満月に奏でる
いつもopenradioをご試聴くださりありがとうございます。
フィールドレコーディングは、ひっそりと、ひっそりと進行中。
山、谷、駅、機上、港、川 etc…身近には実はたくさんの自然があることを、音によって発見します。
本日4月の満月のopenradioは放送できませんが、九州のとある場所で、サックスの音を奏でます。
どこかで鳴る音は、それでも遠き誰かに届く様な気がするのです。
満ちし音波も光も春の中
いつもopenradioをご試聴くださりありがとうございます。
フィールドレコーディングは、ひっそりと、ひっそりと進行中。
山、谷、駅、機上、港、川 etc…身近には実はたくさんの自然があることを、音によって発見します。
本日4月の満月のopenradioは放送できませんが、九州のとある場所で、サックスの音を奏でます。
どこかで鳴る音は、それでも遠き誰かに届く様な気がするのです。
満ちし音波も光も春の中
何度でも繰り返し引用しよう。
「完全に商品と化した文化は、スペクタル社会の花形商品となる運命にある」
フランスの著述家ギー・ドゥボール Guy Debordによるこのフレーズ。
ハリウッドの映画セットのような環境破壊末の果ての現実世界、あるいは路上を走るけたたましい資本主義のノイズ。
思想なんてものともしない輩たちが牛耳る世界。
人々は今ある距離の中で生活をする、実は当たり前の時空間に生きている。
自力でなく乗り物を使い移動することに常に罪悪感を感じる。
動くからには、命をかけて生きようと思う。
楽器一本を携えて。
巷ではbandcampというプラットフォームでの音楽の発見、購入、交通が頻繁に行われています。
5年前にUKの友人から勧められていたもののようやくopenmusicの登録が完了。
早速まだ見ぬリスナーの方々に購入いただき候。お礼申し上げます。
Manuel Göttschingをやはり5年前くらいから聞き始め、その世界の虜になりました。
作品はInventions for Electric Guitar。
openradioでも選曲したいものの、46分の作品ゆえに、そして現在入手困難のため断念。
心身の変調をこの音楽を聴きながら感知する方法もみつけました。
可視化されない感情=エモーションと、realisticな器官としての横隔膜の関係の中に見出せる、変調。
わたしがなぜサックスという楽器を演奏するに至るか明確になったのです。
肺は袋でしかなかった。
呼吸そして感情のコントロールの要は横隔膜であったと…。
この発見をどのように音楽に還元できるか。
bandcamp openmusic
→https://openmusic-ky.bandcamp.com/
反復の呼吸と生きて春の風
いつもopenradioをお聴きいただきありがとうございます。
かれこれ152回目の放送を迎え、少しだけリスナーの方々とのやりとりも始まり、続けることの醍醐味を味わっております。
openradioをはじめたきっかけは二つあります。
生活を支えてくれる世界中にあるラジオという存在への憧憬。
(旅する国々で乗るタクシー、砂漠の、赤土の荒野 etc..で聴くラジオ)
そして、始めた当時病床に伏した方と、メールもできなくなったからには音なら何か交通ができるかな、と思い始めたのです。
いつかはどこかの放送局で番組をもちたいぐらいですが、それでも自由にきままにできるmixcloudというシステムにも満足しております。
2021年3月の満月その燦々たる光。あまりにも強い光と絶望の狭間で、もう諦めかけていたのですが、やはり音楽そのものと、音楽を聴く人々、そして音楽の友がわたしの命を救ってくれたようです。
北海道アイヌ民族研究センターで出会ってしまった歌、ブラジルのジャズ、パレスチナのラッパー、シリアの声、ジャズピアニストはロマン主義をジャズに還元する。
そんな放送はこちらからご試聴いただけます。
00) Amparo (Nelson Veras)
01) Francisca (Nelson Veras/Magic Malik)
02) Uekap (マレウレウ)
03) Saranpe (マレウレウ)
04) Ya youma (Osloob)
05) Resignation (Brad Mehldau)
06) Lilia (Nelson Veras/com : Milton Nasimento)
