ひとつの中の多様性

「人間は共存するが、一体にはならない」
といったのは生物学者のHenri Laborit。
彼のエッセイが元になった映画「アメリカの叔父さん」での一節。
ワエルのスタジオにもこの本「éloge de la fuite」があったのだから面白い。

ムスリムの人々は金曜に、クリスチャンの人々は日曜に、
それぞれ家族が集まり、食事を囲む。
皿は重なり野菜は生で。
この地に住む人々それぞれの母さんが作るフムス
(ひよこ豆とゴマソースのペースト)
はアレッポ風だったり、アルメニア風は多様の中に、でも家のが一番!
4時50分最初のアザーン。だれが聴いているだろうか静寂の日曜日。

フェイルーズでもウム・カルスームでもなく、鳴る音はSweelinck。
バッハ前のコントラプンクトやポリフォニーの姿が、
このベイルートという街に鳴る。
名字だけで宗教や宗派がわかってしまう人々が住む街で、共存する彼らの姿。
音の世界も食の世界も包容する昔から変わらぬ平衡。

Henri Laboritが行なうねずみに喩えた実験に、
人間の行動comportementの根源がみられる。
それは大きなせかいで起こっていることが
このねずみたちのそれに見いだせるのだ。
もちろん、古代の人々はこんな実験をせずして摂理を持っていたことは、
いうまでもない。

多様性を豪語するならば、わたしたち個が多様になる可能性を見いだし、
一体となるのではなく、共存することの実践にむかう時期であることは明白。

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Éloge de la fuite
あまり文学的ではないかもしれないが、誰か翻訳してくれないかな。

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今回の宿舎は旧アルメニア大学の前となる。

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レバノン一旨いレストランのフムスはちょっと上品すぎかな。

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ローマ遺跡がいたるところに。
古人は地中海を眺めながらさぞ大浴場でくつろいだことだろう。

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だれがレバノン南部で演奏するというのだ?

ヒズボラの拠点、南部に入るやいなや連なる旗、Allāhに身を捧げた者たちの写真。
ついで道を間違えれば目の前は、おっとイスラエル2km際…
UNのトラック、立ち入り禁止。
Uターンして山を超え、小さい村々を越え、
人が住むでもない豪奢な別荘はヒズボラの潤沢な資金のあらわれ。
羊の群、レモン畑、ベイルートから3時間ナバティーエに着く。

この街でだれが演奏をするというのだ?

「ナバティーエで演奏?ヒズボラに会いに行くの?」
とベイルートっ子に言われた。
ここで音楽を奏でた者はわたしたちで2人目だそうだ。
原理主義に近い彼らの組織である街に、音楽と名のつくものはなにもない。
日本人でこの地に来たのは、足立正夫氏、NGOぐらいだろうか…。
アンスティチュット・フランコ/ナバティーエの庭には街の人々。
鳥のささやきの中で音楽が鳴り始める。
なんというタイミングだろう、夜を告げる今日5度目のアザーンが、
演奏後に響き渡る。
楽器を片付ける奏者の回りには人集り。
みな、歌に、ウードの音に飢えていたのだと実感。

60年代~詩人や芸術家たちが夜な夜な集まり朗読会や討論をしたという、
街を見下ろすカフェレストランには、今は一滴のアルコールも詩もなく、
ただただテレビからニュースが流れ、男たちが吸うナギレの煙がたゆたう。

八朔の木陰に音は揺蕩ふて

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どんな大使や首相に聴いてもらうより、
子等に聴いてもらうほうがどれだけうれしいことか。

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アマル(シーア派)の旗で南部は埋め尽くされる。
welcome to Ḥizb Allāh、というわけだ。

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サイダの街。
第一次大戦前のオスマン帝国時代の名残で
このカフェは映画を当時上映していたそうな…

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今日もだから楽器を担いで演奏行脚だね。

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ウードを愛するすべての人へ

進歩と変容。
ウードという楽器を語る時、この楽器が生まれてこのかた何百年、何千年、
”進歩”しない潔さと、しかし演奏者と製造者の好奇心によるわずかな変容は、
例えば棹の長さが古典楽器として60cmのところ
現在57cmにとどまるこの3cmの中にある。

