Archive pour Non classé
4 avril, 2017 @ 1:06
· Classé dans Non classé, 料理 cuisine, 時勢 circonstance, 音楽 musique
イタリアはエミリア=ロマーニャ州モデナ。
アナーキストFabrizio De Andréが歌うピエロの戦争とはどの戦争のことだろうか。
豊かな土地、豊かな食材、豊かな交わり。
カテドラルのすぐ後ろの広場には大きなシナゴーグ。
200年?300年もののバルサミコを一滴口にふくめば、
あゝなんとこの世は刹那なものよ。
イタリアの音を36分でかけめぐる放送はこちらから⇩
http://openmusic.kyweb.fr/openmusic.jp.net/openradio/entori/2017/4/3_pierono_zhan_zheng.html

コムナーレ劇場は、モデナ出身のLuciano Pavarottiの冠が名前についています。

幼馴染のあかねちゃんが切り盛りしているバルサミコ酢醸造所。

街の市場でマンマたちが売るモデナの郷土料理トルテッリーニを、
パルミジャーノ・レッジャーノと食べるうまさ。

朝日がヨーロッパの大地にあらわれるパリから11時間の電車の旅。
Permalink
14 mars, 2017 @ 3:48
· Classé dans Non classé
昨年の夏、La Gacillyという町で開催された野外写真フェスティバルに行きました。
そこで目にしたものは、日本の姿。植田正治さんから福島へ。
野外に展示してあるこれら一枚一枚の写真は、
これらの写真を観るために訪れる人々を待っている。
話題の映像+ドキュメント展示会場LE BALでは、
「Provoke」という1960-1975年日本の写真家によるエクスポジション。
3月11日夜、満月は煌々とレパビュリック広場を照らしていました。
日本の地で録音された音が聞きたくて、今回の放送はこんな感じの放送です。
http://openmusic.kyweb.fr/openmusic.jp.net/openradio/entori/2017/3/12_mimoza_lan_man.html




Permalink
26 janvier, 2017 @ 23:33
· Classé dans Non classé, 時勢 circonstance, 音楽 musique
まいった、まいったまいったまいった。
どうにもこうにもそれでも続く生活という現実にまいった。
新年始まってこの方フランスは旱なのです。
マイナス3度でもカラッと晴れた冬日和に申し分はないのですが、
しかし空気に反応して心までカラッカラというのは困ったものです。
すこしの湿りを求めてひたすら歩く毎日なのですが、
ひとりで歩くというのは…
とことん歩くしかないのでしょうね。
次回のopenradioは1月28日新月。
この日は、月と共に生きるものにとっての新春。
そう、立春を目の前に旧正月といきましょう!

歩く先に突如と現れる光景

ロバのにゃんにゃんとのひと時

canはconと発音するのだ
open radio 2017年1月28日放送はこちらから↓
http://openmusic.kyweb.fr/openmusic.jp.net/openradio/entori/2017/1/28_xin_yueha_jiu_zheng_yue.html
Permalink
29 décembre, 2016 @ 17:53
· Classé dans Non classé, 時勢 circonstance, 音楽 musique
Permalink
4 juillet, 2016 @ 18:42
· Classé dans Non classé, あーと art
歩いて、歩いて、サハラを歩いて何万里。
井戸なき砂漠を歩いて900km。
ラクダと、杖と、喉を潤すにカマンベールとレモネードの夢をたずさえて。
ある日フランスの小さな村の小学校にやってきたThéodore Monod。
モーリタニアの砂漠ですれ違ったというこの村の住人である映像作家が、
村の小学校でテオドールじいちゃんの話を、子供たちと聴こう、
と提案。校長先生も大賛成。
あるふとした時に、このじいちゃんの姿や、おぼろげな内容だけれど、
物事の本質のような”何か”を、質感を、子どもたちは思いだすかもしれない。
学問は教育機関を携えて?
日々喰うための仕事?
研究者としての”自分”より、歩く自分を選びサハラ砂漠を行き、
その感覚をもってこの学校へも訪れたのだろうか。
博物学者であり生物学者、IFAN研究所所長や博物館教授である
彼の調査は学問の範囲で書物となり、専門的な範囲で審判にさらされる。
しかし彼の砂漠での調査とは、その調査の先にある、
生きとし生きる人々の、こころに届ける »お話 »なのだ。
だから、この老爺を、じいちゃんと呼びたくなるのだ。
きっと、モーリタニアの人々もひとつの愛情の形として、
彼をそう呼んでいただろう。