→https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no15220210329-full-moon/
憧憬の月春を呼ぶざわめきや
カリブ海グアドループを出自にもつ作家、マリーズ・コンデをめぐる旅、料理、手の記憶 etc…
大辻都さんというマリーズさんの翻訳をされ、またカリブ海文学のスペシャリストである彼女のレクチャーその後は、トークセッションとなり、やはりカリブ海を代表する作家エドゥアール・グリッサン「第四世紀」の翻訳者である管啓次郎さんを交えての鼎談。
必殺仕掛人は京都府立大学の松田法子さん。
「フィールドワークセッション」をラボ内で主宰されており、「そこ〔で・に〕生きるための、知のありか」スローガンに毎回面白いトークセッションを展開されています。
アカデミックという言葉やイメージが嫌いなのですが、あまりにも日常で、だれにとっても根源的な事象である »食”をテーマにした内容であることから参加した次第。
« 作る側、農学 »としての食、 »生活、家政科・栄養学 »としての食、そして »料理する側、調理学校 »としての食 »という分野がありましたが、ベルギーの美大では デザインキュリネール= »食のデザイン »という分野の学部が世界ではじめてできたそうです(2010年くらいだったかな)。
また、食からみるジェンダーは非常に興味深い限りです。
そして、食とジャズを基に人類を語ればもうそれだけで一生終わってしまいますね。
人間の数だけポリフォニー的響きが生まれ、もし響き合わないのであれば仕方ない。
いや、響かない理由を逆行的ベクトルで模索するのではなく、小さな世界も大きな世界もある瞬間に両手を広げて迎えてくれているのだから、そんな寛容性に抱きしめてもらう、というのも手です。そこから生まれる関係性に深みと高みが加わったならもういうことなし。
春分・お彼岸そして上弦の今日3月21日はなんと盛りだくさんな日和でしょうか。
夜半3時に西の空へ沈む黄金色の半月を見届け一服すれば、あ、流れ星!
ロマンチックな春分を迎え、視界は東から西へ。
垂直的次元からの春雨は対流圏からの恵みとなるか、あるいは誰かの哭泣か。
重力を伴いこの地に滴る命の水は、そう、粘菌類の生成を支える。
菌類であるキノコがなければ今わたしたちの生なんてこの地球上に存在しなかったという事実に、感動さえします。
あまりにも有名な蕪村の、「菜の花や月は東に日は西に」と対極的西洋の見方は、East of the sun and west of the moon 。
水とは、西洋では地から湧き出る泉、東洋では空〜山の恵み。
ベクトル、あるいは発生の認識の差異。
これを音的世界の感覚の差異となるか否か。
どこでもない場所で、暫しの浮遊感をもって、音楽との交通に浸る、至福の時。
目下はまっているドイツ、ベルリン在住のミュージシャン、Nils Frahm ニルス・フラーム。
彼の音世界、ちょっとないですね。音の陰影に身を委ねる限り。
openradio No.151 2021/03/21上弦の放送は、こちらからご試聴になれます。
ドイツからエレクトロ/ポストクラシカル Nils Frahm、
スタン・ゲッツのジャズ、
1982年のカメルーンサイケデリック、
Adiemus 南アフリカの声のポリフォニー…。
→https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no151-20210321-waxing-moon-equinox/
00) Ten (F.S Blumm&Nils Frahm)
01) East of the sun and west of the moon (Stan Getz/Kenny Barron)
02) Sip song (F.S Blumm&Nils Frahm)
03) Ross’s Harmonium (Nils Frahm)
04) Binta Madiallo (Francis Bebey)
05) Ein wienner Walzer (Adiemus)
始まりの音立ち上がり春の煌
職業柄インタビューを受けること多々あり。
同様にインタビューをすることもそれ以上にあります。
Ovniというフランスで発行されているフリーペーパーの職業人シリーズでは、どれだけの人々と対面(一日中張り付く)してきたか。
楽しいんですよね。
対相手の核心を探る時間の妙、その瞬間を一気に感知する醍醐味。
文章という平面になり、それがいつか次元を超えて誰か、読み手の心に届く。