みんなの大好きなムスタファは元気です!
でも、今や彼はエジプトには帰れません。
アラブの春がもたらしたものとは….
彼は故郷に足を踏み入れた瞬間確実に逮捕されます。
すでに10代、そして20代、ウマル・ハイヤームを詠唱する彼の存在は、
政教分離なき国のそれにとっては疎まれ、が故にレバノンに移住した彼。
いつも皮肉を込めて、笑いながらいうフレーズ。
「僕はドバイの演奏には呼んでもらえないんだ。」

アラブの春、タハリール広場で皆を鼓舞した歌声は、
それはそれは想像を絶するあの声なのです。命がけ。
あの日銃弾は彼の腕をかすり、命は救われたけれど、故郷を失った…、この覚悟。
愛さずにはいられないこのウード奏者が、盲目ゆえ待ち合わせも容易ではないのに
わざわざ連れてきてくれた所は、楽器奏者と楽器製造者が相愛する場所、
ウード工房。
この関係こそが信頼の原点であり、
”進歩”ではなく、より深い音楽のための、逢瀬。
Habibi、抱擁はもちろん、頭にキスを、演奏する手にキスを。
それはレスペクトの証。
今日も、ああでもないこうでもない、と楽器の調整、改善、に勤しむのでした。

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1年にウードひとつしかつくれない工房。
そのクオリティーを聞きつけ、今やアメリカ人たちが買いにくるそうな…

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楽器の調整中に、アルベールがおもむろに唱いだした50年代の歌に、
音を添えるムスタファ。

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福島以来だね、ムスタファ。
彼のガールフレンドは踊り子さん! 次回は一緒に踊りたいな。

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ベイルートで日本料理講座と相なりて

畜生め、戦渦上空を通過して、のうのうとレバノン到着か。
機内の地図にシリアの街の名前は、もうない。
シリアという国はやがてトルコという国になるのだろう。
第一民の国家はもう、存在しない。
国は企業だ。L’état est une société…

しかしこの地に着いたからには、今日集まった10人のレバノンの女性と、
明日の食卓にならぶおかずを作ろうではないか。
異文化交流なんて名称は一蹴、一期一会をモットーに。
きんぴら、鯖の味噌煮、しゃぶしゃぶ、みたらし団子。
この地に大豆の文化がないことは承知の上で使う、
これらのおかずに必要な醤油、の使用はやがてその輸出入の促進になるのだろうか…

生きれば生きるほど、原罪の確信的意識を芽生えさせられる。
そう、好奇心の果てにあるものさえも。
今一度、土地に生きることの原点に立ち返りたい。

朝東風にアザーンと鐘の重なりて

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みんなで作ると楽しいね。

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3キロ先に広がる地中海、そこに眠る人々とは…

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ワエルもヤンもそれぞれの想いの中歩く。

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夜中2時、若者は闘ってるぜ!

今宵演奏の帰り、われら同志ミュージシャンが気温9度の中、
体をはって演奏しているレピュブリック広場へ。
「緊急事態」「労働法典改正」反対の盛り上がりは、
「生きる」命におよぶ危機感と比例する。
ここパリはモロッコ・マラケッシュのフナ広場と化す勢い。
広場の中心で演奏しているのは凄腕のミュージシャンたち。
音によるトランスの境地に街や人を巻き込み、そう、若者は立ち上がっている!

毎度のこと、ツアーに出る前は録音…
吹き込みの切羽詰まった依頼。
万年時差ボケゆえ徹夜は苦にはならぬも、一人の作業。
この状況を支えてくれる夜鳴き鶯の囀、そろそろ聴こえてくる頃かな。

明日も、明後日も、若者は広場に集まるだろう。
フランスの、シリアの、エジプトの、
(↑彼はエジプト政府に徹底的にマークされている)
意思を行動に移す、彼らの姿だ。

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身を守りつつ、しかしこの熱気!

