Archive pour 時勢 circonstance

われら逆行族

えっ?
ハイレゾ音源配信、App Storeで買うのが今や常識でしょう!?

わしら逆行しております。
わしらはレバノンでカセットテープを作りました。
その中身はデジタルとアコースティックで織り成す音楽です。
80年代のベイルートの爆撃音、家で怯える人々の、声。
Kinectによる音が重なり、ウードが鳴く。

明日、ワエルはこのカセットを持って、レバノンを発ちます。

あっ、そういえばソニーはカセット簡易再生機の生産を昨年中止したような…?
ものは大事に使いましょうね。

あっ、限定100本です。

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チョムスキー×ヴェルチェク 西洋のテロリズム      On Western Terrorism

ある時サハラ以南の地で、植民地時代をその地で生きた人と話をしていた時、
「日本は西洋=(白)だ」、という彼の認識のもとで話が進んだ。

日本はアジアだという認識は、当の本人が意識するところであろうか。
ならば私たちは例えばどれだけ大戦前の日本のしてきたアジアでの行為を、
インドネシアのことを、ベトナムの歴史を、真の中国での市民の声を…
アジアという範囲に耳を傾けているだろうか?
同じ国の内にある声さえも届かないこの小さな地において。

日本国内の植民地化と世界の地で起こっていることを
チョムスキーのこの言葉で考えてみよう。
「賛美されている経済成長というものが、
少数のエリート集団による自然資源の強奪によって成し遂げられているという事実」

まるでどちらかの家のサロンで話しをするチョムスキーとヴェルチェクの、
温和な時間。経験を消化した言葉たち。
数多ある専門的な言葉でまくしたてた識者のそれとは一線を画し、
抗う術としての会話、がこの本の中で展開されている。

結論をいおう、
「彼らと私たち」という立場を貫くが如く、
日本は世界の三極構造のひとつにこれからも居続けたいのか、それとも
「彼らは私たち」という立場の在り方に、希望を求めるのか。

ジョージ・オーウェルの言葉である「un-people・非人間」に
なるのか、ならないのか。
という選択だ。

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訳者は本橋哲也氏 邦題は
「チョムスキーが語る、戦争のからくり-ヒロシマからドローン兵器の時代まで-」
平凡社

夏の星背中湿らす深き夜

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今日は三日月、ラマダン終了 L’Aïd el-Fit عيد الفطر

自分自身が断食月をやっているわけではないけれど、
世界中の敬虔なイスラム教徒と共に私たちはこの地球にいるわけで、
彼らの時間の流れに、想いにちょっと触れてみたい。

隣の食品店はいつも西アフリカのおばちゃん、おじさんで溢れている。
働く人々はどこの国の人々だろうか?インド人の様な…
数週間前、この店でオクラを買った時に渡されたのが、断食月中のカレンダー。
日の出と日の入りと一日のお祈りの時間が記されている。
今年はフランス全土も猛暑にて、夕方頃には旦那衆が、
スターリングラードの運河片陰に集まり、ポツリぽつりと仲間と話をしている。
女たちは日が暮れてからいただく食事に精がでる。
だから、断食月中でも、食料品店はいつも賑やかだ。
ちなみにここで売られているオクラの原産国は、ホンジュラス!
長旅ご苦労様!

新月から三日目、今宵はみなさん家族と共に、
よきイド・アル=フィトルとなります様に。

人生の欠片を共に夏の月

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ポンピドゥーセンターではレバノン出身のパレスチナ人アーティスト
Mona Hatoumの個展

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Waiting is Forbidden !!!!!