この村を訪れた日本人作家はドリアン助川さんという。
Permalink
6 mai, 2016 @ 1:55
· Classé dans Non classé, 俳句 haiku
ブルターニュ、23時。
村は真っ暗、電灯は皆無。
港の灯台が遠く瞬く。
空は新月。
すると、空は星たちの光で溢れる。
こぐま座、金星、みずがめ座η流星群。
すると、呼び起こされる映像は、チリの映画監督パトリシア・グスマンの
「光のノスタルジア」と「真珠のボタン」。
薄暮に浮かぶひこうき雲を見ながら、この得体の知れぬ機体に乗る
わたしたちの日常を思い浮かべながら、
生身の人間は、星のひかりに身をゆだねるしかない。

惜春や瞬く星のそば去りて
Permalink
19 mars, 2016 @ 2:06
· Classé dans Non classé, あーと art, 俳句 haiku, 時勢 circonstance
東海地区の土は、その昔何万年を経て粘土質を有し、
今に焼きものを支えている。
常滑、瀬戸、信楽(滋賀だけれど地の流れとして)…。
そこに、おそらくあまりメジャーではないけれど、
ひっそりと歴史を刻む焼き物、それが萬古焼。
父にいわせると、子供時代四日市の街には、
煉瓦でできた四角い工房の煙突が立ち並んでいたそうだ。
戦中生まれというからには、戦後の風景は現在へと変容したのだろう。
この萬古焼のデザインアーカイブを目的にできたのが、
BANKO archive design museum
陶芸家である内田鋼一さんの私設美術館となる。
これがすごい。
おそらく世界でもっとも小さな美術館。
思想がある。
小さな世界から、大きな世界を俯瞰できる、美術館。
設立にあたり刊行された図録を見ていると、
「この人高校の同級生だ。」と父がいう。
小さな美術館の窓口となるHPや紙媒体のイラストを描いた、大橋歩さんだ。
土地に生きる、生きたひとが、支えている。
春霞萬古の里に煙見ぬ


工房があった界隈には神社が。
土の神さん、焼き物に携わった人々、みな一様に楠木が覆う神社にいる。
Permalink
1 mars, 2016 @ 4:18
· Classé dans Non classé, 俳句 haiku
ないおつむを使おうにも使い方もわからず、たまに使えばショートして、
調べものを探しに法学部生が使う図書館にいけば、
利用者の脳みそが館内に充満しているような空間に圧倒され、
1954年の雑誌の一部をコピーし、いざ帰路へ、と図書館出口付近にあったものは、
17世紀に綿布に描かれたヨガのポーズの数々。
このあたまとからだのバランスに、救われる。
救われるが、一向にあたまの回路はつまったまま。
草木萌出今日この頃、ないおつむから何かは生まれ、出口に辿り着けるのだろうか。
下萌やいまは辛抱あと少し

Sainte-Geneviève図書館内の集中力は凄まじい。

南インドで描かれた、29のポーズ
Permalink
20 février, 2016 @ 16:52
· Classé dans Non classé, 俳句 haiku, 料理 cuisine
実存的な音は、ぷくりぷくり。あるいはプスプス。
白菜キムチの、生きている証拠が毎日の音で確認できる。
人類は食べることを基本に、この世に何万年。
それを支えてきたのは発酵食品、と近年話題になっているような。
芥子菜を塩で揉む。それがふつふつと発酵作用をおこし、
水でちょっと塩気を落して刻んですり胡麻。うまい。
赤い小粒のラディッシュをフランス人は塩とバターで生をかじり、
葉が新鮮であればスープに。
しかしこちらも塩だけで揉めば、さっぱりした箸休めになる。
両者新漬の方法。
西アフリカにはスンバラSoumbalaという
日本でいう味噌、あるいは大徳寺納豆のような食材がある。
ネレの木の、莢の中身を乾燥→発酵させたもの。
これと合わさる味は、干し魚。
旨いソースを作るに必須であるこれらの材料からできた
料理の味わいの中に感じるノスタルジー、
それは鰹出汁+味噌、の風味。
発酵の原理は進化ではなく、偶然性をもった必然的流れ、
の中で生まれたのではないでしょうか。
偶然に対する好奇心、が発酵と共に生きてきた私たち祖先の生きた証。
ブルキナファソの母さんに教えてもらったオクラソースは、
とうもろこしの粉を餅状にした、トーと食す。
玉ねぎからの旨味、トマト、スンバラ、魚、唐辛子。
そして今やマギーキューブを入れることで味になる、そうだ。
ネッスルのマギーキューブNestle Maggiに支配された舌を、
人類の進化と呼ぶのだろうか。
白菜を洗うアジアの女たち