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テントで寝起きする者。労働法などの説明も受けられる。

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手がかじかみながらサックスを吹く

寄り集ふうねり続きて夜半の春

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卵のように軽やかに

菜種梅雨、明けてものみな笑顔の今日。
復活祭とは個人的には無関係ですが、この地に住む多くの人の
影響を友人間で楽しむことに。
チョコレートでできた卵の中には、何が入っているかな。

サティが晩年生きたアルクイユ市でのレジデンス開始となり、
今回はイタリア人歌手とフリージャズ集団
Anti Rubber brain factoryでの演奏。

« Rubber brain factory ゴム製の脳みそを製造 »し続けているのは、
□□主義の呪縛下にいるのはだれなのでしょう。
そろそろランボーのごとく現実の舟からの旅立つ時が迫っていることに
気づく頃では。
しかしその果てやはり文明という港しか
わたしたちには残されていないのでしょうか…
するとサティのように、なーんにもない軽さのような
境地に行くつくのかもしれませんね。
サティの言葉はいつでも頭にポっと浮かび上がる。
スマートフォンの中ではなく、言葉が空気感の中でわたしたちと
一緒に生きている様です。

経験は麻痺のひとつの形である。(E.Satie:秋山邦晴 訳)

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サン・シュルピュス教会横にあるランボーの詩は街の壁に

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甘い卵をあなたに贈りましょう

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フランソワのユーフォニウムの解体現場

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un rêve

パリ19区。
スターリングラード駅の高架下には数えきれない程の人々が寝起きしている。
雨をしのぎ、寒さを皆々と分かち、もうすぐ春、という今日。
朝9時に警察が我が家の目の前の大通りを塞いだ。
叫ぶ者、シミだらけのマットレスを無惨に一掃する者、
カフェの主人、パン屋の旦那、通りに住む住人が、
この理不尽な今日の出来事に対し道に立つ警察に掛け合う姿。
カラシニコフを持つ仁王立ちの列。
女は泣き伏し、男は絶望を隠さない。
メトロ2番線は閉鎖。
すべてを追い出し柵が囲われ、高架下は立ち入り禁止場所となった。
家を出る度に見ていた彼らの日常は、もうない。
この目の前の出来事に、だれがカメラを向けられようか。

ミントの葉やコリアンダーはこの駅前で彼らが売っているものが
一番新鮮で一番安い。
炊き出しをもらった後の安堵の表情。
娼婦たちの姿。
2016年、こうした風景は、大きな世界の象徴であるパリの移民街で共生する、
わたしたちの日常。

彼らは、今日どこで夢をさまようのだろうか。
せめて温かい場所であると、願う。

春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空(藤原定家)

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彼らの姿は、もうない。

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ミモザと逢瀬・日本の里山鹿を喰う

フランスは立春過ぎた頃から、日本は春分を佳境にミモザが芳香を放つ。
南仏にはミモザ群生があるそうな。

誰訪ねて駅からの道は丘。こういう丘陵はその昔里山だったのか。
丘から見える遠方は、人溢れる街。足下には、野生の草たち。
誰訪ねて志摩の村に行けば、里山の奥で獲ったという鹿や猪をみやげにもらう。
村のみかん畑の木肌は鹿によるcâlinでつるつるに。
こういう里山のめぐみとして、喰う今日の飯となる。
空港に向う東に見えるのは、紀伊の山々。
なんともいえぬ安堵、感。

母愛でぬ玄関番のミモザかな

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ここはどの里山でしょうか

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萬古 ばんこ Banko

東海地区の土は、その昔何万年を経て粘土質を有し、
今に焼きものを支えている。
常滑、瀬戸、信楽(滋賀だけれど地の流れとして)…。
そこに、おそらくあまりメジャーではないけれど、
ひっそりと歴史を刻む焼き物、それが萬古焼。
父にいわせると、子供時代四日市の街には、
煉瓦でできた四角い工房の煙突が立ち並んでいたそうだ。
戦中生まれというからには、戦後の風景は現在へと変容したのだろう。
この萬古焼のデザインアーカイブを目的にできたのが、
BANKO archive design museum