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イスラム暦は今年1436年

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音を見立てる

Drome地方にある「禅の庭」での演奏会は、遠くは京都から庭師が、
そして、我らふらんす吟行俳句会とパリ短歌会の同志の参加で、
Erik Borjaさんの庭は賑やかに。
そして、南仏の庭の大地と空に、音は広がったのでした。
耳に聴こえてくる音は、それこそ聴く人の内的見立てによって、
なに様にも成れる様です。
だから、この庭で演奏するということは、演奏家の鳴らす音が、
あるいは奏者個人の奏でる音という我を
どこかにやってしまうことができる、
例えば原罪を和らげてくれる様なことかも知れないですね。
そして、それは音の先に宇宙がある、という希望かもしれません。

禅庭や見えきしかたち風薫る   佳
鳴きやんでまた鳴く七日蝉時雨  麻紀
鍵穴の奥の十字架暑気払ひ    崇
せせらぎのさやかにひびく禅の庭 なをみ
もろこしの花連山の影を背に   克洋 

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睡蓮の池のまわりにただよう音

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イゼール河を清水の護りとして鳥居の立つ横に、各々に庭を演奏した奏者が集合

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枯山水から下る階段庭園には、Ky

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父上はアルジェリア人のフルート奏者アミナと。鳥のような彼女の音のささやき

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演奏後は、Erikさんのドメインclairmontsのシャルドネの白で。お疲れ様!
http://www.cavedesclairmonts.com/

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サンドニ門〜シャペル大通り 娼婦の館に住む

昔一番の繁華街として、観劇後の老舗ブラッセリーFLOや、劇場の名残。
今は西にクルド人街、東にインド人街。
駅には中国人女性が、時に女同士で腕を組んで、
あるいは1mごとに立ち並ぶ、娼婦たち、の街サンドニ門。
門の南にはかつての最盛サンドニ通りに今も、
ポツリぽつりと女が立っている。
繊維問屋の多いこの界隈には、荷物を待つインドの人々の姿。
その姿を撮ろうとしたところ、突如女二人が私の前に立ちはだかり…
「カメラをよこしな!何撮っているのよ、画像を消しなさい!!」
と、私がうっかりして向けたレンズの先に彼女達は、立っていたのだ。
幸いにして彼女たちの姿はカメラには映っていなく、一件落着したものの、
彼女たちは自分たちの置かれた立場を私に云々お説教。
女同士の立ち話、となった。

パリに住み始めてかれこれ10年を越えた今、振り返ると10回以上引っ越した
私の住居には、彼女達の姿が往々に在った。
18区の駅には、演奏を終えて帰路に着く夜中、彼女たちは無料のエイズ検査車に
列をなし、11区のベルビル界隈では同じ建物に早朝戻って来る彼女たちの姿。
お客を街でとり、客はいつも彼女の5m後ろでアパートの階段を昇る姿。
時にヒモらしき男の姿とすれ違う。
そして今、モンマルトルとウルク運河の間に位置する現住居である大通りに面した
建物の壁には、番地の存在より大事な、昔灯燭がその存在の証明となる、
灯す台が建物に付いており、また隣の建物は娼婦の館特有の飾り看板が
彫られている。建物を入り牢屋のような金属の扉の向こうには、
今ではパリ市によって保存義務になっているロココ調の階段が出迎えてくれる。
(といってもそれは見かけだけで、昇る部分はなんとも貧そなつくり)。
家の中は小さくも、扉が隣り合わせ、向かい合わせになることはなく、玄関の壁には
全面鏡。
大家さんいわく、この建物は19世紀末からあるそうだ。
となると、床はやや歪んでいる….。
この界隈が決して高級住宅地とはほど遠い下町であるから、
メゾン・クローズとは呼べぬが、役割は、同じであった。

女と街の関係、娼婦なしに、人類の歴史を語ることは、できない。

客待ちて何を想おふ梅雨の月

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バタイユ作・マダム・エドワルダの舞台になったサン・ドニ門

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パリにはすべての通りに名前がついている

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問題となった荷車を押すおじさんの後ろ姿。この後怒られるのだが…

