バタイユの色気
この4年間、”生きたい” と言葉を放った男たちの死と共にあった。
そして”死にたい”と言う私は今だ生きているという事実に吐き気を覚える。
彼らの仕事は今も輝いている。
書物として、音楽として、教育として…彼らの美意識そのものだ。
追ひかけて追ひかけられて夏終わる
この4年間、”生きたい” と言葉を放った男たちの死と共にあった。
そして”死にたい”と言う私は今だ生きているという事実に吐き気を覚える。
彼らの仕事は今も輝いている。
書物として、音楽として、教育として…彼らの美意識そのものだ。
追ひかけて追ひかけられて夏終わる
命の音、その音を聞かなくなった時、命は失われる。もちろん、聞くという行為をやめた者の命のことだ。
死者を迎え、送る。この繰り返しの中にわたしたちの命がある。
キューバ、アフガニスタン、ブルターニュの精霊Corriganコリガンが生きる森、川の声、Moondoogをピアノ一台で、ジャズの巨匠は土曜の朝にウインクする。
openradio No.169/2021年8月の上弦そしてお盆の放送は、mixcloudからご試聴になれます。
01) Con Aji Gua Guao (Juan Pablo Forres)
02) Nasaran (Ensemble Kaboul)
03) Riviere de Huelgoat (Bernard Benoît)
04) Elf Danse (Vanessa Wagner)
05) Saturday morning (Ahmad Jamal)
向かふ先薄暮の夏は消へゆきて
もういまや中心には全く興味はなく、それでもいつも一歩先を自然に感知して歩いてきたつもりです。
次のRDVはNZあるいはマオリ語でAotearoa。シェンゲン協定に対してわたしの査証は有効なので、その後はリスボン。
それまでにやることは、 »日本における世界の表象のズレ »(=カリブ文学研究者 中村隆行さんのフレーズを引用)を内包しつつ、冷ややかに旅を進める覚悟そして語学ツールの強化。
道中楽器と共に海の藻屑になれたらそれほど幸福なことはない。
その果てに世界の果てに夏沈む
立秋と新月を一緒に迎える。すると何かざわめきのような、それがどこへむかうのかわからない不安を孕んだざわめきを感知します。
そういう時はできれば山の木々の中に佇みたいものですが、今は海の波音を聞くしかなく。
openradio No.168 8月新月の放送はmixcloudからご試聴になれます。
ブラジル、ブルトン、南セネガルそして、サティが涼となりますように。
01) Minha namorada (Maria Bethânia)
02) Gavotte À Deux Violons
03) La musique de Casamance
04) Gymnopedie (Ky)
05) Trois mélodies No. 1 : Les anges by E.Satie (Barbara Hannigan)
立秋や音の残影宵始む
note上の「勝手にレビュー」はopenradio No.167でご紹介したメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」です。
こういった音楽をCDで聞く世界から現実の演奏会で聴ける日が来ることを切に、願う。
人生とは庭の上に広がる空を見逃す花に戯れる幻想だ。
またもや不眠シーズン到来。
その原因は夏の夜に浮かぶ月の光。
どうしたものか橙色の光に呼び起こされる。
すると現れる感情は、期待と落胆。
わたくしも当然含め人類その存在へのDéçu。
その繰り返し。
一服二服して煙草で扁桃腺を腫らし、バルザックとレリスを並読、ヴィジョンその先の有限にまた落胆。
しかし目の前には海。
C’est comme ça la vie!
で、人生は終わる。
似て非なる、しかし同じ表象としての何をみているのでは、と思う引用を二つ。
Triste fleur qui croît seule et n’a pas d’autre émoi
Que son ombre dans l’eau vue avec atonie.
Stéphane Mallarmé
(無力に水面に影を落とす 動揺せずひとり咲き育つ悲花)
水に影ある旅人である
山頭火
(A traveler his shadow on water)
マラルメを俳句的にすると山頭火のそれになるというか…
深く、しかし削ぐことによって生まれる本質、それが詩なのかもしれません。
Twitter「咳をしても一人」では、自作の俳句よりも、覚え書きとしての引用をつぶやくことに興味あり。
同時に他言語(とはいっても英語、仏語のみ)の比較をすることで言語トレーニングにもなるかと。
https://twitter.com/momo_sax_
openradio No.163 下弦の放送は、ピアノ2台によるエリス島、モーリシャス島のドキュメンタリー映画のためのチェロそしてあの島のリズム、セガ。
アルジェリアの枯淡たる声Abdel Hadi Halo、Jon HassellとブルキナファソFalafinaの妖術的リズム、キューバの雨、音による残映….
