ブルキナーアルジェーフランスーニホン

ブルキナファソはバンフォラから24時間かけてフランス到着。
一週間のネット圏外の後は怒濤たるメールの嵐ーーー。
そして明日はマスターリングにて2日徹夜で飛行機in=
25日に成田着。
一体この7月から何キロ移動しているのだ….

 

ブルキナーアルジェーフランスーニホン dans 時勢 circonstance 2012-08-17-19.06.34-300x225

 

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アメリカの月、イスラムの月

1969年、人は月に足を乗せた。

2012年、ここモロッコの月は、

ラマダン始まって15日目、

細い爪の様な曲線の月は今宵満月に。

イスラムの人々は何世紀もに渡って、

月と共に生き、聖なることとして、

月の居ぬ日中は、音楽を奏でない。

それはもしかしたら、宗教というより、

何かに対する、シンプルなレスペクトなのかもしれない。

 

月に足を着けた人間は、何をレスペクトするのだろう。

 

 

アメリカの月、イスラムの月 dans 俳句 haiku IMG_0499-300x225

 

 

ラマダンから6日目、

エサウエラのグナワの重鎮 Maalem Soddik Laarchを迎えての、

月下での演奏前にて。

 

月凉し 宵の音に乗り 断食月

 

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リハ、ゲネプロ、食事

日の入りは毎日1分ずつ早くなり、今日最後のアザーンは19時44分。

この15分前は、スーク(市場)ではみなカッカカッカ、売る方も買う方も

真剣勝負です。

アザーン、あいにくコーランの何を語っているのか、私には分からないけれど、

一日のラマダンの終わりの合図はサイレン。この音がなんとも、

「焦らずゆっくりたべなさーい。」と聞こえてしまうのだから、面白い。

不謹慎かな。

さて、ラマダン中は日中に音楽をしてわならぬ事によって、

フランス組ミュージシャンだけでのリハ。リハが終われば食。

モロッコ組スーフィー教団楽士のハマッチャ Hamadchaと同じく19時30以降に夕食をすまし、

(伝統的には、山羊の牛乳、ナツメヤシ、ゆで卵、スープ、パン、そしてお菓子に薄荷茶)

21時から夜中の1時までみっちり。

一年前のレジデンスでもそうであったように、こうなると »食 »への欲求が高まってしまう。

煩悩丸出しの私は毎日市場に行っては、魚類を物色物色。

蜘蛛蟹があるからには食べるしかない。

しかも…15ディラムとくれば(150円)…

issawaやtkitika、gnaouaのカルカブの音と、

食べ物が脳の中で入り交じってしまっているのです。

 

メンバー10名+関係者3名も喜んだ、精進揚げと蟹。

リハ、ゲネプロ、食事 dans 料理 cuisine 2012-07-27-23.14.55-300x225

 

みそ旨し 夏日食欲 止められぬ

 

 

 

 

 

 

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怒濤のモロッコツアー

マラケッシュ42度…

メンバーの一人は「暖房消しください。」

モロッコ人も皆大爆笑。

2時間半かけてエサッウィラへ到着。

一年半前に来たときと同じ海の香りははるか何世紀を超えて変わらず、

やはり鰯を食す事に。

7月21日からはラマダン(断食食)がはじまるので、雰囲気も大晦日のような。

ラマダン一日目の夜は、山羊の頭を食べるとしましょう。

 

怒濤のモロッコツアー dans 料理 cuisine IMG_0422-300x225

 

ポルトガル支配下時代の城塞をリハーサル場として提供してくれたエッサウィラ市。
まずは一年ぶりのスーフィー教団楽士、ハマッチャHamadchaとのセッション。
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避難民+スタインウェイ

人の気持ちをくむ、といってもやはりその立場になってみなければ、

わからないもので…

なんとアパートの壁が崩れ落ちる、という災難から(話すととのても長くなるので端折りますが)