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どの部屋も五角形のつくり

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ジャパトラと着物でsax

ジャパトラとは、二十五絃箏とお囃子、墨絵に語りというフォーマットで
民話、神話、日本の昔話を繰り広げるパフォーマンス集団
Japan traditional Arts Academyの略。
http://tomoyanakai.com/jtaa/
パリ、マドリード、バルセロナ、ローマと演奏を行なった彼らの姿に拍手。
それは、移動も然ることながら、奏者にとっては運命共同体である楽器の移動
その回数に、毎回の不安と苛立ちを見せず舞台に挑む姿。
各国の言葉で挨拶をし、会場の人々と談話する姿。
中国の筆、とフランス語に訳される墨絵の何たるかを、
参加者と行なう実技で体得する姿。
「異文化交流の〜」という言い古されたそれに一蹴りするに至る。
なぜなら、この場合、交流ではなく、両者真剣勝負だから。
急遽saxでの参加にあたり、事前の一人リハで譜面を頭に叩き込むも無念。
Gongにパーカッション、サックスにクラリネットを二つの手で操るも、
なぜに足を使えぬものかと歯を噛む思い。
しかし始めて着物をきて演奏する醍醐味を、味わった次第。

それにしても、女の演奏者はなんとも衣装に気をつかうことか。
サックスが華となり主役であるからには、ああ、私は黒子(黒衣)になりたい。

汗みどろ楽屋に着物脱ぎ滑す

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ジャパトラ番外編 Ky+中井智弥

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パリ日本文化会館の墨絵講座にて

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袖を連ねて着物女

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南仏・Erik Borjaの日本庭園

オブニー784号の特集で取材した南仏の日本庭園「Jardin Zen」は、
自然を見立てることを日本庭園の基本におきながらも、
ひたすらに「観る」ことにより、ものの本質から観る者の観念を取る
この修行のような行為を経て、彼の庭は「禅の庭」と名付けられた。
77年の京都の数十カ所におよぶ日本庭園訪問依頼、
元々造形作家であるがゆえに、彼にとっての作庭は芸術表現になる。
ひたすら謙虚に、プリンシパルのある、アーティスト。
そして真の食いしん坊は、御歳74歳にして毎日うまいごはんを自分で作っている。
アルジェリアで生まれ帰仏した彼はまた、真のピエノワールでもあり、
青春時代に得た、お母さんたちのそばで覚えた料理の数々。
アルジェリアのユダヤ人達のお祝い料理の面白さは、また格別の話だった。

7月5日には、この3ヘクタールある「禅の庭」にてKyのコンサートが開催されます。
自然の音と、楽器の音が庭の中にどのように漂うのか、
そして聴衆のみなさんと庭を共に歩きながら奏でる音はどこに飛んで行くのか。
心がどきどきします。

さて、彼のレシピからひとつ拝借。「真鱈のサルティン・ボッカ風」

-鱈を人数分に切り、塩胡椒、小麦粉をまぶしてオリーズオイルで焼き色を付け、
白ワインで軽くフランベ。
-グラタン皿に鱈を並べてサフランを振りかける。
-生ハムを鱈の上にのせ、オーブンで15分。

フランス料理では海のものと肉を一つの料理の中に入れることは
あまりしないけれど、真鱈の淡白な味と、まぶした小麦粉に生ハムの旨味が
染みいる、うまさ。

ovniの記事はこちらから→www.ovninavi.com/784sp

禅庭や小さな宇宙春の匂

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枯山水にインスピレーションを受けて作った庭に佇むエリックさん。

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南仏の陽光が入る台所は気持ちのよいものだ。

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サフランが鱈の白身に栄える。

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アシスタントの家族、皆で囲む食卓というしあわせ。

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路上演奏・パリ日本館

日本から届いたCDは、高木元輝さんと加古隆さん率いるカルテット76年の録音。
ユニバーサルから再版されたこの作品は、時期を今にして春たけなわの4月に
録音されたそうだ。ものみな芽吹く、今に。

2015年のパリの街角、サンジェルマンデュプレでは二人の男がピアノを弾いている。
音は時空を越えて、今日もどこかで誰かが奏でる、聴いている。
そういう世界がわたしたちには、あるようだ。

