Archive pour 料理 cuisine

ピアノという名の調理台 ~Bernard Loiseau~

トルコから蜜月旅行にやってきた、パーカッショニストのグルカン夫妻と共に、

ノエルを過ごす事に。

久々の彼との演奏で、私のもたったお尻を押される感じが心地よく、

音は丸く丸くなるも、音の先端は方向を定め、彼のリズムによって鋭くなるのです。

 

シャポンに内臓、パセリたっぷりのファルシ、栗を詰めて、

ここでの美味しさの秘密はプティスイス!

なるほどなあ、ファルシがジューシーになるのは、バターではないのですね。

しかも、計3時間の焼き時間の真ん中で、再度プティスイスを皮に塗るのです。

トルコ語と英語のまぜまぜ、しかもシャンパン、白、赤、

そして黄色いJuraのワインまで登場し、

まるで何語で話しているかわからないけれど、

かれこれ2週間の外食による胃の疲れはここでピーク、かしら。

ピアノという名の調理台 ~Bernard Loiseau~ dans 料理 cuisine chapon-300x225

 

レシピの著者、Bernard Loiseauは、結局自殺してしまった…

彼の料理の教えの中で、色々な料理にまつわる言葉を学んだ。

 

-singer=サルのまねをする、だけれど料理用語では、小麦粉を振り入れる。

-chemiser=被覆をつける、だけれど料理用語では、型の内側にバターを塗る、紙をしく、etc…

 

音楽用語は、そして料理でも大活躍!

Piano=調理台の事。

 

アフリカでは料理をする時、調理台はないですね。

ママ達は、釜戸で、中庭で、みんなと仲良くしゃべりながら小さなナイフで掌の中で器用に野菜を刻み、

煮込み、水回りも不自由なのに、使った道具はきれいになっている。

もちろん赤ちゃんを背中(というかお尻の上に)におぶって。

そして、指ピアノはあるけれど、あの大きな »ピアノ »は、ない。

西洋でいう調理台=ピアノが、現実のピアノである事は勿論、生活の背景も見えてくる。

人はこれを、文化と呼ぶのでしょうね。

しかし、

調理台=ピアノがない事を、民度が低い、とはいえないでしょうね。

 

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Commentaires

池波正太郎の、「散歩のとき何か食べたくなって」

池波正太郎の文章にはまると、日々の生活風景も彼の作品の中の様になってくる。

ここパリでは指をくわえるしかない店の名が連なり…

「名古屋の百老亭」 よく父親と行ったなあ…一体何皿食べたことか。

もちろん大須のお店。

「高橋の伊せ喜」 まさに江戸の下町を感じさせる佇まい。

九州の鍼の先生と、斜に構えて鰌でちびちび。

「とんき」 これまた父親と。

とんかつ食べよう!といえば、上野の井泉か目黒のとんきだった。

ところで本の中には牡蠣、が出てこない。

今は東京フォーラム内に入ってしまい、味気ない雰囲気になってしまったけれど、

有楽町の「レバント」。

的矢の牡蠣が食べられるお店にして、 あの昔の雰囲気(給仕さんも含め)が

消えたのは、寂しい。

それに、三ノ輪の「参」が店じまいしてしまったのは、本当に残念。

グルメでもなんでもないけれど、 遠い故郷を想い、食の妄想に走るのは、

単なる食いしん坊の性。

そんなこんなの日には、クレソンをたっぷりと買ってきて、

玄米に、クレソンのスープ、白身の魚をさっとポワレして、添えにクレソンのおひたし。

粗食の醍醐味、といきます。

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