01) Ellis Island /com. Meredithe Monk (Vanessa Wagner/Wilhem Latchoumia)
02) Night Moves (Jon Hassell/Farafina)
03) Min Yaati Kalbon Lil Melah (Abdel Hadi Halo)
04) Attention aux cipayes (com : Yann Pittard /cello : Karsten Hochapfel)
05) Valse mauricienne (com : Yann Pittard)
06) Cuban Landscape With Rain (Los Angeles Guitar Quartet)
この季節だけの、肌感覚としての翠雨。
ご試聴はmixcloudから
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradiono163202171waning-moon/
The frog in the well does not know the big sea.
But he knows the blueness of the sky.
ある寺の住職、それは僧侶というか、寺を管理する役割としての名称というか…
ともかく臨済義玄を師とするある方が話された、例えです。
あの名ことわざ、”井戸の中の蛙”
大海をみることはない(知らず)、しかしその境地だからこそ大空を見ている、という逆説的発想と視点。
実のところ、大海など見なくても、与えられたその地で、深みにたどり着く。
そんな深淵たる人の生きるという営みを謳歌しているフレーズだったのですね。
探求、掘り下げることのできる、あるいはそれしかない、ある意味潔い状況を持つ者にあこがれつつ、
そういうわたしは、相変わらず旅を続けています。
こんな風来坊な人生も、実は深みの域であるのかもしれません。
地図の上を移動するということではなく、その地その地の深奥を知るという。
それぞれにそれぞれが見る夏の雲
とうことでご紹介したい音源多々あるものの、6月満月のopenradioはお休みします。
代打でありませんが、6月24日(木)22h30~から民放ラジオ最長寿級のジャズ番組 !?
« テイスト・オブ・ジャズ »に出演します。
収録日は埼玉は飯能の畑での演奏を終え、虎ノ門に南下。
東京上空機上の人になることが多く地形を視覚的に感知すること多々。
西武鉄道に乗って、まさに荒川に沿って東京湾に向かう、そんな趣でした。
スタジオには畑でいただいた香菜、当帰の葉、ラディッシュ、ホワイトタイム …etcを。
そういえば、JazzTokyoでのインタビューで「夢はなんですか?」という質問に
「畑や農場などで演奏をしていたら、人々が(鳥や蝶や牛とかも!?)集まってきて、やんややんやと音空間が生まれる、そんな夢があります。」と応えたのですが、すでに叶ってしまったわけですね。
それでは、今宵6/24/22:30-ラジオNIKKEI第1でお会いしましょう。
(追伸:たたみかけるような早口で話しておりましたが…openradioではゆーっくりとした口調ですので。)
ラジオプロデゥーサー小西さんによる紹介
http://www.radionikkei.jp/music/527_1.html
JazzTokyoのインタビューはこちらから
https://jazztokyo.org/interviews/post-62685/page/4/?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=post-62685
同じくJazzTokyo 淡中隆史さんによる新譜CD評はこちらから
https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-64093/
水無月の月満ち満ちて吐息かな
本来であればフランスの夏至はfete de la musique 音楽の日です。
毎年フェスやらなんやら出ずっぱりのはずですが、今年はひっそりと一人の時間を享受。
庭、森の花々を失敬し、月華の宵とします。
こういう”日常”が、旅人生にはとても必要なんですね。
花々を誰かのために摘みし夏至
20世紀初頭、シュルレアリスムあの空気感と植民地~民族詩学の展開、アイデンティティという内的ベクトルと外にある存在は、格好の思索的材料となった。
ここでいう外には、なんとその生活の中にこそ、ある真正なる生きる姿そして詩学があったのだ。