清明に包まれし音の巴里の街

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ベンガルの刺繍・日本のフリージャズ

今やどこでにいても、少しの電気と、少しの機材があれば、
録音はいとも簡単に、できる。
少しの耳の技術と、そしてなにより良い音があれば。
4月8日に発売される「今、日本のフリージャズを聴く」と題された、
70年代に録音された作品の再リリースを迎えるにあたり、
「高木元輝・加古隆/パリ日本館コンサート」のライナーノートを書いた。
スタッフが運んだであろう、マイクや録音機。その当時の音から、
匂い立つ機材の香りを嗅ぐことができる。
加古さんと高木さん、そしてロン・ピットナーとケント・カータの音を支える、
彼ら演奏者の前に陣取る録音技師の想いが、伝わってくる作品、だと思う。
もちろん当人の演奏があってのコンサートという出来事である。

インドはベンガル地方に残る女の仕事、「カンタ」。
魅惑の刺繍の愛らしさといったら。
こういう人間の成す営みを、柳宗悦的にいうならば「民藝」と呼ぶのだろう。
しかしもっと根源的な愛情を感じることができる。
こういう人間の成す営みに小さなスポットを当てる、
無印良品「MUJI」というコンセプト。
購買意欲をそそる商品がずらっと並ぶその奥に、「Atelier MUJI」という
小さなスペースに、このベンガルから来た刺繍布カンタが佇んでいる。
やさしい空気が、そこにあります。

いずれも、手仕事として何かを残す、という作業に、
なぜもこんなにわたしたちは魅かれるのだろう。

一日の仕事を終えて春の暮

「ベンガルのたなごころ、彼女たちの針仕事」と題した展示は4月22日まで有楽町のATELIER MUJIにて。
http://www.muji.net/lab/ateliermuji/exhibition/150306.html

「今、日本のフリージャズを聴く」のシリーズは→http://www.universal-music.co.jp/japan-free-jazz/product/pocs-9347/

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北半球に、迎春花

延びれば延びるほど、根本は花を失い、枝先にはたわわな黄色い花。
中国で迎春花、日本で臘梅。
日本の至るところに、可愛らしい梅がぽつぽつと咲き始めている。
パリの草木は、もう少し辛抱。
目的場所へ行くもその場所は閉まっていたり、
試験中で入れなかったり、待ち人現れぬ、だったり、
しかしその道中、梅、梅、梅が春を迎えてくれる。
そしてその芳香は、生きる喜びを与えて、くれる。
お水取りの後には春がやってくる。の言葉通り、北半球は今、春を迎える頃。

月刊「俳壇」にて1頁目に「NY/Paris 二都物語」と題した四季の俳句を、
NY在住の俳人・月野ぽぽなさん(奇数月)と手前(偶数月)で寄稿しています。

春愁や回教の友祈りをり

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どこのモスクでしょうか?

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ベルビル界隈にあるモスク前で雑貨屋を営むチュニジア人のおじさん。
故郷を想う、今日という日。

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スターリングラード駅<

Comments off

ドゥルーズの陽炎を20区の中庭で見て…

離婚した妻との家族、その前妻の母親、そして今ある家族。
88歳から0歳1ヶ月までの人間3世帯が一緒に住む、
という今や貴重な共同生活は、パリであれば尚更。
脚本家のローランは、この共同体をつなぐ55歳にして
4人目の子どもは0歳の乳飲み、の親父さん。
そして年長の、彼にとっての義母はジル・ドゥルーズの奥さんである。