被写体的対象となる彼ら自身がインタビューを受けることによって見つける »何か »、その瞬間に立ち会うことになる。
わたしが今までインタビューをしてきた人々、その時間の後の彼らの表情は、いつも颯爽としたものでした。
今回は受ける側として、裸にされた気分ですが、それでも、JazzTokyoの編集長稲岡さんの提案に感謝いたします。
こちらのサイトから→
→https://jazztokyo.org/interviews/post-62685/
生まれ育った場所を故郷と呼ぶならば、地方から都市へ、人々は根をいつの間にか、知らないうちに失い、国家の一員に抗うことなく、成った。
では、国家は故郷なのか。
移動の時代になって国単位の根を拠り所とするのか、あるいは生きる土地(場所・コミュニティー)を根とするのか。
わたしにとって国家とは、パスポート上の国籍である日本がもつ査証の有効性だ。
わたしは根をもたない。しかし、すべてが根であるといえる自信がある。
中心、ひっそりと在る、無数の中心が根になる。
今日はシモーヌ・ヴェイユ Simone Weilの誕生日だ。
哲学を、身体を駆使する労働をすることで体現した、真の哲学者。
体、体だ。インテリなんてくそくらえ。
そして、夭折した彼女の思想は死後見つかったカイエ(ノート)に、溢れ綴られていた。
彼女の遺作は、「根をもつこと L’Enracinement,」。
「重力と恩寵」のページをめくるとしよう。
我々は今日、立春に迎えられる。
宮本常一の命日1月30日。
紀伊国屋書店販売部の知人に頂いた写真集「昭和の情景」には、無数の故郷をみた宮本常一の眼差しがある。
彼は日本を歩き、土地風土の中に生きる人々を撮り、彼らの息を感知しつづけた。
2012年、生田緑地にある川崎市岡本太郎美術館で開催された
「記憶の島 ― 岡本太郎と宮本常一が撮った日本」。
二人の日本への眼差しは、彼ら観るもの(旅人)と、観られる者(その地に生きる人)との間にある空気がはっきりとカメラに収められている。
企画をされ、また展覧会を案内してくださった学芸員の仲野さんを、ある人物を介して知ることとなった。
その人物はマルセル・モースを生涯の研究対象とした。
戦前パリ、岡本太郎はバタイユやレリスとの交流と同時に、マルセル・モースの講義に出ていた。
学びの対象とは、人類の生きる姿。民族学、民族学と呼ばれるものだ。
宮本常一は戦前から日本中をくまなく歩き、民衆というものを民俗学の分野で調査し続けた。
それは今の映像人類学への予感でもあった。
同志として岡本太郎と宮本常一は時代を生きたことだろう。
経済という魔法に取り憑かれてしまった人々に、彼らは寄り添うことは決してないだろう。
人から人へ、音も言葉も香りも伝搬し、それらの要素は今日わたしたちの生の救いとなっている。
青森の農村へ。もちろん恐山へも。まさか六ヶ所村が核燃料サイクル基地になろうとは夢にも思わなかっただろう…
人は今日足跡残し雪の道
二十日正月・骨正月を迎えいよいよ年の始まりとなります。
流行感冒、急性胃炎、盛りだくさんのドラマティックな秋を過ごし、そして年始にダウン。
花にめっぽう恵まれたことが少しの救いだったかもしれません。
仕事始めの初サックスを吹けば、なんともこの楽器が必要とする身体能力を感じずにはいられません。
特に腹筋と肺、そして口筋。
初めてこの楽器と出会った一週間は毎日立ちくらみがしていた事を思い出します。
吹くよろこび、曲が生まれるよろこび、ごはんをつくるよろこび、そして、花を愛でるよろこびに明日、迎える上弦の月を愛でるよろこびが加わります。
本来わたしにとっての年の始まりは春分なのですが、対外的なご挨拶として、
本年もどうぞ、よろしくお願い致します。
カサブランカ、アマリリス、柊、ヒペリカム、スイカズラの枝のcomposition
エゾスカシユリ、チューベローズ
チューベローズ=月下香は今使っているOFFICINE UNIVERSELLE BULYの香水に使われていて、目眩のする微香がたまりません。
アイロンをあてることなく骨正月
仕切り直し、とはいかない、前と後の現の間で実存する時間。
しかし「Comecar de novo 新たな始まり」、気持ちを一新するに、年の節目は有効かもしれません。
月という存在がもつ反復性は、仕切り直しを援護してくれるようです。
ペルーの風、UKの融合的リズム、シンコペーション、ブラジルの憂鬱、ジャズマンが社会の中で奏でる音。