-ミシェル・レリス著:生活の中にある聖なるもの-
日本において、彼の訳本を世に出し続けた編集者は52歳にしてもうこの世にはいない。
その人は江戸水道端、神田川を見下ろし印刷会社東に望み、夏目漱石の両親と仲良く同じ墓場にいる。
さて、彼の仕事をわたしはどう音楽に変換できるものか。
フィンランドの風、ウードとファドの邂逅、ギターと声のサウダージ、Marc Ducretというギターの存在、パリのジャズシーンを牽引したアメリカ人、そしてホルショフスキによる、フランスに生きたポーランド人ショパン…。
2021/6/18 上弦のopenradio No.162はmixcloudからご試聴になれます。
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no1622021618-waxing-moon/?fbclid=IwAR2dfakgTjN-UmV5YzZ5JgU2Ga6f1_BWEeWyNm578-uBRSZ1lla9H6bntuI
日常といふ日に落ちた夏の涙
そうこうしているうちにopenradio No.161となりました。
旅する道中での収録は、それぞれの空間の音を内包し、それぞれの日常がRadioの中から聞こえてこればいいな、なんて思いながらマイクに向かっております。
No.158 木曜日の雨と上弦
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no158-20210512-waxing-moon/
No.159 円環・円相
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no159-20210526-full-moon/
No. 160 代田というエロス
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no16020210602-waning-moon/
No.161 -新月の無、Nothing その憧憬-
https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no161-20210610-new-moon/
日常の深くに在りて初夏の音
それはいつも電車や飛行機やバス、一人運転する車の中で流すもの。
そして辿り着く場所で深呼吸。
一音出して、また移動。
お話することが山のようにあるものの、消化作業をせぬままパリに着きました。
早速友人山本豊さんの個展オープニングでひと吹き。
パリの喧騒、時々鳥、6区のジャコブ通りにサックスの音が交じる、そんな水無月のはじまり。
次の場所は、どこかな。
憧れて遠くにあって夏の雲
あまりにもしかしひっそりと続く旅、日々移り変わる風景を独り占めすることに慣れ始めてしまっています。
・一難去ってまた一難
・波乱万丈
そんなプライベートな出来事の連続性の中でサックスを奏でられるこんな機会もない。
縄文聖地諏訪~井戸尻の泉、飯能のブルーベリーとライ麦、パクチーの畑、和光大学の裏山、戸隠~飯綱の水芭蕉湿原、長崎の片島、五ケ山、佐賀川上渓谷、三瀬千年の桂の樹、はたまた目黒は碑文谷、世田谷の住宅街では目の前を坂茂さんが素通りする、犬たちがサックスの音に噛み付く奇妙な空間、荒川河口夢の島では第五福竜丸と、忍者の里甲賀では蛙の合唱と共に、深夜浅草寺境内…山谷では、お父さんたちの気持ちもちょっと塞ぎ気味だったかな。
何から語りましょうね。
初夏の道ひとりと世界呼応せむ
丸み、深み、温かみ。
朧に、境界に、空気を包む。
黒田泰蔵さんの白磁はクールなんかじゃない。
悲しいくらいに暖かい。
初めての演奏のギャラは、うつわ菜の花のオーナーから頂いた、黒田さんのうつわでした。
ご本人がいる、作品に包まれたその空間で、わたしは音楽を始めたのだと思います。
いつもopenradioをご試聴くださりありがとうございます。
フィールドレコーディングは、ひっそりと、ひっそりと進行中。
山、谷、駅、機上、港、川 etc…身近には実はたくさんの自然があることを、音によって発見します。
本日4月の満月のopenradioは放送できませんが、九州のとある場所で、サックスの音を奏でます。
どこかで鳴る音は、それでも遠き誰かに届く様な気がするのです。
満ちし音波も光も春の中
openradio No.155/4月上弦の放送は、バッハ、アルゼンチンの囁き、イタリアのジャズピアノ、小指のいたみ、サティ、セネガルのビートです。