「まるでアフリカの村にいるみたいですね。」と私が言えば、
「その通り、パリのアフリカなの!」と。

離婚後、週に数回父親に会うために子ども達がパリを横断する労力を、
共同生活をすることにより取っ払ってしまうという合理的な生活に、
彼らは舵を漕ぎ出した。
そして老媼となった前出ドゥルーズの奥さんを見守る若い世代。
新しい奥さんとの間の4歳になるデルフィーヌは、
中庭を横切って血のつながっていないおばあちゃんの所へ遊びに行く。
あるいは異母兄弟と一緒に夕飯を食べる。
「子どもは社会に在りて」の実践。
第三者からは見えぬ当事者の、各人の日常を保つ共同への配慮。
ガラス張りの窓に囲まれた中庭を共通項に生活をする人々を、
もしここにドゥルーズ老爺が居れば、どんな眼差しで見ただろう?
そしてこの共同体に彼がおられるならば、
その暮らしの結果からどんな著書が生まれてくるのだろう?
と密かに想像してみる。

彼の著書の半分も読んでいないので、
深淵なるその考察から何かを得たとはいえぬ自分、
これを機にその世界に潜り込んでみたいものだ。
中庭を眺めながら頭をよぎるイメージとフレーズ、それは、
「アフリカは始源から続く人類の完成形」。
こちら相当長い説明必要故、いつか文章あるいは体現という形で試みたい。

「すべてが絶えることのない相互作用の中で共存するのだ。」
      »千のプラトー » から ジル・ドゥルーズ・フェリックス・ガタリ

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蕾が開きだした冬桜の枝は、庭にあるものだろうか

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空間を仕切る、本。というアイデア

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アフリカの布はどんな空間にも、馴染む。

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サド公爵、諷刺ってなんですか?

Jean-Jaques Lequeuのデッサン。
こんな乳首の表現、個々の深層に隠れたエロティシズムが
刺激されてしまうではないか。
時勢に臆することなく言おう、これも宗教に対する冒涜か。
こちら昨日終了したサド没後200年記念、オルセー美術館での展覧会。
終始ドキドキして、サドの描いた物語りの世界が具現化される世界を垣間みた、
という印象。
サド研究の凄腕女史アニー・ルブロンAnnie Le Brunの審美眼に
かなった強者作品ばかり。
めったに観られぬオーストリアのクービン. Alfred Kubinや
ハンス・ベルメールの登場。展覧会終盤にかけて心臓の高鳴りをTWという方法で
中継したいも当方TWはやっておらず、ほぼ最終日に行ったが故、
興味を持ちそうな友人たちにこの展覧会の情報を拡散できぬ、無念。

サドの言葉が木片に削られ各所に配置。その中にある一節。
「L’idee de Dieu est, Je l’avoue, le seul tort que je ne puisse pardonner a l’homme.
神という着想を抱くこと、それはわたくし曰く、人間の赦しがたい唯一の過ちだ」

このフレーズをキュレーターA.Le Brun女史が数あるサドの文章から選択し、
言葉を言葉以外の作品と共に配置することにより見えて来る意味。
それは、「現在」という名のもとで我々が生きる世の中への疑問、
秩序という名の倫理あるいはコード、理性的世界を易々と裏切る、
人間の本質的エロティシズムに目を向けるが故に浮かび上がる、言葉。
人によってエロティズムその焦点は当然異なるけれど…
何か予言的に、もしくは長い時の流れの中で、
だれしもが抱いていた疑問を、A.Le Brun女史がサドに代弁させているようにも
捉えることができる。
意味じくも会期中にあの事件は起こってしまったわけだが…
しかし同時に忘れてはいけない、サドの作品は永らく発禁物であり、
諸々彼自身も監獄生活続きであった、ということ。
それは、
自由という名のもと表現の自由に甘んずることなき、リスクを負っての、表現
である。

ではアリストパネスにみられる諷刺は一神教誕生以前、
だれの恨みを買っただろうか。
大革命以降社会の隘路となるライシテ、
あるいは紀元前アテナイ(一神教の誕生以前)の時代からある
「諷刺」というの手法、両者時空を埋められぬが故の問題を浮かび上がらせるに、
今回の展覧会はサドという表象を逃さなかった。