絶不調の流行感冒、胃潰瘍的痛い腹をおさえて始まった新年。
今年もopenradioをよろしくお願い致します。
2021年1月新月の放送はこちらから
→https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio2021113-new-moon/
1) El Plebeyo (Los Morochucos)
2) Raindown (Brothely)
3) Comecar de novo (Simone)
4) I can’t get started (Charles Mingus)
5) Historia de mi diva (Los Morochucos)
年迎ふ仕切り直しのなき現
色々な土地に行き、その地の人々の息、あるいは土地自体の息に耳をすますと、彼らのささやきがはっきりと聞こえてきます。
とても遥かなる距離の間できっと彼らが生きる「色々な土地」は呼応しているのだと思います。
2020年はもう訪れませんが、これまでも、そしてこれからも、月の満ち欠けと共に音楽がそばにある生活を…。
今年もopenradioをお聴きいただきありがとうございました。
2020年12月30日 満月のopenradioの放送はこちらからご試聴になれます。
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-20201230-full-moon/
01) Te Quiero (Silvia Iriondo)
02) Casi Casi (Silvia Iriondo)
03) Cyrcles (Ky+Nicolas Pfeiffer / Mogan Cornebert)
04) Elsa (Bill Evans)
05) Falaise (Floating Points)
06) Marini Belletto Secundo (ensemble baroque de Mateu&Marie Leonhardt)
丸木位里さん(もちろん俊さんも!)は旭川のお寺での邂逅、そして東松山へバイクの後ろに乗って行った10年以上前から、かけがいのない存在です。
凍月や燦然の中距離の中
あまりにも驚愕、というか当然のことに納得した事例。
それは、ある詩人のインターネットラジオで聞いたその声が、想像通りの音声であったこと。
正直わたしは詩にはあまり興味をもっていません。
北園克衛と若松英輔、Tristan TzaraとCésar Vallejoを除いて。
あ、Michel Leirisもいました。
俳句なんてやっているのにね。
明らかに違うのは、言葉の数。
俳句にひかれるのは、放置プレーなところ。
詩人の声は、その詩とそっくりの声でした。
来年伊勢でのプロジェクトは、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」といわれる朝熊山を郷里とする北園克衛をテーマにした、音と言葉の本。
ある写真展で被写体となった人々と出会う。
彼らの瞳の中には、彼らを視つめる一人の人間の姿がいる。
できるだけ、その関係性の邪魔にならないように、刷印された時間をわたしたちは見つめるのだが、彼らはあまりにも優しいから、第三者であるわたしたちを仲間に入れてくれる。
そうすると、彼らの世界の中に、2時間も、3時間もいることになります。
不利を利へむかわせる。
コロナ禍において、人と人との距離を保つために仕切りをとった展示会場は、意味じくも人と人が空間の中で居合わせる、という世界を作ってくれた。
会場真ん中にある、映像を囲む椅子は、はちみつの酒を回し飲みした西アフリカの父さんたちの空間と同じようなフォームと、暖かさが漂う。
ドラマティックな出会いもあれば、いつの間にかの関係性になる出会いもある。
それもこれも運とあなた次第。
わたしはといえば、ある人に会うために、交通手段と所要時間を選びません。
棟方志功に会うために、浅草ー羽田ー小松空港ー砺波は福光光徳寺の往復一日を、なんとも思わない。
お疲れ様は、表参道の月光茶房にておいしい音楽を聴けばすべてはチャラに。
石垣島に老師に会いに行けばあの海の色が待っている。
夜明け前の無人駅にスーツケースを引きずり始発に乗ることだってへっちゃらだ。
徳富蘆花に会うために、伊勢志摩から汽車を乗り継いだ曾祖父の血だ。
福岡、甲賀、生口島、秩父、諏訪、柏、浦賀、近江八幡、山形、富士山、天橋立、飯能、西伊豆、富山、小布施、赤坂….