陶芸家である内田鋼一さんの私設美術館となる。
これがすごい。
おそらく世界でもっとも小さな美術館。
思想がある。
小さな世界から、大きな世界を俯瞰できる、美術館。
設立にあたり刊行された図録を見ていると、
「この人高校の同級生だ。」と父がいう。
小さな美術館の窓口となるHPや紙媒体のイラストを描いた、大橋歩さんだ。
土地に生きる、生きたひとが、支えている。

春霞萬古の里に煙見ぬ

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工房があった界隈には神社が。
土の神さん、焼き物に携わった人々、みな一様に楠木が覆う神社にいる。

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あたまとからだ

ないおつむを使おうにも使い方もわからず、たまに使えばショートして、
調べものを探しに法学部生が使う図書館にいけば、
利用者の脳みそが館内に充満しているような空間に圧倒され、
1954年の雑誌の一部をコピーし、いざ帰路へ、と図書館出口付近にあったものは、
17世紀に綿布に描かれたヨガのポーズの数々。
このあたまとからだのバランスに、救われる。
救われるが、一向にあたまの回路はつまったまま。
草木萌出今日この頃、ないおつむから何かは生まれ、出口に辿り着けるのだろうか。

下萌やいまは辛抱あと少し

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Sainte-Geneviève図書館内の集中力は凄まじい。

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南インドで描かれた、29のポーズ

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発酵する音

実存的な音は、ぷくりぷくり。あるいはプスプス。
白菜キムチの、生きている証拠が毎日の音で確認できる。
人類は食べることを基本に、この世に何万年。
それを支えてきたのは発酵食品、と近年話題になっているような。

芥子菜を塩で揉む。それがふつふつと発酵作用をおこし、
水でちょっと塩気を落して刻んですり胡麻。うまい。
赤い小粒のラディッシュをフランス人は塩とバターで生をかじり、
葉が新鮮であればスープに。
しかしこちらも塩だけで揉めば、さっぱりした箸休めになる。
両者新漬の方法。

西アフリカにはスンバラSoumbalaという
日本でいう味噌、あるいは大徳寺納豆のような食材がある。
ネレの木の、莢の中身を乾燥→発酵させたもの。
これと合わさる味は、干し魚。
旨いソースを作るに必須であるこれらの材料からできた
料理の味わいの中に感じるノスタルジー、
それは鰹出汁+味噌、の風味。

発酵の原理は進化ではなく、偶然性をもった必然的流れ、
の中で生まれたのではないでしょうか。
偶然に対する好奇心、が発酵と共に生きてきた私たち祖先の生きた証。

ブルキナファソの母さんに教えてもらったオクラソースは、
とうもろこしの粉を餅状にした、トーと食す。
玉ねぎからの旨味、トマト、スンバラ、魚、唐辛子。
そして今やマギーキューブを入れることで味になる、そうだ。

ネッスルのマギーキューブNestle Maggiに支配された舌を、
人類の進化と呼ぶのだろうか。

白菜を洗うアジアの女たち

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漬けて一週間目。
タッパーの蓋は毎朝発酵により膨らむ。

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オクラソースは西洋人にはやや不人気。
ひとつに香り、ひとつにネバネバが難点のようだ。

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カストリアディス-ラスト・タンゴ・イン・パリ

民族問題、とは何でしょうか?
対岸で起きていることに対し、このひとことで納得し、
興味の範疇から消去する、という安易な思考回路を私たちはマス・メディアの
それに操られてきたようです。

先日の演奏会場は、ギリシャの哲学者、カストリアディスの自宅で行なわれました。
中途、トルコの伝統曲を演奏しました。
会場にいる人々はギリシャとトルコという”民族 »の狭間でどんな想いを抱き聴いて
いたのでしょうか。
民族とは、ある誇りを持ち、共存することなのでしょうか。
絆というやや軽々しい言葉の中にある、彼らの絆とは何なのでしょう。

コンスタンティノープルに生まれやがてギリシャの民となる者。
アテネに生まれやがてトルコの民となる者。
宗教を軸にしたこの背景で、それ以外の人々は、どこの民となるのだろう。