ー岡本太郎が1938年International シュルレアリスム・パリ展に出展した作品《傷ましき腕》を想起させる「いたみ」という語彙。
彼が戦後日本で表現活動のひとつして執筆した書籍からは、人間の生きるという営みの奥底にある記憶ー縄文が見て取れる。
社会学・文化人類学者のマルセル・モースを師とし、シュルレアリスム運動に接した20代を過ごしたパリでの時間がその土台にあることは間違いないだろう。
わたしたちは、傷つけ傷みながら生きている。
ご試聴はmixcloudからどうぞ。
→https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no15520210420-waxing-moon/
00) Bach_ Ich Ruf Zu Dir, Herr Jesu Christ, BWV 639 (Stefan Temming)
01) La Viajerita (Atahualpa Yupanqui )
02) J’aimerais tant savoir (Giovanni Mirabassi)
03) 小指のいたみ(石川さゆり)
04) Fâcheux Exemple (E.Satie)
05) Njuly (Omar Pane)
見上げれば飛ぶも月さへ春の空
何度でも繰り返し引用しよう。
「完全に商品と化した文化は、スペクタル社会の花形商品となる運命にある」
フランスの著述家ギー・ドゥボール Guy Debordによるこのフレーズ。
ハリウッドの映画セットのような環境破壊末の果ての現実世界、あるいは路上を走るけたたましい資本主義のノイズ。
思想なんてものともしない輩たちが牛耳る世界。
人々は今ある距離の中で生活をする、実は当たり前の時空間に生きている。
自力でなく乗り物を使い移動することに常に罪悪感を感じる。
動くからには、命をかけて生きようと思う。
楽器一本を携えて。
北米-グリーンランド-北欧そしてアイヌの地。
ぐるっと一周と言いたいところだが一周も何も北極圏を中心にしてみればこの地域の至近感はみてのごとく。
以前網走で演奏した際、驚異の体験の場となった北海道立北方民族博物館。
天都山の山中にある、人類学的な見地で収集されたモノ、文献、資料の宝。
音も然り。北米インディアン~イヌイト~サーミ~アイヌ。
声なのです。
プリミティヴという名にふさわしい、声。
そういえば、退官後北米インディアンの研究をしたいと仰っていた方は、声をだすために詩吟を習おうかとも言っていました。
Native American Traditional Cree Music
https://www.youtube.com/watch?v=hKdcdOeTF-o
安東ウメ子 – フタレ チュイ [ Ainu Folk Music ]
地と風と北の概念春を待つ
生きる上でのスローガンがあります。
「宝物は俳句、音楽は血」
そして、43年目にしてようやく自覚したことは…
「恋人はJazz」、ということ。
その虜になる人との連帯も含め、
あの魔法のような音楽は、根源的な人類の生 La vie であるということに、ようやく気がつきました。
複数形恋する春にJazz兆す
いつもopenradioをお聴きいただきありがとうございます。
かれこれ152回目の放送を迎え、少しだけリスナーの方々とのやりとりも始まり、続けることの醍醐味を味わっております。
openradioをはじめたきっかけは二つあります。
生活を支えてくれる世界中にあるラジオという存在への憧憬。
(旅する国々で乗るタクシー、砂漠の、赤土の荒野 etc..で聴くラジオ)
そして、始めた当時病床に伏した方と、メールもできなくなったからには音なら何か交通ができるかな、と思い始めたのです。
いつかはどこかの放送局で番組をもちたいぐらいですが、それでも自由にきままにできるmixcloudというシステムにも満足しております。
2021年3月の満月その燦々たる光。あまりにも強い光と絶望の狭間で、もう諦めかけていたのですが、やはり音楽そのものと、音楽を聴く人々、そして音楽の友がわたしの命を救ってくれたようです。
北海道アイヌ民族研究センターで出会ってしまった歌、ブラジルのジャズ、パレスチナのラッパー、シリアの声、ジャズピアニストはロマン主義をジャズに還元する。
そんな放送はこちらからご試聴いただけます。
00) Amparo (Nelson Veras)
01) Francisca (Nelson Veras/Magic Malik)
02) Uekap (マレウレウ)
03) Saranpe (マレウレウ)