今一度、サドというある一人の人間が追求した、人間の真相を読み解くべく
思想、あるいは物語、を知る喜び、そしてその歴史的背景を知る喜びとしよう。

2週間に渡る特別号charlie hebdo「Tout est pardonne」
での編集部からのメッセージの中で注目すべき文章とは、

「追悼のためのパリノートルダムの鐘楼を鳴らす者は、
フェメン FEMEN、 Фемен の彼女たちであるべきだ。」
と、〆ている。
さて誰の気分を害すというのだろうか。
(物理的に今や鐘は機械によって作動=鐘をつくのは人間では、ない。
という自己諧謔性。
あるいはフェメンを赦し難い対象としてしている者たちへの….)

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Jean-Jaques Lequeu -そう、私たちも母ですから-

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大好きなゴヤの版画「気まぐれ」シリーズ、は象徴的揶揄にあふれている。

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目眩がするほど魅力的なビアズリーの
「女の平和 Lysistrata」シリーズは、19世紀が誇る風刺では。
ただし、そこには宗教的象徴は描かれて、いない…

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コートジボワールの布

60年に独立後すぐ、家族でコートジボワールに移住したという、
今は小学校の教師マリリエスの家の壁一面には、その当時現地の友人から
贈られたという、セヌフォ族による泥染コロゴ布のタペストリーが飾られている。
彼女の父上は61年からECOSOCの一環として‪アフリカ経済‬開発のための
調査・援助の仕事に従事し、「イボワールの奇跡」に貢献したという。
父上の家にはその当時の資料(もちろん紙)が山の様にあるそうだ。
いつか目にしてみたいものだ。
しかしながら、ウフェ=ボワニ大統領の死後の内戦、クーデターの時代を
フランスに戻った彼はどのような想いで観ていただろうか…

この布の柄が、見ての通り非常に胸を衝くからにして、写真として拝借。
私も彼女のように毎日眺めてみよう、と思う次第。

年明けて何を望もふ明日の日に
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価値とはブランドロゴにあるのか

ある依頼が、あるイベントの1週間前にあり、こういう間際の依頼は仕事がら
よくあるのですが、ある難関を越えられれば引き受けることができる、と思い、
師走の賑々しさと忙しさに押されて、ある挑戦を。

それは、韓国人アーティストMunGi YANG氏の「DE LUXURY STONE」という、
石にブランドロゴを刻んだ作品を持ってフランス国立近代美術館、
通称ポンピドゥー・センターの広場をファッションショー会場に見立て、
野外で演奏するというもの。

ブランドロゴマークが刻まれた石の鞄を持って歩くモデルさんも大変だけれど、
極寒パリ野外で一人で吹くという、これが »ある »挑戦としてあるわけで。
指はかじかむ、歩きながら吹く、金属でできたサックスは寒さで音程が
おかしくなる。とまあ挑戦に見合う条件そして状況。
しかしながらパフォーマンスを見入る人、行き交う人からの反応、
なによりパリ大学で学ぶ韓国の学生やミュージシャンと知りあいになれたことの
喜びは大きなもの。
特に韓国の伝統楽器、大笒テグム奏者 InBo LEEとの出会いを、
大切にしたいものだ。

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ポンピドゥー・センター広場での演奏を終え、ストラヴィンスキー広場に移る

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ルイ・ヴィトン、モノグラム・ヴェルニのパロディ!!

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全27公演、ありがとうございました!

今秋ツアーを応援いただきありがとうございました。
既に数週間経ってしまった今頃になってのお礼だなんて、師走も迫るというのに…。
今回も各地の頼もしいほどの生きる力に感激。
上越は100年を迎える世界館を守り、盛り上げる、力。
秋田の学生さんたちが持っている好奇心の眼差し、
おずおずと、しかし個と個になると発揮する、力。
福島は飯野町に覚悟を決め、先祖を守り抜く、力。
北海道の山との共生、海との交わる、力。
静岡の山寺承元寺住職の、鈴木大拙の英語講義を日本語訳にする、力。
名古屋のアートと生きる過程を同次元で展開する、力。
富士山周辺はやはりそのエネルギー自体との共存を日々のこととする、力。
まだまだまだありますが….
真の交流とは、人が動いてなんぼのもん。
ともあれこれら土地と人々が生む力、との出会いでした。

土地行けば寒ゆるみたるおふるまひ

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会津を抜けて霧の中の、これが磐梯山じゃ!