家へ戻れぬ人々の気持ちや身体の変化、精神の変化を、

微少ながら味わっております。

部屋に入れるのは雨が降らない時に5分程度。

さすがフランスにて、この家屋担当の建築のエキスパートがバカンスとの事

で、診断判断ができぬまま、家屋に入れる日はいつの日に…

必要なものだけ取って外へ避難したものの、

それらは全楽器類+パソコン+ハードディスク+パスポート。

服も下着も何も、ともかく私はサックスを持って逃げたのだからいいけれど、

調度録音したばかりのピアニストがこの情況と同じ目にあったらどうなったのだろう。

冷や汗が、でる。

 

とはいっても、13区のある、

ドビュッッシーのスペシャリストのピアニスト宅でがんばったスタインウェイ。

地震なき、地崩れなき家で、穏やかな日々を過ごしてくださいね。

 

避難民+スタインウェイ dans 俳句 haiku 2012-06-29-01.43.46-300x225
白雨の 明るい涙 ものみなに

 

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アラブ世界研究所 -Le Corps Decouvert- 身体の発見 part 1

IMA(アラブ世界研究所)開催された »Le corps decouvert »-身体の発見-は、

アラブ世界自体が、そしてその要素となり頭角をあらわすであろう »現代 »アートの、

序曲のような展覧会、でありワクワクする作品たちに出会える観る側の喜びと同時に、

アラブ世界においての本来覆うべき »身体 »— »裸体 »という、 « 西洋的表現 »を、

宗教が国の大きな役割となっているアラブ諸国が一丸となって、

先進国のアートシーンに挑んでいる姿が、伺える。

この序曲の裏には、アブダビにルーブル美術館別館を設立するにあたって、

西洋美術の基に位置する »裸体 »とどのように対応するか、

そんな危惧に対する一つの解決方法、ともみれる。

 

といってしまうのは、あまのじゃくかしら。

 

20世紀初頭にみられる裸婦の習作から展示会は始まり、

« 現代 »アートで幕を閉じる構成は、実に充実していて、

”アラブ »と”裸身体 »のコントラストが、

とても象徴的かつ観る者の好奇心と、

それこそ観るものがアラブの »身体 »を発見する、

という応答が待ち構えているかの如く。

 

現在となっては象徴へのパロディ、そうさせてしまう美術における紀元前からの裸体は、

アラブ諸国によるその追従の先にある新風となり、世界を楽しませてくれると確信。

 

アラブ世界研究所 -Le Corps Decouvert- 身体の発見 part 1 dans あーと art IMG_0325-300x225

 

 

IMG_0317-300x225 dans 時勢 circonstance

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シャンゼリゼ劇場

約十年前にここシャンゼリア劇場で観た、

ミッシェル・ポルタルがやはり演奏した

モーツァルトのそれを思い出すもの、

貧乏学生は桟敷席で音を楽しんだだけ。

そしていまだバルコン席しか買えない、

けれどシンフォニーはやはりライブでなければ

聴いた気がしない。

今宵のそれもジャズとクラッシックの…

今やステレオタイプな出し物だけれど、

小曽根真さんとパリ室内管弦楽団との演奏、

誘ってくださった方からの配慮で、

舞台から3番目の列から視覚的にもに多いに満足。

 

白眉はピアノコンチェルト9番の最中、

中途に現れるピアノ独奏部分の小曽根氏の即興。

団員たちはその即興部分が来る度に、

ある者は如何わしい表情、ある者は微笑んで、

第二バイオリン一番後ろの演奏者は身を乗り出して、

演奏中に拍手はしないもののウズウズしている!

 

3幕は小曽根氏による即興ソロ。

といっても完全即興よりはモーツァルトを題材に、

あらかじめ作曲されたモチーフが展開し、最後のトルコ行進曲のモチーフでは、

多いにジャズ的要素、そう自由な、コードとタッチとリズムと…

ポリリズムの上で繰り広げられるモーツァルト。

シャンゼリゼ劇場は幸福な空気に満たされたのでした。

 

もう一つの白眉も忘れずに、そう、

ラヴェルの「クープランの墓」。

私にとっては、とてもジャズを感じる楽曲で、ハーモニーが身体にしみ込む

瞬間、やはり幸せを感じたものです。

 

 

シャンゼリゼ劇場 dans 時勢 circonstance モーツアルト2-154x300

 