漬けて一週間目。
タッパーの蓋は毎朝発酵により膨らむ。

オクラソースは西洋人にはやや不人気。
ひとつに香り、ひとつにネバネバが難点のようだ。
Permalink
10 février, 2016 @ 15:07
· Classé dans Non classé, 料理 cuisine
例えば晩秋に採った柿を干し、正月のなますへ加えるとする。
プラムと子羊で少しアーモンドも散し、タジンとする。
鴨との相性は紋切り型のオレンジのソースとする。
あまいものとしょっぱいものの組み合わせは、
雉の場合、スグリの実、とするそうだ。
ジビエの季節はやや過ぎてしまったが、
市場で見つけたという雉の料理を教えてもらった。
決してシンプルではないが、その調理過程が
食卓の皆の笑顔となるからには、やりがいのある半日仕事、となる。
1) 内臓を処理し、熟した(フザンタージュ(肉を熟成させること))雉
の腹の中にスパイスを塗る。
(クローブ、シナモン、ねずの実、パプリカ、塩、胡椒..etc)
2) ココットにバターを入れ、雉丸ごと表面に焼き色を付ける。
焼いた鍋に赤ワインをカップ1杯、ブイヨン300ccを入れる。
刻んだ人参、玉葱を入れ、約1時間煮こむ。
3) 肉を鍋から出し温かいオーブンで熱を保つ。
煮込んだ野菜を漉し、ソースにする。
4)小鍋に3)のソースを煮立て、スグリのジュレ(大さじ3)を
入れさらに煮立てる。
5)小麦粉大さじ5とバター大さじ3を常温で混ぜ合わせ、
4)のソースに少しずつ加える。
常に泡立て器でソースを立ち上げる様に混ぜる。
6)雉を切り分けお皿に盛り、ソースをかける。
鶏肉では味わえないジビエ独特のうまみが、スグリの実の合わさる、うまさ。
もちろんシンプルに塩で焼いただけがいい、という人物もテーブルにはいたり。
しかし雉の肉は塩で焼くだけではやや野性味が強い。
それもこれも、好みで。

鴨同様、ジビエの鳥にも柑橘類が、合う。

この時期どこをどう探しても生のスグリはないので、
ジュレになったものを。

bourguignon同様、うまいソースを作るならばうまいワインを惜しみなく。
ということでソースに使った赤ワインは、
MédocのLa Cardonne2008年となる。
Permalink
4 janvier, 2016 @ 1:10
· Classé dans Non classé, 俳句 haiku, 時勢 circonstance, 音楽 musique
虚無に満ちあふれるこの時勢。
何望むでもなく、しかしこの村の人々は、ただただ五穀豊穣を、
あるいは土地柄海上安全を祈りとし、
年の始め1月2日に海の神さんへ三番叟を捧げる。
何年も何百年も受け継がれし人形の、お面が入った重箱の中身を、
それを抱える爺さんに尋ねれば、
「知らぬほうがいいものよ」
とけたけた笑いながらの返答。
今日喰うものがあり、海穏やかな、しかしそれ以外に何もない、
豊かな生きる営みが、伊勢志摩は安乗という漁村にある。
初舞や凪の応じて三番叟