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秋田公立美術大学の学生たちに質問攻め、の演奏者

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「てさぐり」展覧会の会場を案内してくれる人は、視覚障害者の方々!
だから、鑑賞者も「てさぐり」なんだ!決して革新的ではない、これぞ必然的展覧会。

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井上信太(美術作家)・前田真二郎(映像作家)による未年計画 名古屋ひつじ物語
開催するヤマザキマザック美術館へ多いに一票!

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駿河に安国寺、今は承元寺、重松ご住職の英語での会話のひと時。

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女の細腕で樹を切り倒し植林する姿。ホタテ貝を大地に敷き詰め、向こうに見えるは洞爺湖。

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小さな窓から、世界を観る。

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朝8時、朝礼。今日も除染の一日@飯館村 

一人の時間は、ツアー中皆無ゆえに、こういう機会を逃すことなく、有効に。
深夜0時を越えてバスに乗り込み、乗客は方々みなどこに行くのだろう。
福島下車にて5時、駅前にはな〜んにもないものなのだ。
6時33分発、南相馬行きのバスに乗り込み、飯館村に着いたのは、
8時前頃だろうか。バスが通る道の両側に、作業員用の仮住宅から人々が出て来る。
そして拡声器を使っての、朝礼。ここはどこなのだろう。
この地を生きた、そして生きながらに感情の変化、戸惑い、みらいはどこに。
錯綜する現状に比べて、人々の想いは、いつも置いてきぼりだ。

飯館村の、それは美しく、深い秋。
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朝8時19分南相馬 原町到着。朝っぱらからフライヤーを山ほど持って、
商店街やら図書館に配る。すると後ろから声をかけてくれたのは、
朝日座をたのしむ会の方。
来週からは渋谷はユーロスペースにて「朝日座~人間は、どこへ行く~」の
一週間連続レイトショーが始まるのだ。
そして迫る帰りのバスの時間をみながら、この地の人々と、お話する充実な時間。

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酩醸館では写真展が

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どこへ、行くのだろう….

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ツアーエスケープ@久国寺

池袋のぺーぱーむーんにて疲れを癒し、バスにて早朝に名古屋へ着く。
かれこれ2日間はもう布団で寝ていやしない。
朝6時前ではカフェだって営業していないし、
駅をぶらつくも疲れきっており、そこで機転をフル回転。
「そうだ、太郎さんに会いに行こう!」
ということで、名古屋生まれなのに実はいった事のない、北区へ。
志賀本通り駅を下車。感を頼りに、あっという間に「久国寺」へ到着。
岡本太郎が創った「梵鐘」に会いに。
青山の記念館庭では他入場者を気にせず叩くことができたのですが、
かえって一人ぽっちのこの境内では、鳴らすどころか、
その存在を前に立ち尽くしてしまった。
故障したアンプ修理を取りに、帰りは名鉄瀬戸線に乗るわけなのですが。
なんと辿り着いた場所は、そう、学生時代に使った、「尼ケ坂」駅。
こんな偶然のいたずらも、岡本太郎の成せる技だろうか…。

久国寺住職の依頼による、岡本太郎作「歓喜の鐘」
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尼ケ坂。江戸時代には辻切りが多かった坂だそうだ。
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ツアー二日目@軽井沢文化磁場