 

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リー・コニッツ 真の即興=声

聴きたいCD、読みたい本を買う場合、
時間が読めて、しかも計画的に入手できるわけだけれど、
図書館でそれらを見つけようものなら、目的のブツを探すのにひと苦労。
だから往々にして偶然に身を委ね、作品と出会うことに、なる。
いまやアーカイブもインターネットを介して事前に
閲覧できるので、図書館に行って、アリマセンでした、
という悲劇は避けられるとしても、やはりひと苦労。
そして、「偶然」のお楽しみの封を開くときのワクワクさ、がたまらない。

 

ピアノとの録音という目の前に課された仕事がなければ、
今まで聴いてきた作品(CDs)で満足していたのだろうけれど、
特に財源が限られた中ではめっぽう図書館にお世話になる事に。

 

いくつものそれらを聴いて是非を問う、という愚行は置いておき、
コンセプトと音の実現性(!?)が合致しているのが、
Lee Konitzs(as)とDan Tepfer(p)のそれ。
自発的楽曲は(敢えて »即興 »とはいわない)、
もちろん全くの自由の上で奏でられ、
一つだけのルールがあるとすれば、12の調で演奏する、ということ。
曲順はドレミ~ではなく、F# Bb A B D G# F G E ….
これ自体がドデカフォニックへと広がっている。

 

さて、リー・コニッツ御歳82歳。
その音は、アルメニアのDudukのように、何の衒いもなく、
彼の »音 »が、そのまま録音されている。
ん?この楽器Dudukはサックスやクラリネットに発展していくのだから、
リー・コニッツ爺のサックスは、まさに先祖返り!!
さすがです。

 

リー・コニッツ 真の即興=声 dans 時勢 circonstance

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スウェーリンク-モーツアルト-シェーンベルグ-バッハ

急遽決まったギリシャ・フランスのピアニストとの録音が一ヶ月を切り、
(またもややってしまった衝動的決断実行…)
(譜面を)書く事を主体として相手との合意、
しかし怠けに怠けた五線譜の上で苦悩苦悩の日々なり。
そこで現実回避、いつも聴いてしまうのが、
Glenn Gouldの1959年のザルツブルグリサイタル。
15世紀のSweelinckから1920-23年のSchoenbergそして1783年のMozart。
そして閉めにBachのGoldberg。
脈絡がないというか、この演目での実況録音とは…
脳天ひっくり返ってしまう。

しかし、リサイタル録音、というのがみそなのかもしれない。
そして、おおよそこのCDはもう、手に入らない、というのもみそなのかもしれない。
貸してくださったM氏に感謝。

 

だめだだめだ、今日も一日24時間のうちの1時間15分をグールドに費やしてしまった。

曲を作らねば_______。

 

スウェーリンク-モーツアルト-シェーンベルグ-バッハ dans 時勢 circonstance 2571448

 

 

Sweelinck

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Josef Albersの黄色

今年1月、バーゼルで開催された倉重光則氏の個展オープニングでの演奏の際、

幸いにして偶然に、Josef Albers ヨゼフ・アルバースの回顧展に行く機会に恵まれました。

そして…嬉しい事にパリでも。

同じ内容、とは思うのですが、バーゼルのそれとは光が、ちがう。

などなどまた別の日に考察するとして、今は菜の花真っ盛り。

延々と続くそれこその菜の花畑はおそらくフランスだけではないと思う。

 

ところで、自家製マヨネーズを作る時、色々試した結果、コルザ (菜種)で作るのが

適した味になる、と最近分かった次第。

そこにすこーしオリーブ油を垂らせば、なんとなく南仏っぽくなり、

ニンニクなど入れた日にはアイオリになり、

しかしニュートラルな味で langoustine(手長蝦)を

食するならばColzaの黄色、で決まり。

 

 

Josef Albersの黄色 dans あーと art IMG_0604-300x225

 

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51.9%対48.1%

バスチーユで、

チュールで、

そしてTVの前で皆が待っていた瞬間、
勝利!
5年間耐え忍んだ、国民の約半分の、勝利!