いざ海へ

祝詞、玉串奉奠と続き

父尉の舞

鼓に笛の音も、空に舞ふ
Permalink
29 octobre, 2015 @ 15:14
· Classé dans Non classé, あーと art, モロッコ スーフィー教団ハマッチャ Hamadcha ou Hamdcha, 俳句 haiku, 音楽 musique
日本での演奏を終え、フランス組、レバノン組それぞれの地へと帰り、
日本組は最終日公演東京根岸の下町から、西へ西へとモロッコは
エッサウィラへ、アシュラ祭りへ趣いた次第。
Good Bye Schlöndorff を各地で協力していただいた皆様、
来場いただいた皆様、ありがとうございました。
メディナの路地で児等が、タリージャという、
陶器と山羊の皮でできた太鼓を叩き、
モロッコ各地で使われる何万個というこの太鼓はこの日、割られる。
それは、土と皮でできた楽器の再生を次の年に残し、再びお母さんたちが作る、
楽器の運命。
来年も、そして今いるこの子ども達が大人になって、
また子ども達に与える様に、楽器を通して人の営みは続くのだ。
カスバゆく秋意を揺らす太鼓の音

イスラム暦新年から10日目、モロッコのアシュラ祭では
子ども達がタリージャを叩く

孤児院ではアイサワ(スーフィー教団)が奉仕演奏

エッサウィラ、老夫婦が港に佇むという現実。
その横でHassan Hakmounが撮る映画という虚構。

数ある中から鳴りのいいタリージャを選ぶ
Permalink
15 août, 2015 @ 14:12
· Classé dans Non classé, あーと art, 俳句 haiku
目下ポンピドゥーセンターで開催中のMona HAOTUMモナ・ハトゥム展での
白眉はなんといっても、「地図 map」である。
なぜガラス玉なのだろ?
「この地図には国を表す国境が示されていない
ふとした衝撃により容易に崩れてしまう危うさを表現した」
なぜ透明な、ガラス玉なのだろう?
世界に光があたる様に、世界が光を吸い込むことができる様に…
こういったメッセージは観る側が感じることで、
しかし芸術におけるメッセージ性を言葉で表すことの
安易的具体性さと可能性の間で、いつも表現者は逡巡する。
この作品の配置は「展示空間に任せる」とある。
よって透明のガラス玉からなる地球の地図には、
光が当たるのか、背景には何があるのか、
上から観るのか、水平線上に配置するのか、
色々な可能性がありながらも、展示会場の制約された場の中で
如何様にも表情をかえる。
この作品、日本は金沢21世紀美術館のコレクションとあるが、
どのような展示がされているのだろう?
できれば、輝く世界であってほしい….
立秋や東の果てに斜陽尽き

西にモンマルトル・サクレクール寺院
東にBogignyの団地群。いわゆる郊外の…
この東にモスクが建っていると想像すると、ワクワクする。

ならば日本各地の除染土壌袋は!

ベイルート、カブール、バグダットの都市地図=爆撃のあった地点
Permalink
18 juin, 2015 @ 0:55
· Classé dans Non classé, 俳句 haiku, 料理 cuisine
西アフリカでバンギーと呼ばれるパームワインは、
その飲んだ時の表現が確かミッシェル・レリス著「幻のアフリカ」文庫本の、
真島一郎さんによる解説に出てきた覚えがある。こんなくだりだったと思う。
「レリスとおなじく私もまた、初めてヤシ酒(バンギー)を口にしたとき
「精液の底味」を舌先に覚え…」
ブルキナファソで始めて飲んだ時の感覚が蘇る。
ここカンボジアでもヤシ酒を飲む様で、シェムリアップ(アンコールワット遺跡の
地)で仲良くなったバイク車の運ちゃんに誘われ、マキ(林より小さい茂み)にある
村の集いの場でこれを味わせてくれることとなった。
街を離れ、村の様な場所ここは、地元の人々が長閑に過ごす、とでもいうか、
観光客の足はここまで届かない雰囲気だ。
一晩前にヤシの汁を採り、翌日の昼まで醸造させ、
その日の20時まで飲むものである理由に、
僅かな時間による醸造であるからしてお腹にくるそうだ。
これが街で見かけない理由、観光客にもあまり提供しない理由なのかもしれない。
昼の14時はイベリア半島よろしくシエスタといきたいこの地の気候の中、
特に若者がマキに集まり、ところで私を連れて来た運ちゃん然り、
昼間から白濁したヤシ酒を飲む。一緒に。
アルコールはきわめて低いためバケツ一杯を何杯でもいけそうだ。
実際この飲み物はバケツに入れられている。
つまみは川魚の素揚げと鶏のレバー。
一緒に出てきたソースは、やはりヤシ酒が酢になったものだという。
給仕の女性は自作の酢、何年ものとやらをペットボトルに入れ、
帰り際私に持たせてくれた。
これはどうやらカンボジア料理を深く知るきっかけになりそうだ。
どの土地にあっても、人間一人一人の毎日のこの瞬間をどのように共同できるか。
それは極めて個人的な経験になるであろうし、個によって形成される関係だ。
そして彼と私の間にはバンギーを介した瞬間、
”運ちゃん”・”お客さん”という関係はなくなり、
ただただうまい酒を飲み交わす”仲”という、
互いの内的体験が今という時をつくったのだ。