04) Ya youma (Osloob)
05) Resignation (Brad Mehldau)
06) Lilia (Nelson Veras/com : Milton Nasimento)
→https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no15220210329-full-moon/
憧憬の月春を呼ぶざわめきや
あまりにも遠い遠い地である秩父になぜ親近感をもつかというと、それは父が学生時代によく秩父の山々に登っていたことに由来する。
あの時代だから、国鉄熊谷経由で何時間もかけて秩父谷にたどり着いたことだろう。
今は彼にとって過去の人となったわたしの母は、わたしがネパールのポカラの山々を歩き、ヒマラヤを眺めていた時、彼女は雲取岳を登っていた。
まったく違う場所でしかし山の高さの次元は同じだったかもしれない彼女との、携帯電話という文明の利器によって会話をした、ヒマラヤ山脈あの景色をはっきりと覚えている。距離の、幻覚的感覚を覚えている。
さて、二度の離婚、死別を経て今父は四日市に住んでいる。
鈴鹿山脈北の極には藤原岳がある。
規模は違えど武甲山と同じくピラミッド型に切削された無残な山の姿。
当時は小野田セメント、現在は太平洋セメントという会社名。
三岐鉄道(三重+岐阜のハイブリッド的ネーム)自体は人間のためではなく、セメントを運ぶためにひかれた鉄道なのだ。
父の家に行くたびに使う駅舎に、真っ黒のコンテナが堂々と居座るそれを見るたびに暗い気持ちになる。
切符は未だに厚紙でパッチンと駅員が打ってくれます。
地域はセメント産業の恩恵を受けているのだろうか?
秩父同様山景を売りにしたカントリーサイドの豊かな暮らしを売りにしている”いなべ(員弁)市 »のIターンキャンペーンに抜け目がない。
それでも、あの鈴鹿山脈西方の地が生きる術としての行政の意思とそこで生きる人々のことを思うと、批判的な言葉はこれっぽっちも生まれない。
さて、国鉄に乗りそのまま南下すると、伊勢中川、尾鷲、熊野灘を左に新宮、そして熊野にたどり着く。
紀伊半島となるあの雰囲気が、伊勢志摩の山と海を出自にもつわたくし自身にとって、やはり特別な地であることは否めません。
規模はちがうけれど、切削された藤原岳の姿が日常になってしまうという現実
同一性土地春迎へ春捨てる
春分・お彼岸そして上弦の今日3月21日はなんと盛りだくさんな日和でしょうか。
夜半3時に西の空へ沈む黄金色の半月を見届け一服すれば、あ、流れ星!
ロマンチックな春分を迎え、視界は東から西へ。
垂直的次元からの春雨は対流圏からの恵みとなるか、あるいは誰かの哭泣か。
重力を伴いこの地に滴る命の水は、そう、粘菌類の生成を支える。
菌類であるキノコがなければ今わたしたちの生なんてこの地球上に存在しなかったという事実に、感動さえします。
あまりにも有名な蕪村の、「菜の花や月は東に日は西に」と対極的西洋の見方は、East of the sun and west of the moon 。
水とは、西洋では地から湧き出る泉、東洋では空〜山の恵み。
ベクトル、あるいは発生の認識の差異。
これを音的世界の感覚の差異となるか否か。
どこでもない場所で、暫しの浮遊感をもって、音楽との交通に浸る、至福の時。
目下はまっているドイツ、ベルリン在住のミュージシャン、Nils Frahm ニルス・フラーム。
彼の音世界、ちょっとないですね。音の陰影に身を委ねる限り。
openradio No.151 2021/03/21上弦の放送は、こちらからご試聴になれます。
ドイツからエレクトロ/ポストクラシカル Nils Frahm、
スタン・ゲッツのジャズ、
1982年のカメルーンサイケデリック、
Adiemus 南アフリカの声のポリフォニー…。
→https://www.mixcloud.com/makinakano/openradio-no151-20210321-waxing-moon-equinox/
00) Ten (F.S Blumm&Nils Frahm)
01) East of the sun and west of the moon (Stan Getz/Kenny Barron)
02) Sip song (F.S Blumm&Nils Frahm)
03) Ross’s Harmonium (Nils Frahm)
04) Binta Madiallo (Francis Bebey)
05) Ein wienner Walzer (Adiemus)
始まりの音立ち上がり春の煌