 

51.9%対48.1% dans 時勢 circonstance IMG_02981-300x225

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ミクロコスモス

ひょんな事から楽譜にたーくさん書き込みのある、

バルトークのMIKROKOSMOSを見つけ、ただ今練習中。

同時に、しばらく読んでいなかった中沢新一氏のミクロコスモスに

目を通すと…

「自分を失うために本を読む」という氏のフレーズが

「自分を失うために練習する」と練習に対して定義を抱いている自分と

なんだかシンクロしてくる。

ちょっと一方的なこじつけかもしれないけれど、

練習は、「維持」「発見」=「源泉への回帰」

 

バルトークはなんとも始原的なタイトルを、練習曲(帳)に

つけたものだと、感心せずにはいられない。

 

ミクロコスモス dans 俳句 haiku IMG_0293-300x225

 

今日は5月3日、八十八夜。

なにものも ミクロコスモス 萌え出でぬ

 

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本場ウイグルUighur の グシュナン

日本ビジュアル・ジャーナリスト協会編でさえも取り上げられていない、

ウイグルの情況を、ウイグル民族の人から、そしてその情況を写真という形で

発表している人から、伝えられる現実。

« 民族 » はEtat (国家、政府)単位では存在しなく、

彼ら彼女は »中国人 »として扱われる。

そんな彼らの胸中を想像すると、こちらの胸さえ苦しくなってくる。

といって、一方の意見を鵜呑みにすることに対し、首肯しかねる事もあるけれど、

このウイグルの問題に関しては…

間違いなく弾圧する背景に経済が直結しているから、

そら恐ろしい。

 

そんな、切羽詰まった話をしながらも、身を隠す様に二人で住む、

16区の屋根裏部屋に迎えてくれたウイグルの姉妹の慎ましく、

そして心のこもったおもて成しは、このグシュナン。

小麦粉で生地を、中身は、回教徒のウイグル人は羊を使うけれど、

そう、16区ではHalalも羊の肉も、なかなか手に入りにくいので牛肉に、

野菜を炒めたもの。中国語ならば »肉包 »、といったところ。

 

本場ウイグルUighur の グシュナン dans 料理 cuisine IMG_0185-300x225

 

 

木箱をテーブルに、クロスは妹のスカーフを。

音楽の話、弾圧を受ける村の人々の話、とにかく仕事を探している…話。

 

5月6日にせまった大統領選を間近に、自分がこの地球上でなにが出来るのかを、

改めて考える。

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イタリア-ブリュッセル〜ブラジルへ

大阪の演奏会場に忘れてしまったというヨガマットを渡しに、

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演奏のために行くブリュッセルへの列車乗り場の北駅にて。

 

日本と来た時と同じ容量の楽器と荷物で

イタリアから一昨日戻り、今日はベルギー、

そしてそのままブラジルへと演奏へ赴くバシール。

 

涙ぐましいかな、関西空港での一件から一夜、

カマレンゴニのネックヘッドを少し切り落としていた…

「先が尖っていたり、ケースからはみ出ていると、

第一印象で »槍 »とか思っちゃうかな、と思って…」

 

そしてどこの楽屋でもヨガマットを敷いて演奏前のストレッチを

念入りにしていた姿を、思い出す。

 

お寺の畳の上で、

Jazz Barでの演奏の際楽屋になった2階にある、人のアパートで!

関西日仏学館のさむ〜い教室で、

ギャラリーの事務所で、

懐かしいなあ。

 

本当の意味での世界中(北半球ばかりでなく!)に

響かしてくださいね、君のンゴニと歌声を。

 

Bon Concert !