ヤシ酒で乾杯と相成る。
カンボジアのものは西アフリカのものより炭酸が弱いようだ。

クメール語ではカテーチューと呼ばれるヤシの酒

肴は外に出ている炊事場で作っていた。

米酢に似た、しかし酸味はよりまろやかなヤシ酢
麦酒とは似て非なるかなヤシの酒
Permalink
19 octobre, 2014 @ 11:20
· Classé dans Non classé

2014年秋のツアー告知videoがyou tubeにてアップされました。
やはり映像の伝える情報量に感謝。
そして »想い »は映像を通して伝わるのか、という試み、でもあります。
どうしても、76年のフランス北部の炭坑夫の労働する姿と、
日本で黒い袋(ポリ袋ではないことを願う)へ土や枯葉などを入れている
作業員の姿とが、重なってしまうのでした…
共存す刈田と除染どこへゆく
Permalink
2 septembre, 2014 @ 15:07
· Classé dans Non classé, 俳句 haiku, 料理 cuisine, 音楽 musique
54年生まれのお祝いの演奏は、
60歳を迎え、なお仕事に励むフランスの友人たちへ。
私の主治医はじめ、映画編集者、インテリアデザイナーに歴史の先生、
主婦もいれば未亡人も。すべて女性であるのも、面白く心強い。
なかでも歴史の先生フロランスの旦那様はブルンジの方。
お子さんが生まれてから母国に帰ろうとしていた時、
ツチ族により大統領が暗殺を機にブルンジ内戦が起り、
フランスに留まらざるを得なかったと。
ネストールさんの、東アフリカ特有のチャコール色の美しい肌、
華奢なからだからはどことなく愁いを感じる。
母国を想い、抗うにも何に対して抗うのか….
楽器を車に積んで、ヨハネの黙示録のタペストリーで有名なAngersから
東へフランスを横断。
白ワインがうまいVezelay辺りからブルゴーニュに入る、
すると景色は連なる葡萄畑の丘。
小さな教会がある村から村へ、途中ロワール河の岸で休み、
すれ違う車もない道を走る。
遠くに見える断崖はブルゴーニュ産の良質な石切り場だ。
普段はパリに住む彼女たちの田舎の家々は、農家を改造した、
工夫にあふれるインテリアに。そして村の人々との共同体という意識を
しっかりと持ち、野菜は庭で、肉製品は週に一回村に来るトラックで、
チーズやワインは隣村の酪農、ワイン製造業者から。
庭のりんごはもう赤くなりはじめ、ミラベルはちょうど食べごろ、
ラズベリーやプラムとジャム作りに精が出る。
おおよそ50名ほど集まり、ラベルのないシャンパーニュは
友人の友人がつてで入手した、都会では味わえない、味。
ヴァイオリン、ギター、サックス、ベンガルの歌手による即興演奏は、
朝4時まで続く。
翌日は村に住む人々の家に招かれ、一杯、自慢の畑で二杯、庭で休憩三杯…
うまいワインと食事でたっぽたぽになった腹と楽器を抱えて乗った列車。
帰りの車窓から見える、ブルゴーニュの刈られた麦畑は秋の予感。
麦跡を車窓に追ひし秋の色

宴の後、静寂午前5時

パーティの翌朝でも庭には洗濯物が

1954年生まれ!

