのだから面白い。

ムスリムの人々は金曜に、クリスチャンの人々は日曜に、
それぞれ家族が集まり、食事を囲む。
皿は重なり野菜は生で。
この地に住む人々それぞれの母さんが作るフムス
(ひよこ豆とゴマソースのペースト)
はアレッポ風だったり、アルメニア風は多様の中に、でも家のが一番!
4時50分最初のアザーン。だれが聴いているだろうか静寂の日曜日。

フェイルーズでもウム・カルスームでもなく、鳴る音はSweelinck。
バッハ前のコントラプンクトやポリフォニーの姿が、
このベイルートという街に鳴る。
名字だけで宗教や宗派がわかってしまう人々が住む街で、共存する彼らの姿。
音の世界も食の世界も包容する昔から変わらぬ平衡。

Henri Laboritが行なうねずみに喩えた実験に、
人間の行動comportementの根源がみられる。
それは大きなせかいで起こっていることが
このねずみたちのそれに見いだせるのだ。
もちろん、古代の人々はこんな実験をせずして摂理を持っていたことは、
いうまでもない。

多様性を豪語するならば、わたしたち個が多様になる可能性を見いだし、
一体となるのではなく、共存することの実践にむかう時期であることは明白。

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Éloge de la fuite
あまり文学的ではないかもしれないが、誰か翻訳してくれないかな。

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今回の宿舎は旧アルメニア大学の前となる。

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レバノン一旨いレストランのフムスはちょっと上品すぎかな。

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ローマ遺跡がいたるところに。
古人は地中海を眺めながらさぞ大浴場でくつろいだことだろう。

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だれがレバノン南部で演奏するというのだ?

ヒズボラの拠点、南部に入るやいなや連なる旗、Allāhに身を捧げた者たちの写真。
ついで道を間違えれば目の前は、おっとイスラエル2km際…
UNのトラック、立ち入り禁止。
Uターンして山を超え、小さい村々を越え、
人が住むでもない豪奢な別荘はヒズボラの潤沢な資金のあらわれ。
羊の群、レモン畑、ベイルートから3時間ナバティーエに着く。

この街でだれが演奏をするというのだ?

「ナバティーエで演奏?ヒズボラに会いに行くの?」
とベイルートっ子に言われた。
ここで音楽を奏でた者はわたしたちで2人目だそうだ。
原理主義に近い彼らの組織である街に、音楽と名のつくものはなにもない。
日本人でこの地に来たのは、足立正夫氏、NGOぐらいだろうか…。
アンスティチュット・フランコ/ナバティーエの庭には街の人々。
鳥のささやきの中で音楽が鳴り始める。
なんというタイミングだろう、夜を告げる今日5度目のアザーンが、
演奏後に響き渡る。
楽器を片付ける奏者の回りには人集り。
みな、歌に、ウードの音に飢えていたのだと実感。

60年代~詩人や芸術家たちが夜な夜な集まり朗読会や討論をしたという、
街を見下ろすカフェレストランには、今は一滴のアルコールも詩もなく、
ただただテレビからニュースが流れ、男たちが吸うナギレの煙がたゆたう。

八朔の木陰に音は揺蕩ふて

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どんな大使や首相に聴いてもらうより、
子等に聴いてもらうほうがどれだけうれしいことか。

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アマル(シーア派)の旗で南部は埋め尽くされる。
welcome to Ḥizb Allāh、というわけだ。

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サイダの街。
第一次大戦前のオスマン帝国時代の名残で
このカフェは映画を当時上映していたそうな…

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今日もだから楽器を担いで演奏行脚だね。

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ウードを愛するすべての人へ

進歩と変容。
ウードという楽器を語る時、この楽器が生まれてこのかた何百年、何千年、
”進歩”しない潔さと、しかし演奏者と製造者の好奇心によるわずかな変容は、
例えば棹の長さが古典楽器として60cmのところ
現在57cmにとどまるこの3cmの中にある。

みんなの大好きなムスタファは元気です!
でも、今や彼はエジプトには帰れません。
アラブの春がもたらしたものとは….
彼は故郷に足を踏み入れた瞬間確実に逮捕されます。
すでに10代、そして20代、ウマル・ハイヤームを詠唱する彼の存在は、
政教分離なき国のそれにとっては疎まれ、が故にレバノンに移住した彼。
いつも皮肉を込めて、笑いながらいうフレーズ。
「僕はドバイの演奏には呼んでもらえないんだ。」

アラブの春、タハリール広場で皆を鼓舞した歌声は、
それはそれは想像を絶するあの声なのです。命がけ。
あの日銃弾は彼の腕をかすり、命は救われたけれど、故郷を失った…、この覚悟。
愛さずにはいられないこのウード奏者が、盲目ゆえ待ち合わせも容易ではないのに
わざわざ連れてきてくれた所は、楽器奏者と楽器製造者が相愛する場所、
ウード工房。
この関係こそが信頼の原点であり、
”進歩”ではなく、より深い音楽のための、逢瀬。
Habibi、抱擁はもちろん、頭にキスを、演奏する手にキスを。
それはレスペクトの証。
今日も、ああでもないこうでもない、と楽器の調整、改善、に勤しむのでした。