いや、実のところまだまだある。
その全ては、静かな移動、静かな愛。
本物。
異次元。
品川港南口で赤の交通指揮棒ふってこの展覧会にすべての人を誘導したい。
絶対行ってください。
わたしはといえば、また彼らに会いに行こうと思います。
会場真ん中にある焚き火で暖をとりながら彼らの声を聞くために。
渋谷敦志 Atsushi Shibuya
写真展 品川キャノンギャラリーS
-GO TO THE PEOPLES 人のただ中へ-
12月14日まで
https://cweb.canon.jp/…/archive/shibuya-peoples/index.html/
UKジャズピアニストGabriel Latchinのアルバム、The Moon And Iという作品をみつけました。
イタリアのアンデス音楽Trencito De Los Andes、ミュージシャンの逝去によって解散した日本人オルタナバンドBOOM BOOM SATELLITES 、渋い歌声のMadeleine Peyroux、Quincy Jones…
死と同居するしかない満月。
今宵のopenradio 138回目はmixcloudからご試聴になれます。
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio20201130-full-moon-n138/
一歩ゆき気配なきまま影冴ゆる
ある音楽の魔術師から、
「21時頃は綺麗な月夜だったのに、今はすっかり雲の向こう側。」
この数日同居人となったポニーテールが似合う、ソフィア。
彼女はメキシコにパパを持ち、岐阜のママをもつ。
彼女が仕事から部屋にもどってきた時、すっと手が伸び、彼女の背中をさすった。
「あ、ここ触ってもらいたかったところ」
なんですって。
伊藤亜紗さんの『手の倫理』を、読みたい今日。
openradio10月満月の放送は、移動移動の最中のケーブル紛失にてお送りできませんでした。
過日のものにはなりますが、生口島=レモン島の仲間との収穫、そしてささやかな演奏を支えてくれた仲間たちのセレクトをお聴きください。
mixcloudからのご試聴はこちらから。
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio20201031-full-moon/
ヨルダン、UKブリストルの二人、medeski,Martin&Woodそしてブラームスを…
トニーファームの柑橘果実。
紅葉闌の河口湖を後にし一路長野へ。
20年前にとある仕事で訪れた茅野の地で吹いたサックスの音の若かったこと。
「くるみ」はあの当時そのままに、音と時間を吸収した樹の家が迎えてくれました。
再会に涙。
木葉社、yaso、森のかけら…樵きこりとは、アーティストであることを証明してくれたその人は、そう、芸大から長野の山に帰ってきたのです。
「旅人の樹」
君たちは森、わたしは泉、そして旅人は樹になる。
(T.Tzara)
森からの贈り物。赤松のお茶。
https://www.yaso.jp/
秋山に樵の生きる姿あり
京都御所東角にある場所での演奏を機縁とした出会いはかれこれ10年となり、ほぼ毎年天橋立を訪ねています。
玄妙庵があるその山からみる奇跡の景は遠近の景となる。
毎回深い発見のあるこの土地。丹後内地は連なる山そして平野にぽつんぽつんとある不思議な山。
皇大神社奥、天岩戸神社の水に響くサックスの音はまた格別で、もちろん日室山へ一礼し、一路河口湖へと向かいます。
実のところ高速道路ではいつ捕まってももおかしくない時空間速度で移動。
車内は様々なサックスソロのアルバムとPink Floyd、時々Atahualpa Yupanqui ユパンキのギター。
明日は富士山をバックに、音の粒は果てしなく飛びゆくことを願う限り。
Mt.Fuji河口湖ジャズフェスティバル2020では11月6日13時からの出演です。
http://kjazz.jp/?fbclid=IwAR2phzrHvG1xIg5o7AKE8oatZCwTrYgZsgrEq8Ffr-37qqblhloktg3wv9s
池田亮司氏の作品が天橋立公園に登場
光のアトリエと題したアートイベント「現実と空想のはざまで」
おもろうてやがて空しき秋の空
11月1日、満ち溢れる月夜の中、4名の語る言葉とともに、音を奏でます。
今宵参加される方には、収穫したての広島・生口島のトニー農園無農薬レモンをお配りします。
-ミツを開く会- 仲野麻紀さんを囲んで-
出演:今福龍太 / 管啓次郎 / 川瀬慈 / 上野俊哉
11月1日(sun)
open 17:30
start start 18:00
¥2000 1Drink
BAR bonobo
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前2丁目23−4
ご案内 by 上野俊哉
ーコロナ以降の状況のなか、何らかの違和感や居心地のわるさを自らの言葉と身体、あるいは社会や学校、遊び場に感じ、その何かを何とか言葉や音や映像・・・その他に紡ごうとしている者たちが、パリから束の間、戻っている仲野麻紀さんを囲んでお話ししたり、セッションしたりします。
とりあえず、それを「ミツを開く会」と名指してみる。
密を開く?