「具体的な歴史によって生成された個を超えた運命的構成体、
すなわち「民族(Volk)」
(明かしえぬ共同体:M.ブランショ:解説:西谷修:ちくま学芸文庫)

演奏しながら、個が、音楽のある空間で共同する瞬間を、少し見ました。
それは、”ウスクダラ”という伝統曲ではない曲を演奏した時。
ブルガリアの映画監督Adela Peevaの作品「この歌はだれのもの?」にあるように、
いつの時代も、どこでも、「民族」に頼らないみんなのもの、
であるこの曲は、だれのものでもない。

演奏後に振る舞われた、ぶどうの葉で米と肉を包んだドルマダキァは、
今日は特別レモンと卵のもったりしたソース付き。
ぶどうの葉の料理も、この地域にあるものとして、ある民族のものでは、ない。

帰り際Passy駅に向うに、このアパートが映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の
舞台であったと知った次第。
こうして、今日も地を歩き、演奏行脚の日々は続くのでした。

春寒に音の温さやだれのもの

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図書館のような家の一角にある、摩訶不思議な日本語の本たち。

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セーヌ河の目の前。
この日も寒く、だれかは外で聴いているのだろうか。

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雉キジを喰う-あまいものしょっぱいもの-

例えば晩秋に採った柿を干し、正月のなますへ加えるとする。
プラムと子羊で少しアーモンドも散し、タジンとする。
鴨との相性は紋切り型のオレンジのソースとする。
あまいものとしょっぱいものの組み合わせは、
雉の場合、スグリの実、とするそうだ。

ジビエの季節はやや過ぎてしまったが、
市場で見つけたという雉の料理を教えてもらった。
決してシンプルではないが、その調理過程が
食卓の皆の笑顔となるからには、やりがいのある半日仕事、となる。

1) 内臓を処理し、熟した(フザンタージュ(肉を熟成させること))雉
の腹の中にスパイスを塗る。
(クローブ、シナモン、ねずの実、パプリカ、塩、胡椒..etc)

2) ココットにバターを入れ、雉丸ごと表面に焼き色を付ける。
焼いた鍋に赤ワインをカップ1杯、ブイヨン300ccを入れる。
刻んだ人参、玉葱を入れ、約1時間煮こむ。

3) 肉を鍋から出し温かいオーブンで熱を保つ。
煮込んだ野菜を漉し、ソースにする。

4)小鍋に3)のソースを煮立て、スグリのジュレ(大さじ3)を
入れさらに煮立てる。

5)小麦粉大さじ5とバター大さじ3を常温で混ぜ合わせ、
4)のソースに少しずつ加える。
常に泡立て器でソースを立ち上げる様に混ぜる。

6)雉を切り分けお皿に盛り、ソースをかける。

鶏肉では味わえないジビエ独特のうまみが、スグリの実の合わさる、うまさ。
もちろんシンプルに塩で焼いただけがいい、という人物もテーブルにはいたり。
しかし雉の肉は塩で焼くだけではやや野性味が強い。
それもこれも、好みで。

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鴨同様、ジビエの鳥にも柑橘類が、合う。

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この時期どこをどう探しても生のスグリはないので、
ジュレになったものを。

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bourguignon同様、うまいソースを作るならばうまいワインを惜しみなく。
ということでソースに使った赤ワインは、
MédocのLa Cardonne2008年となる。

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レリスを求めて331km

昨年7月。レリスが求めたものを求めて、Metzへ向う。
彼が彼のすべてを、ものとして寄贈した先
ポンピドゥー美術館は今やMetzに分館を構え、
それは日本でいう新幹線側。
ロレーヌ地方を代表する街の裏に、建てられている。

ミッシェル・レリスを唯一インタビューという形で
ドキュメンタリー映画に姿を残したのは、
シュールレアリズムフィリップ・スーポーを語る、
というお題目のお陰。
Michel Leiris souvenirs Soupault
彼の晩年のサン・ルイ島の自宅。
映像の中で彼はいう「人は詩人である。」