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1年にウードひとつしかつくれない工房。
そのクオリティーを聞きつけ、今やアメリカ人たちが買いにくるそうな…

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楽器の調整中に、アルベールがおもむろに唱いだした50年代の歌に、
音を添えるムスタファ。

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福島以来だね、ムスタファ。
彼のガールフレンドは踊り子さん! 次回は一緒に踊りたいな。

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ベイルートで日本料理講座と相なりて

畜生め、戦渦上空を通過して、のうのうとレバノン到着か。
機内の地図にシリアの街の名前は、もうない。
シリアという国はやがてトルコという国になるのだろう。
第一民の国家はもう、存在しない。
国は企業だ。L’état est une société…

しかしこの地に着いたからには、今日集まった10人のレバノンの女性と、
明日の食卓にならぶおかずを作ろうではないか。
異文化交流なんて名称は一蹴、一期一会をモットーに。
きんぴら、鯖の味噌煮、しゃぶしゃぶ、みたらし団子。
この地に大豆の文化がないことは承知の上で使う、
これらのおかずに必要な醤油、の使用はやがてその輸出入の促進になるのだろうか…

生きれば生きるほど、原罪の確信的意識を芽生えさせられる。
そう、好奇心の果てにあるものさえも。
今一度、土地に生きることの原点に立ち返りたい。

朝東風にアザーンと鐘の重なりて

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みんなで作ると楽しいね。

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3キロ先に広がる地中海、そこに眠る人々とは…

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ワエルもヤンもそれぞれの想いの中歩く。

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夜中2時、若者は闘ってるぜ!

今宵演奏の帰り、われら同志ミュージシャンが気温9度の中、
体をはって演奏しているレピュブリック広場へ。
「緊急事態」「労働法典改正」反対の盛り上がりは、
「生きる」命におよぶ危機感と比例する。
ここパリはモロッコ・マラケッシュのフナ広場と化す勢い。
広場の中心で演奏しているのは凄腕のミュージシャンたち。
音によるトランスの境地に街や人を巻き込み、そう、若者は立ち上がっている!

毎度のこと、ツアーに出る前は録音…
吹き込みの切羽詰まった依頼。
万年時差ボケゆえ徹夜は苦にはならぬも、一人の作業。
この状況を支えてくれる夜鳴き鶯の囀、そろそろ聴こえてくる頃かな。

明日も、明後日も、若者は広場に集まるだろう。
フランスの、シリアの、エジプトの、
(↑彼はエジプト政府に徹底的にマークされている)
意思を行動に移す、彼らの姿だ。

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身を守りつつ、しかしこの熱気!

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テントで寝起きする者。労働法などの説明も受けられる。

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手がかじかみながらサックスを吹く

寄り集ふうねり続きて夜半の春

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卵のように軽やかに

菜種梅雨、明けてものみな笑顔の今日。
復活祭とは個人的には無関係ですが、この地に住む多くの人の
影響を友人間で楽しむことに。
チョコレートでできた卵の中には、何が入っているかな。

サティが晩年生きたアルクイユ市でのレジデンス開始となり、
今回はイタリア人歌手とフリージャズ集団
Anti Rubber brain factoryでの演奏。

« Rubber brain factory ゴム製の脳みそを製造 »し続けているのは、
□□主義の呪縛下にいるのはだれなのでしょう。
そろそろランボーのごとく現実の舟からの旅立つ時が迫っていることに
気づく頃では。
しかしその果てやはり文明という港しか
わたしたちには残されていないのでしょうか…
するとサティのように、なーんにもない軽さのような
境地に行くつくのかもしれませんね。
サティの言葉はいつでも頭にポっと浮かび上がる。
スマートフォンの中ではなく、言葉が空気感の中でわたしたちと
一緒に生きている様です。

経験は麻痺のひとつの形である。(E.Satie:秋山邦晴 訳)

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サン・シュルピュス教会横にあるランボーの詩は街の壁に

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甘い卵をあなたに贈りましょう

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フランソワのユーフォニウムの解体現場

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un rêve

パリ19区。
スターリングラード駅の高架下には数えきれない程の人々が寝起きしている。
雨をしのぎ、寒さを皆々と分かち、もうすぐ春、という今日。
朝9時に警察が我が家の目の前の大通りを塞いだ。
叫ぶ者、シミだらけのマットレスを無惨に一掃する者、
カフェの主人、パン屋の旦那、通りに住む住人が、
この理不尽な今日の出来事に対し道に立つ警察に掛け合う姿。
カラシニコフを持つ仁王立ちの列。
女は泣き伏し、男は絶望を隠さない。
メトロ2番線は閉鎖。
すべてを追い出し柵が囲われ、高架下は立ち入り禁止場所となった。
家を出る度に見ていた彼らの日常は、もうない。
この目の前の出来事に、だれがカメラを向けられようか。