50人分のクスクスを作った台所
Permalink
25 juillet, 2014 @ 11:38
· Classé dans Non classé
12時55分、ナイル川の中州を抜けて、楽器街に着けば、
街中にアザーンが鳴り響く。
道路右左、商店からは、ラジオからのアザーンが聴こえてくる、
ともすればマルチチャンネル音響、アクースマティック状態に!?
職人が構える楽器工房はめっきり減ってしまい、その代わりに電子キーボードや、
ギター、見た事もないような金管楽器類がならんでいる店などなど。
たった3、4日居ただけで、その国、街さえも理解には及ばないけれど、
けれど、生の営みは変わらず行なわれている、と感じることはできるもので、
何千年昔もやはり、楽器を造る者、奏でる者、太鼓の皮を張り替える者etc…が、
ここを行き来していたんだろうな。
そうやって今にある楽器、ウードの果てしない完成形としての姿に、
惚れぼれしてしまう。それは、ある普遍、とも言えようか。
市場の中を迷いつつ、コシャリ(これぞエジプトのファーストフード、
米+パスタ+ソース)を露店で頼み、これまた行き交う大人、子供に笑われながら
食す我姿は、彼らにどのように映っているのだろうか?
ファーストフードといえば、空豆のコロッケ、ターメイヤには、
本当にお世話になった。
腹が空けば10円ほど握ってタメーリャをパンに挟んでもらう。
きっと女性が露店で一人で頼む食べ物ではないのだろうが、
作り方をじっと見つめる私に、おじさんたちは快く、揚げ方、練り方を
披露してくれたものだ。
であるからには、早速自分で試作せねば。

楽器街の一風景

カラフルな香辛料とともに

露店には殿方ばかり立ち食いの群れ

うちの店のがおいしいのよ!
今日もまた揚げ鍋の前汗拭う
Permalink
24 janvier, 2014 @ 14:33
· Classé dans Non classé, 時勢 circonstance, 音楽 musique
なぜなら「自己責任」という言葉の操作で、
マジョリティーはマイノリティーを糾弾する術を知っているから。
「知る義務」を全ての者に課すべき国は、それを「知る権利」と
置き換えることで、知りたい人はがんばって「知る権利」を獲得して下さい、
とほんの少しの権利を与える。
この逆説的操作を使い、「義務」をさせてもらえないのが
古今かわらぬ私たちの状況。
だから「知ろう」とし、一線に出向く者の獲得した「知」は時に
マイノリティーの前で提示され、決して当事者の過ちではないけれど、
「過誤」と呼ばれる国にとって不利な面(例えば人質、例えば邦人拉致)
が提示されれば「自己責任」という方法で
「権利を獲得するために”自分勝手”に行動した者の責任を、国がとる」
と声を大にして、実は国がマスコミを煽る、連鎖反応。
JVJA日本ヴィジュアル・ジャーナリスト協会の豊田直巳氏が訴える、
「それでも私たちが「閉ざされた声」を日本に届ける使命をもっているのは、
戦火と暴力のもとにあって、しかしなお、遠く海を隔てた日本に暮らす彼らの
共感と共鳴を期待するから。」それは、「連帯」だ。
今の日本の状態を、世界に知ってもらいたい、と思わないだろうか。
大戦中の悲惨さを、どこかの国の人にも知ってもらいたい、
広島の原爆を、より多くの世界の人に知ってもらいたい、
二度と起こってほしくないから。
知りたくもない、興味ない、という人も当然いるでしょう。
しかし、以下松村洋さんの云う様に、実は、権利でも何でもなく、
知ることは、この世の中に生きる上での「義務」だということです。
ミュージックマガジン2月号のPoints of viewからコラムを二つ。
ひとつは松村洋さんによる
「ライブ会場で収支会計報告書を配る音楽の”フェアトレード”の試み」となる
タイトルにて自己宣伝になってしまうかな、
ごめんなさい、そしてありがとうございます。
そして左頁には福井優美さんによる
「ファルージャ〜イラク戦争 人質事件 そして…」
(伊藤めぐみさんの映画タイトル)に関する記事。
ミュージックマガジンがこういう社会面の強い記事を掲載している、
とは知りませんでした。
音楽は、やはり社会との繋がりを濃く持つものなのだ。
ということで、是非2月号ミュージックマガジンをご購入ください!
Permalink
21 janvier, 2014 @ 10:26
· Classé dans Non classé, 時勢 circonstance, 書き物 writing, 音楽 musique
人の出会いの独楽が一つ回って小田原で、二つ回って独楽はフランスへ、
そして回り廻って高野山へ。
作家・夢枕獏さんのロングセラーシリーズ陰陽師の2014年は、-蒼猴ノ巻- 。
書評のレベルにはほど遠く、出会いの感想文のようなものですが、
「音」と「読み物」の愛らしい関係を書いてみました。
そして今年、巡りの先にあるものは、開創1200年を2015年に迎える高野山にて、
朗読コンサート。
皆様の来山を心よりお待ち申し上げております。
文藝春秋のサイトから読むことができます↓
http://hon.bunshun.jp/articles/-/2181