地方に行くと、驚くべく文化磁場に出会うものだ。
「油屋」さんと言えば、中山道信濃追分に在位する旅館で、
時代を越えて旅人を迎えてきた。
その場所は、今や「油や」文化磁場となり、もちろんそれは必然的であり、
しかし冬期はお休みするとのことで、11月3日は冬眠パーティー。
そこでKyも演奏で参加、という案配。
この場所が、いい。
回路には小さなギャラリーから本屋さん、猫ばかりを扱った「猫町カフェ」、
東京柳橋にある芸者歌手、市丸姐さんの日本家屋住居を
そっくりそのままギャラリーにしたlucite gallery。
そして二階はもちろん宿泊できる。
様々な作家たちが在宿し、旨い蕎麦を食べ、軽井沢の木々の中で
いくもの作品を編み出したことだろう。

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すぐ隣には堀辰雄の記念館

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ツアー前はいつも、徹夜録音+料理教室

ああ、成田空港に幾度お世話になっていることやら。
着陸する飛行機の中でいつも、ここで闘われた、ある現実を想像し、
そしてその結果にある滑走路を使う者としていつも、胸が傷み、しかし使い続けるという矛盾。
毎度おなじみ出発前はパリで徹夜録音をし、
(なぜかいつも映画関係の仕事はツアーが始まる直前に依頼が来るのだ)
音源をパソコンに詰め込んで、編集はツアーの合間に。

前々日の個人宅での料理教室はプロも主婦も食への興味溢れる4人と仲良く家庭料理を。
茶碗蒸しはやはり出汁が命。南蛮漬けはどこでも好評。
あとはお寿司などなどウケもいいものを。

さてさて、2014年のツアーがいよいよ始まり、
紅葉たけなわの河口湖の初日、それは色々な所から皆聴きに駆けつけてくれる。
感謝。

陽ののぼる国に辿りて秋を知る

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録音終了は朝5時終了。これから荷造り…

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木屋の包丁はよく切れるのです。

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白夜の国から緯度低き陽を追い求めて搭乗

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東京は、光に溢れきっているね

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子どもだってにんげんだもの~アシュラ祭~

« こども »も »おとな »と同じ音空間を共有できるのですよね。

イスラム暦の新年から数えて10日目の来週モロッコではアシュラ祭が始まります。
アシャラとはアラブ数字の10という意味。
アシャラの日の喜捨は、富を得た者は昨年の年間利益10% (地方によりますが)
を恵まれない人々に与える日でもあり、
だから道端、または商店などで施しが行なわれる。
毎年イスラム暦によって日が変わるけれど、収穫の時期である今年は
農作物で喜捨がおこなわれもする。
国家一員としての義務ではなく、自己に課すこの姿勢。
そこに宗教性をみるかどうかは別にしたとしても、やはり
イスラム教のこの喜捨の精神の清々しさ、
これこそ人類の共同体としての姿ではなかろうか。

さて、エッサウィラではこの日は子どもたちのタリージャデビューの日でもある。
タリージャとは素焼きの筒に子山羊の皮を張り、同時に糸も張る。
そうする事により »ビリビリ »というさわりの音が鳴り響く仕組み。
道端で子どもたちがこの打楽器を叩く姿に、音世界とその民族の伝授による
深淵な世界を見ることができます。

さて、昨日のアラブ世界研究所9階 (実はここ、パリの景観を観る穴場スポットです)
での演奏は、主に子ども教育を対象とした昼の公演。
スーフィー教団の音楽とは、また楽器の紹介などなど。
赤ちゃんもいれば幼稚園生、小学校、中学校。みな親御さんに連れられて興味津々。
でもこの公演の主題に対し ”子どもむけではない” などと誰が決められましょう。
子ども向けに”ディズニー”やら”流行の曲 » ???
ちゃんちゃらおかしいですね。
ということで、今日もまた、なんら差別無く皆が、音世界に浸ったのでした。

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慣れないフランス語で一生懸命スーフィー神秘主義のことを話す、
タリージャ奏者、ハッサンと一生懸命耳を傾ける子等たち

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もちろん伝統的な曲では演者そして観客が共に踊ります

子等もまた音の飛礫に秋の声

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