 

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出汁に返り

祖母の家に行けば、冷蔵庫にいつも入っていた瓶の中身は、

昆布と煮干し、または昆布のかつおの出汁、だった事を思い出す。

視覚的思い出だけでは味覚がよみがえりはしないけれど、

蓋を開けた時の、子ども時には何の興味もなかった香りが、

今は毎日の生活にどうしても必要、とくるから面白い。

1Lの出汁を一人一週間で使い切る。というのも、

美味しい八丁味噌を入手たしたからで、

郷土愛(郷土臭)を全面に出す訳ではないけれど、

やはり赤出しは、おいしく毎朝の必須食。

週の間にはフランス料理教室の助手

(というと、たいそうな感がするけれど、

実はひたすらの洗いもの、下準備の補)

で味見する季節のフランス野菜の旨いこと。

白アスパラガスは、

手作りマヨネーズを軽く仕立てるに、

レモン汁と脂肪分を押さえた生クリームとシブレット。

 

出汁に返り dans 俳句 haiku IMG_0176-150x112

 

フィレミニヨンのオレンジソースには生姜と胡椒をたっぷりと。

柔らかいけれど脂身の少なさをバターで補い。

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となるとワインが、すすむ。

 

 

翌朝は、やはり出汁を欲する身体。

身体は身体だけれど、

辰巳芳子氏が云ふように、朝頂くお汁は、「心から心への印象」なのかも。

 

遠近の 湯気は出汁から 春の朝

 

 

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ペンタトニックと12音階の間で

自作を出した後でその作品を自分で云々いうのは、なんだかナルシスト的行為で、
虚しくもあるのですが、私なりの産みの苦しみ、というか、
« いわゆる » 民族楽器とジャズと、そしてフュージョン的に、
2011年に作ったCD「Out Of Place」を受け止めてもらいたくないなあ、
そういう、もやもやした気持ちを »解説 »という方法で、
2曲を例にして挙げたいと思います。
(といっても全ては受け止める人によるのですが。)

まず、一曲目の「Ce palot fou」
曲名からして「Out of Place」のアナグラム、
へそまがりな曲です。
そしてPalotは俗語(もしくはラルゴ)なので、
仏語辞書には載っていません。
ディープキス、という意味ですが…

イントロを除く4拍子のベースラインの上で、
テーマ、ソロ、西アフリカのリズムバリエーション、そしてパーカー的リフが
繰り広げられるわけですが、テーマの中に実は12音階を埋め込めています。
バラフォンとカマレンゴニはペンタトニックなので、どの曲をこなしても、
結局は同じ帰結、を回避したいというか、ペンタトニックの中で浮遊感を感じたい、
と思ったら、12音階が登場してしまいました。
何だかお釈迦様の掌にいる孫悟空の気持ちでもあります。
未だもって世界は、西洋とアフリカ、西洋とアラブ、西洋と…云々
の図式で成り立っているようですが、
ひとたび音を放つ、2000年代に私たちができる
(今や音楽的タブーの重きはなくなりつつあると仮定して)
生きた音楽としての表現は、その図式も音という時間軸の中で、
共に旋回できることを実証した、といったらどうやら大げさですね。

そして5曲目の「Mai Kasireta」

これが曲者です。5拍子ですが、演奏者5人とも一拍目が違うのです。
ですから個々が責任もって拍子のフレーズを保ち、その上でアドリブをしないと、
大渋滞というか、交差点での大事故が起こってしまうのです。
特に肝心なのが、CDの中でも唯一ウードが唱う場面であるイントロが終わったあと、
一気に盛り上がり、皆が同時にinになるところ。
一見ポリリズムに聴こえる要素は、この構造的な意味での底辺が、
演奏者全員に委ねられているところ、と言えるでしょう。

この2曲を例にして言いたかった事は、
当初各々が出来ることを持ち寄り、5人で演奏する事によって何が生まれるか。
がバンドのテーマでしたが、
しかし蓋を開けてみたら、5人が円心を目指し努力する
(日本的な言い回しですね)姿になっていたのです。
これが、歩み寄りでなく何であろう、ということです。
そうなると、一般的な民族やらジャズやらというキーワードは、
悲しいくらい無意味になる、と思いました。

さて、

Bala Deeというグループをもっと続けて行きたいのですが、
5人集まれば何とやら、
どうやら演奏の機会は少なくなりそうです。。。

これも、結局は西洋とア×××、という図式に私たちが苛まれている故なのでしょうか。

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ベトナムより、Ensemble Nguyen Vinh Bao、そしてあごだしのお吸い物