2010年パリ日本文化会館にて「陰陽師を通してみる日本」講演会にて

2014年5月30日17時 高野山金剛峯寺にて
Permalink
9 novembre, 2013 @ 0:17
· Classé dans Non classé
出納帳の情報をエクセルに書き込む作業が滞っております。
が、10日の千秋楽には、紙媒体で、そしてHPにUpするよう
日々平均睡眠2時間の時間を削ってただ今作成中。
今回は、私の力が及ばず「スポンサー」そして「助成」という形でのサポートは
皆無であり、しかしツアー間際に、希望ある光を下さった会社があります。
それは、「すき家」で有名な「ゼンショーホールディング」さん。
8人+運転手+スタッフ2名が毎日どこかで一緒に食事をしようものなら、
それはそれは大変なことです。
量さることながら、場所の確保、予約。
ご好意により、「すき家」での食事、
そして連携店「ビックボーイ」「ココス」「エルトリート」等、
の店での食事を提供していただきました。
心から、お礼申し上げます。


Permalink
29 juillet, 2013 @ 7:30
· Classé dans Non classé
「いったい進歩というのは何であろうか。
発展というのは何であろうか。
失われるものがすべて不要であり、
時代おくれのものであったのだろうか。
進歩に対する迷信が退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、
時にそれが人間だけでなく生きとし生けるものを絶滅にさえ
向かわしつつあるのではないかと思うことがある。」
Permalink
6 juillet, 2013 @ 10:51
· Classé dans Non classé, 料理 cuisine, 時勢 circonstance
またまた登場辰巳良子さんの「いのちのスープ」。
このレシピでスープを作ることは、
今、私ができる精一杯の形、としての行為である。
固形物の取り入れが困難になった人の側にいると、
確かに自分にできることは、おのずとその日その日の細胞を
蘇生、継続的活性をさせる栄養という名の食物を作ることを容易にさせます。
自己満足ではなく、改めてこの本の云わんがしていることを
噛み締めつつ…
ポルトガル風にんじんのポタージュ、
一番出汁の吸い物、玄米スープを作る、使命。
トクヴィルがいう「精神の習慣」は、
相対的に自然があっての人類であり、
または共同性という名のもとにデモクラシーの芽生えが生じる。
時に人はこの精神の習慣を信仰という分野に置き換えもするけれど、
私は、個々の営みへの尊厳である、と思いたい。
ここでまたまた登場鶴見俊輔様。
たしか「身ぶりとしての抵抗」の中での一節だった気が。
助からない余命僅かな人のために、なぜ « 医療 »を施すのか。
それは、その人の死を共に見つめ、側で寄り添う、ということ。
ここでいう医療とは、人がただそこにいる、使命。
こういう想いは、
やはりブラームスのThree Intermazzos 第二章に寄り添うものである。
Permalink
16 février, 2013 @ 14:20
· Classé dans Non classé, 時勢 circonstance
パリ、ローマ、ロンドンと廻った講演会「和の色」
は各所好評のうちに終わり、また聴衆の反応の深さを知る事となりました。
それは、「色」というテーマの間口の広さだけがその要因ではなかったのでは、
と思う次第。
もちろん「和=日本」だけでもなかったと。
(欧州在住の日本人はむしろアインデンティティーへの関心ゆえでしょう)
では何だったかというと、鶴見俊輔云うところの「限界芸術」である、と。
彼の言葉を借りれば、「直接価値的経験」が美的意識の構築になり、
それは生活の中で育まれる。
今回の講演者である視覚デザイン研究所の早坂優子さんがまとめた
「定本・和の色事典」では、体系された色々の美しさ は勿論、
色の象徴の背景にある「生活」が、実は主役であった様な気がします。
文化の主役=生活、「芸術と生活との境界線にあたる事象を限界芸術」とすれば、
今回の講演の興味が聴衆に受け入れられるのは当然だったのでしょう。
さて、この限界芸術を2013年秋へ向かっているプロジェクト
西アフリカはブルキナファソの楽士の公演会を例にたとえるならば、
西欧文明の歴史の上で権威づけられた作品の系列もさることながら、
(決してそれの否定ではなくむしろそれを通過した上で)、
西欧の眼からの発見、という見方ではな く、
実は同志としての眼差しをブルキナファソの人々へ注ぐ、という事でもあります。
そして岡本太郎が人生をかけた美意識の束が、そこに見つけられると考えています。
今まさに、グローバルな云々を説き、表面立体問わずアートの世界、
音楽の世界にあふれるそれらの、ひとつの結果として美術館を終着駅とする姿。
ロ ンドンはTate Modern入り口に、まるで列候のごとく名を掲げられている大会社の
それを目にした時、対極に思い浮かんだのは、
宮本常一の、人と自然が織り成す生活への、やさしい眼差しでした。