その密は三密の密ではないでしょう。
どちらかと言えば、秘密結社の秘密、証しえぬ仲間たちの親密、あるいは甘いかぐわしい匂いをほのめかす何かであるかもしれません。
密を恐れず、密に狎れず、蜜にまみえる。
今こそ、秘密の集いやキーワード、結社が重要となっているかもしれない、そんなあやうい時代の瞬間を、ちょっとだけ麻紀さんの音楽や語りの力を借りて外に開いてみる、そんなセッションのひとときです。
川瀬慈さん新著『エチオピア高原の吟遊詩人———-うたに生きる者たち』(音楽之友社)について、問いを投げかけ合う時間。
サックス、詩、ギター、月琴、朗読、唄、つぶやき、DJ/TJ、掛け合い・・・・・
即興と冒険に日常を拓く焔(コロナ)を煌めかせるために・・・・
近江八幡へは各駅停車にて亀山-伊賀-草津経由。
我が盟友ポーランドの作家Aliska Lahusentの作品との再会。
彼女の回顧展で演奏した美術館のあるクラクフは京都と姉妹都市だそうだ。
そして京都滞在は常宿、某ギャラリーオーナー宅は御所西隣。
岐阜は谷汲山のお寺での演奏では、文化人類学者たちが旋回。
揖斐川の堤防をひたすら南下、西方遠方には濃尾平野を見渡す養老山脈。
荒川修作の天命反転地と養老の滝ははずせません。
甲賀の里は、白州正子の「かくれ里」最初に登場する擽野寺でのちょっとした演奏。
そして来春にむけて、茅葺、囲炉裏、土間のある、里山の書斎お披露目の企て。
山河風物、伝承、習俗…ここへ来る導きの話は、あまりに切ない。
四日市では、いつか会うはずであった奇跡の陶芸家内田鋼一氏と、萬古焼アーカイブとしての宝庫Banko archive design museumで初対面にして音世界の予感。
そして今や盟友と呼んでいいのだろうか、元feel art zero、現 Nao Masaki ギャラリーの正木なおさんと桑名は「七里の渡」の夜の散歩、目の前の宿 MARUYO HOTELでのひと時は、来春の演奏の場となる企て。
そう、ここは東海道熱田神宮から紀伊半島へ入る入り口。
どうやら伊勢への旅はすでにはじまっているようです。
旅とは、華やかな孤独である。
芸術の贄を選んだ秋の夜
Openradio136回目の放送のテーマは、「近くにあって遠くにいるものへー」
先日逝去された近藤等則(Tp)さんが奏でたマチュピチュ、そして富士山。
奏でることのできる今、わたしたちはどこで、だれに向かって、
演奏するのでしょうか。
もしかしたら、そのベクトルは内に向かっているのかもしれません。
いや、音は外へ、放たれるものなのです。
2020/10/23上弦の放送はこちらからご試聴になれます。
→https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio20201023-waxing-moon/
01) Ndeve Guara Santaní (Dúo Bote)
02) 秋彩 (近藤等則)
03) ソムアディティア (優芽/鈴木俊)
04) Hasta Siempre Comandante (Robert Wyatt)
05) Q (Bobo Stenson)
今秋の逢瀬はどこか遠きかな