2012年、Kyの日本ツアーにご協力頂いた本当に多くの方々、

心よりお礼申し上げます。

お名前を全て映画のエンドロールに載せたならば、通常の大凡3分を超えるでしょう。

 

 

帰国の翌朝AM10時30には、パリ滞在中のミュージシャンに

市内のCDショップを案内する、という

奇妙なミニツアーを敢行。

そう、パリの4月は春時雨。

しとしとしとしとと、音もなく降る雨の中、

自分が売ったCDは街の小さなレコード屋さんで還元するという

心強いこのミュージシャンに逆に私が連れられてしまった

CDショップの穴場とは…

中世美術館の前Gibert Joseph.

店内にてアフリカばかりに目を取られていたら、

「これを、僕は勧めます。」

Nguyễn Vĩnh Bảo Ensemble

ベトナムより、Ensemble Nguyen Vinh Bao、そしてあごだしのお吸い物 dans 俳句 haiku ensemble-Nguyen-Vinh-Bao-300x300

ベトナムのポリフォニーは縦横無尽に…大変な音。

わわわ、これは早速推薦者にお礼の一筆といかねば。

 

さて、

ジム・モリソンのお墓の近く、

我らsouffle continueへ、

パリ来訪の際は必ず寄るらしく、一足店内に入ると店員の敬意溢れる、

ビンボータワーへ。

お買い上げは重たそうな、そしてちぎれそうな袋、袋、袋。

お別れの時間まで、飛行機と楽器の話を、

氏の経験値から分析。(まさにラディカル人生です、空港での拘留経験2回!)

音楽人生のためにここまでやれる音楽関係者(インタビュアーとか、

評論家とか、呼び屋、とか…)いるか否 !

 

引続きの仕事は料理教室にて、時差ぼけが始まりそうな18時30分。

カロジェのワイン一杯、景気付けに、そしてああ、美味しいワインとはこれだ。

目を覚まします。

 

きんぴらに、春のアスパラと海老のサラダ、豚しゃぶを生徒さん達と作り、

(生徒全員豚を食せるとの事で安堵安堵)

仕事終了。

 

帰路につけば、H氏に触発され購入したレコード8枚と、日本でお世話になった方から頂いた、

「あごだしのお吸い物」を啜り、至福のリスニングタイム。

 

 

 

春霖は 帰路急く一人 訳ありて

 

 

 

 

 

 

 

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朝7時、再び成田空港にて

今回のツアーに限らず、ああ、何度成田空港に来た事か…

その度に、しつこいようだけれど、「Kashima Paradise 鹿島パラダイス」

という映画思い出す。

今、この空港を使う私たちのために犠牲となった人々、そして自然を。

近い将来、日本で上映させますよ、この映画!

 

怒濤のツアーと、手荷物の交渉などで心身共にボロボロになったけれど、

けれど、一人で飛行機を待つ間に飲むアサヒビールは格別、ただ今朝の7時30。

今日は湯島俳句会の投句〆切日。

また駄句の投句となり、反省反省。

 

世の中は、何もしなくても回るけれど、

誰かと何かを共有できる時間を得るために、

何かをする、自発的行動は続けて行こうと思う。

 

 

朧見て ただ頬つたふ 涙かな

 

 

 

 

 

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エールフランスから、悲しい贈り物

AM7時、無事に京都を出発し、関空へと向かいます。

フライトは、11時20分。

AM9時、関西空港着。

荷物は一個23kgの規定に従い、

小さな茶色のスーツケースと、バシールの大事なジャンベを一緒に括り付け、

2個を一個の荷物にします。計23,5kg。

 

さて、バシールはフランスを旅立ったとき、カマレンゴニを機内に入れ、

無事4月1日に成田空港に着きました。

何度も、何度もこうして機内に楽器を入れてもらい、

海外で演奏をこなしているミュージシャンです。

 

 

AM9時40分、チェックインカウンターにて、

エ「お荷物は規定の長さを超えるため、機内には持ち込めません」

バ「フランスからの飛行機では可能でした」

エ「本日は満席なので無理です」

 