レリスの残した表現という範囲での文章には、
おそらく彼が経験したアフリカのそれにおよばない。
あるいは言葉が経験を代弁するのか。

展覧会には、オブジェ、写真、記録…etc
アンドレ・シェフネルと砂漠の一帯でテントを組み立て座る写真。
美術評論をした作家たちの作品。
ダカール=ジブチ・アフリカ横断調査団の手記。
書簡。

観客は、わたしは、レリスの何をみたというのだろう。

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ポンピドゥー・センター・メッス入り口。入場者を迎えてくれるのは、
Céleste Boursier-Mougenot セレスト・ブルシエ=ムジュノ作
「clinamen v.2」陶器が水の上で出会う音と空間の世界は、圧巻。

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ドキュマン=レリスはジャズが好きだった。

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レヴィ=ストロースからの、手紙。

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展示室最後は、なんとクリス・マルケルの短編
「北京の日曜日 Dimanche à Pékin」で終わる….

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板子一枚下は地獄 新年祈りのかたち

虚無に満ちあふれるこの時勢。
何望むでもなく、しかしこの村の人々は、ただただ五穀豊穣を、
あるいは土地柄海上安全を祈りとし、
年の始め1月2日に海の神さんへ三番叟を捧げる。
何年も何百年も受け継がれし人形の、お面が入った重箱の中身を、
それを抱える爺さんに尋ねれば、
「知らぬほうがいいものよ」
とけたけた笑いながらの返答。

今日喰うものがあり、海穏やかな、しかしそれ以外に何もない、
豊かな生きる営みが、伊勢志摩は安乗という漁村にある。 

初舞や凪の応じて三番叟

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いざ海へ

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祝詞、玉串奉奠と続き

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父尉の舞

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鼓に笛の音も、空に舞ふ

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ムッシューサティ、いよいよ立候補でしょうか

時勢ざわざわする中、13日の地方選挙の直前、
エリック・サティを街で度々見かけました。
SFIOから第三インターナショナルを経由し、
いよいよムッシューも立ち上がったのか!?!?
生誕・没後関係なくムッシューサティの精神はこの世に漂い続けてもらいたいです。
それは、安易な自由ではない表現を知るということ。

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11区の区役所前には候補者のポスターの反対側にて

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アルクイユ市は諸手を挙げて駅前にて

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寄稿したユリイカ1月臨時増刊号は今日パリに到着
冊子詳細は→http://www.seidosha.co.jp/index.php?9784791702992

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アポリネール / ヤナーチェク Apollinaire/Janáček

アポリネールの生涯を描いたドキュメンタリー映画の音楽を制作中。
音楽となるべく音の粒は今パリで舞いはじめている。
監督からの依頼はヤナーチェクにインスパイアされた音を、
Ky à la Janáček Kyヤナーチェク風といったところか。

ノートルダム寺院にもエッフェル塔にも、人はまばら、のパリで、
アポリネールの「見る詩」を街の壁に貼る、といった撮影の試み。
それは彼の作品思念に呼応するため。
ヤナーチェクの作品で圧倒的に魅力を覚えるのは
「草かげの小径にて-言葉なく-Sur un sentier broussailleux-Sans paroles-」
二人とも、第一次大戦を生きた人間で、
一人は戦後、一人は大戦の終焉と同時に亡くなる。

時勢の影響を常にうけながら、それでも人々は音楽を愛でていたと思う。
もしかしたらそれはある希望であり、ある治癒なのかもしれない。

彼ら同様第一次大戦を生き、その後レベティコの女王として生涯歌いきった
ローザ・エスケナージからの言葉を。

Je dois mon corps à la terre noire,
mon âme au messager des morts,
et à mon amour je dois ma vie présente.
- Róza Eskenázy (1890-1980)

黒き地に躰をあずけ伝へしは我が魂を死者に送りぬ
(訳:仲野麻紀)