Permalink
1 octobre, 2012 @ 5:39
· Classé dans Non classé
ナイサムを空港に送りに行き、安堵もつかの間。
四日市から御殿場まで車を走らせ事故現場近くで修理された車を点検、
レンタカーの返却。
バスで御殿場から東京駅に着けば、
間髪入れずに徹夜にて福島は去年に引続き飯野町の
五大院での縁日演奏
朝11時公演のために車を走らせます。
相馬盆唄も大漁唄い込みも、
私なんかより観客である方々のほうがよく唱い慣れているはず。
それでも温かいまなざしでの手拍子は嬉しいものです。
縁日を仕切る丹治さんの笑顔にパワーをいただき、
とある事情で、事情の所まで行き、首都圏に着いたのは、夜中の2時。
続いて北海道は、毎度の問題、楽器を機内持ち込みにするがゆえのストレスにて
朝8時に成田空港に着けば、もうこの航空会社に決めました!
ジェットスターにて無事の楽器の輸送ができたわけです。
しかも、機材も!
ギター、ウード、サックス、クラリネット、アンプ、ペダル類
+トニーさんの展覧会のための演奏なので、写真器材などなど。
写真に写っているのは、ほんの一部です…





Permalink
26 septembre, 2012 @ 3:38
· Classé dans Non classé, 俳句 haiku, 料理 cuisine, 時勢 circonstance, 音楽 musique
海南市での演奏は、和歌山の仲間たちも駆けつけてくれ、
多いに盛り上がります。
老若男女はサティの曲に身をのせて、
宮城の歌に手拍子で、応えてくれたものです。
翌日オーガナイザーに連れられたのは、善福院。
括弧付きの「国宝」 にとらわれない風格を持った、
禅宗様式の釈迦堂。
さてさて、ナイサム・ヤン組はすっかり日本の温泉大好きっ子になり、
黒潮温泉へ。
こちらは千秋楽+懇親会のため、シリア料理用買出しへ。
まずはムタッバル(焼きなすのペースト)作りスタート!
生コリアンダーやパセリがないため、乾燥ものを高島屋へ買いに走って下さる
Heronのオーナーの心遣。
ナイサムは胡瓜のヨーグルトサラダと、ケフタのソース。
私はケフタのたね作りに、トマトのサラダ、ブリックの具作りに、
あっつい焼きなすの皮を剥きます。
開場15分前に、料理は無事終了。もう毎日が綱渡りです!
残りの時間でプロジェクターの設置、確認、パレスチナ子どものキャンペーンの
刺繍商品を並ばれば、16時30開場。
千秋楽も、無事終了。

無我夢中でなすの皮を剥き、

演奏後、料理を盛るミュージシャン!
暗くてあまりよく見えませんね。
そして、残るは明日….空港へ無事ナイサムを送り届けることです。
Permalink