幾度と、私はこの光景を目にしたことか、

トルコでは楽器を裸にして機内に、

韓国ではコックピットに楽器を、

アメリカではペダルの検査に一時間…

 

バ「パイロットと話をさせて下さい」

エ「それはできません、この状況での責任者とお話しください」

 

バシールの限りない努力、説明、経験。

そして、

関西空港エールフランス責任者、伊藤氏によるこの言葉。

「Je veux pas parler avec vous」 「私はあなたと話をしたくありません」

 

 

10時20分、搭乗時間20分前にして、カウンターでのこの押問答に決着をつけるべく、

ひとつの賭けに出た。

その結果、エールフランスの職員は、なんと通訳担当の女性を使い、

セキュリティチェックまで全速力で走らせ、

「その男性を捕まえてください」

AM10時40分、既に搭乗時間になる。

この時点でもまだ、

エ「本日は満席なのでお手荷物は入れる事ができません」

しかし、

しかしです、実は一席空いているのです。

なぜなら私はバシールと同じ飛行機に乗るチケットを破棄したのですから。

そしてセキュリティチェックでの検査官に取り囲まれるバシール、

私の後ろには日本人の、やはり同じ飛行機に乗るであろう女性が、

「もし私たちで何かあの方の手荷物を持って行けるなら、お手伝いしますが。」

 

この瞬間、完全に私の琴線が、いや緊線が切れたのです。

エールフランスの職員に叫び訴え、訴え、

なぜヒューマニティーが通じないこの状況になってしまうのか、

理不尽、そして、全てはお金でしか解決できない現状をバシールが感じた時、

「僕は楽器を置いて行きます、そして飛行機に僕だけ、乗ります」

と決断。

ミュージシャンが、特にアフリカのミュージシャンが自分の楽器と

一緒に飛行機に乗らないという決断の重さ…

 

あんなに素晴らしい演奏で、9日間のツアーを乗り切った彼への、

日本人からの贈り物は、 »愚弄 » でした。

 

瓢箪と山羊の皮でできた、

長さ138cm、幅45cm、重さ約5kgの楽器を、

私はなんとしてでも彼の元に持って帰らなければなりません。

彼の演奏を待つ人々がパリにいるのですから。

どうか、どなたか、この1週間の間に、

パリ行き、ビジネスクラス(エコノミーでは同じ問題の繰り返し)に搭乗する

知人ご友人がいれば、ご一報ください。

openmusic.jp@gmail.com

 

お金もない、コネもない、個人招聘の不甲斐ない私を、

バシール、許して下さい。

 

 

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ヤン・ガルバレクとバシール・サノゴ

バシールと演奏する喜び、毎日毎日膨らんできます。

そして恋に落ちてしまうくらいな彼の歌声、音を紡ぐ柔軟性…

それは、純粋性。

方々満員御礼を頂戴し、昨日は名古屋aster jazz。

オーナーのパパが、セロニアス・モンクと一緒に名古屋駅で映っている、

アート・ペッパーと一緒に、トミー・フラナガンと、

そして紙のリボンを付けた

カウント・ベイシーと…

aster jazzの音の回りのよさは、

そんなジャズジャイアントのソウルが漂っているのかも。

 

 

帰りの車中で、Trilok Grutuとのツアーの小噺に、

バシールの純粋性に魅かれたミュージシャンの気持ちがよぉく分かる。

そして、ヤン・ガルバレクの人間性溢れる音楽を彼が語り始めた時、

麻 「あれ、でもなんで知ってるの??」

バ 「一緒にプレイしていたから。」

 

バシールよ、早くそれを言ってくれーーーー!

 

西洋人がこれは価値のないものだといって、

アフリカのシーアバターをわんさかお国に持ち帰り、高く売る。

当のアフリカの人々はその事さえ知らず、しかし知ったとしても、

淡々とシーアバターを生活の中だけで使い続ける。

資本主義のそれとはかけ離れた、彼らの生活に対する純粋性。

バシールの音は、大地と生きる、そして人間が大地と共に生きる時にしか

出すことのできない、聴く事のできない、音。

 

その大地を、音楽評論という世界はどう文字で言い表するのだろう。

 

 

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