ミントの葉やコリアンダーはこの駅前で彼らが売っているものが
一番新鮮で一番安い。
炊き出しをもらった後の安堵の表情。
娼婦たちの姿。
2016年、こうした風景は、大きな世界の象徴であるパリの移民街で共生する、
わたしたちの日常。

彼らは、今日どこで夢をさまようのだろうか。
せめて温かい場所であると、願う。

春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空(藤原定家)

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彼らの姿は、もうない。

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ミモザと逢瀬・日本の里山鹿を喰う

フランスは立春過ぎた頃から、日本は春分を佳境にミモザが芳香を放つ。
南仏にはミモザ群生があるそうな。

誰訪ねて駅からの道は丘。こういう丘陵はその昔里山だったのか。
丘から見える遠方は、人溢れる街。足下には、野生の草たち。
誰訪ねて志摩の村に行けば、里山の奥で獲ったという鹿や猪をみやげにもらう。
村のみかん畑の木肌は鹿によるcâlinでつるつるに。
こういう里山のめぐみとして、喰う今日の飯となる。
空港に向う東に見えるのは、紀伊の山々。
なんともいえぬ安堵、感。

母愛でぬ玄関番のミモザかな

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ここはどの里山でしょうか

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萬古 ばんこ Banko

東海地区の土は、その昔何万年を経て粘土質を有し、
今に焼きものを支えている。
常滑、瀬戸、信楽(滋賀だけれど地の流れとして)…。
そこに、おそらくあまりメジャーではないけれど、
ひっそりと歴史を刻む焼き物、それが萬古焼。
父にいわせると、子供時代四日市の街には、
煉瓦でできた四角い工房の煙突が立ち並んでいたそうだ。
戦中生まれというからには、戦後の風景は現在へと変容したのだろう。
この萬古焼のデザインアーカイブを目的にできたのが、
BANKO archive design museum

陶芸家である内田鋼一さんの私設美術館となる。
これがすごい。
おそらく世界でもっとも小さな美術館。
思想がある。
小さな世界から、大きな世界を俯瞰できる、美術館。
設立にあたり刊行された図録を見ていると、
「この人高校の同級生だ。」と父がいう。
小さな美術館の窓口となるHPや紙媒体のイラストを描いた、大橋歩さんだ。
土地に生きる、生きたひとが、支えている。

春霞萬古の里に煙見ぬ

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工房があった界隈には神社が。
土の神さん、焼き物に携わった人々、みな一様に楠木が覆う神社にいる。

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あたまとからだ

ないおつむを使おうにも使い方もわからず、たまに使えばショートして、
調べものを探しに法学部生が使う図書館にいけば、
利用者の脳みそが館内に充満しているような空間に圧倒され、
1954年の雑誌の一部をコピーし、いざ帰路へ、と図書館出口付近にあったものは、
17世紀に綿布に描かれたヨガのポーズの数々。
このあたまとからだのバランスに、救われる。
救われるが、一向にあたまの回路はつまったまま。
草木萌出今日この頃、ないおつむから何かは生まれ、出口に辿り着けるのだろうか。

下萌やいまは辛抱あと少し

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Sainte-Geneviève図書館内の集中力は凄まじい。

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南インドで描かれた、29のポーズ

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発酵する音

実存的な音は、ぷくりぷくり。あるいはプスプス。
白菜キムチの、生きている証拠が毎日の音で確認できる。
人類は食べることを基本に、この世に何万年。
それを支えてきたのは発酵食品、と近年話題になっているような。

芥子菜を塩で揉む。それがふつふつと発酵作用をおこし、
水でちょっと塩気を落して刻んですり胡麻。うまい。
赤い小粒のラディッシュをフランス人は塩とバターで生をかじり、
葉が新鮮であればスープに。
しかしこちらも塩だけで揉めば、さっぱりした箸休めになる。
両者新漬の方法。

西アフリカにはスンバラSoumbalaという
日本でいう味噌、あるいは大徳寺納豆のような食材がある。
ネレの木の、莢の中身を乾燥→発酵させたもの。
これと合わさる味は、干し魚。
旨いソースを作るに必須であるこれらの材料からできた
料理の味わいの中に感じるノスタルジー、
それは鰹出汁+味噌、の風味。

発酵の原理は進化ではなく、偶然性をもった必然的流れ、
の中で生まれたのではないでしょうか。
偶然に対する好奇心、が発酵と共に生きてきた私たち祖先の生きた証。

ブルキナファソの母さんに教えてもらったオクラソースは、
とうもろこしの粉を餅状にした、トーと食す。
玉ねぎからの旨味、トマト、スンバラ、魚、唐辛子。
そして今やマギーキューブを入れることで味になる、そうだ。

ネッスルのマギーキューブNestle Maggiに支配された舌を、
人類の進化と呼ぶのだろうか。

白菜を洗うアジアの女たち

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漬けて一週間目。
タッパーの蓋は毎朝発酵により膨らむ。

2012-08-18 23.19.28
オクラソースは西洋人にはやや不人気。
ひとつに香り、ひとつにネバネバが難点のようだ。

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