———————————————-

冬の雨音は言葉に寄り添ひて

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サイクス・ピコ協定による国境 食べる生きる

そして、それでも日常生活は、続くのですね。
様々な戦渦で生きる人々は、毎日毎日唸る空爆のもとで、
女はじゃがいもや小麦粉を求め、子等は道に落ちているモノで遊び、
そして…男は…。
このような想像はどこからくるのでしょう。
四の五の言わず私たちは、今日も「食べる」ことによって生きている、
他者も同様に日常の延長として「生きている」
という事実からです。

犠牲者への悼みとは別の次元で、わたしたちに残され、課せられたことがある。
それは、考えるということ。
サイクス・ピコ協定から派生し今に至るそれを、考えることを、
日常にしたい。

招かれし神帰月人は逝く
神帰月(かみかえりづき)は11月の意味、冬の季語。

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一番のメトロ乗換駅であるシャトレ。そう、土曜日の夜に人はもう外出しない。

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しかしながら唯一残された日常として、音楽をします。
しかしここはもう公共の場ではなく、 »自己判断 »に委ねられた場所での録音。

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そしてモロッコから、こんにちは

日本での演奏を終え、フランス組、レバノン組それぞれの地へと帰り、
日本組は最終日公演東京根岸の下町から、西へ西へとモロッコは
エッサウィラへ、アシュラ祭りへ趣いた次第。
Good Bye Schlöndorff を各地で協力していただいた皆様、
来場いただいた皆様、ありがとうございました。

メディナの路地で児等が、タリージャという、
陶器と山羊の皮でできた太鼓を叩き、
モロッコ各地で使われる何万個というこの太鼓はこの日、割られる。
それは、土と皮でできた楽器の再生を次の年に残し、再びお母さんたちが作る、
楽器の運命。
来年も、そして今いるこの子ども達が大人になって、
また子ども達に与える様に、楽器を通して人の営みは続くのだ。

カスバゆく秋意を揺らす太鼓の音

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イスラム暦新年から10日目、モロッコのアシュラ祭では
子ども達がタリージャを叩く

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孤児院ではアイサワ(スーフィー教団)が奉仕演奏

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エッサウィラ、老夫婦が港に佇むという現実。
その横でHassan Hakmounが撮る映画という虚構。

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数ある中から鳴りのいいタリージャを選ぶ

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レバノンへ、さようなら

なぜ「グッドバイ・シュレンドルフ」=グッドバイなのですか?
計3回の講演後の質疑応答の中で、もっとも素朴な質問が印象に残る。

「なぜなら、シュレンドルフがベイルートで撮影していた間は、
内戦が停戦になっていたのです。
撮影クルーが街から去ってしまった同時に戦争は再開されました
=よって、この作品のタイトルは、 »さらば、シュレンドルフ »なのです。」

これが今回の公演での大きなメッセージだったとは…
山形国際ドキュメンタリー映画祭公演後の反応。
それは映画をつくる側からの多くの意見を得る事により、
なぜワエルがシュレンドルフのこの映画を使い、
過去に吹き込まれカセットテープと合わせて作品をつくったのか、
改めて理解できた次第。

國學院大学での講演の報告書にはこうあります。

「撮影の数百メートル先では本当の戦闘が行われている最中の撮影で、
当地のレバノン人が見れば映像の虚構が皮肉としか見えないとのことです。」

しかし、これこそがシュレンドルフ監督の、
各々の生きる役割を社会に反映させる方法なのです。

そう、映画のタイトルである「偽造者」とは

・映画の中の主人公 (ベイルートを取材するジャーナリスト)
・虚構の映画(しかし撮影場所はリアル)を創る映画監督
・当事者ではない、わたしたち

今宵一夜がベイルートになる空間へ、ようこそ!

10月13日(火)19:30 open 20:00 start
SuperDeluxe 東京都港区西麻布3丁目1-25
前売り3000円 当日3500円 (学生1000円)

1部:Good Bye schlondorff
2部:Ky [キィ]
なんと、20~30年代のアラブ音楽音源でワエルによるDJ!

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講演の様子

NCM_0978
山形国際ドキュメンタリー映画祭開演前のチェック。
開場は地べたに座る若者多々、満員御礼感謝。

難民を乗せる船間の天高し

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