Archive pour 俳句 haiku

生きとし生けるもの

クレマチスの丘というちょっとした異空間でみる、
動物たちの息づかいが聞こえてきそうな展覧会がはじまりました。
富士の麓、土の上、なだらかな丘。
木漏れ日がさす昼の森もいいけれど、
ものみなが、ひそひそざわざわするであろう
夏の夜の森もいいかもしれません。
この森の動物たちは、展覧会会場のまわりで、
どんなおもいをめぐらせ佇んでいるでしょうか。

パリの自然狩猟博物館で行なわれたArt orienté objet
による展覧会は2014年だったか。
常設展である剥製との組み合わせ、アイロニー。
Marion Laval-JeantetとBenoît Manginによる世界は、
360度の角度で観る者に問いかけます。
自然と動物のあいだにいる人間というあなたとは誰ですか?と。

それぞれの会場で出会った動物たちに想いを馳せ、
しかし今日、常磐色と苗色の伊勢の山から降りてきた子鹿が、
赤信号を待つ車の左横に、すっと立っていました。
置ものかと思うほど凛とした佇まいのこの鹿に、見つめられてしまった。
これが、現在の日本の里山の姿のようです。

手つなげぬ二人の小径蝉時雨

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橋本雅也さんの、鹿の骨でできた日本水仙
なんという世界でしょうか

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Art orienté objetによる作品、空気を抜くとバグパイプの要領で音がでる。
動物との関係ぬきには楽器は奏でられない。
演奏家は直接的に、動物と接しているという可視化。

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内山節さんの、出展作家の、想いがあふれている
書物と呼べるカタログ。

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水と山に誘われて

丹後の山々は、その中を通る度に涙がでるほどの浅くも深く、
車窓からみる樹々に魅せられる。
いつもお世話になる天橋立・玄妙庵から望む宮津の海。
ぽつりぽつりと小さな漁船が浮かぶ景。
山々が海に運ぶ贈物の循環の中にわたしたち人間がいるとすれば、
この日本ではこういった共存する姿こそが真実であり原理のはず。
この地に、儲かる、儲からないという尺度は無用のはず。

水を求めて琵琶湖に着けば、朝焼4時が照らす水面。
井上靖「星と祭」にみる信仰の姿に出会うには、
まだまだ時間を要するからにして再び山へ入る。大原の清流、八瀬童子。
比叡山の静寂がひとりの時間をゆたかにする。
山頂からみる湖北の方向伊吹山を越えれば、その内にあるのは養老の滝。
そこから濃尾平野を一望すると、山々からの水が、人の生きる時間を支えている。
これらのgeographyは、小学校で学んだはずだった。
鳥瞰図という方法は、ものごとの全体を見るに有用であるようだ。

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生きる道天橋立大暑きぬ

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琵琶湖4時30

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この緑の中にひとり楽器を吹く至福

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-蓮始開-

七十二候、そろそろあちらこちらで蓮のお目見え、でしょうか。
本物を今年まだ見る前にこちらで拝見。
地下鉄の網棚に楽器を忘れてこれで3回目、
と学習せぬ我ながら呆れる。
和歌山は南海電鉄でなんばー和歌山市駅間を
4往復したウードもすごいけれど…

つかの間の蓮ある大気浄土かな

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忘れ物は日比谷駅。睡蓮が出迎えてくれる。

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この時期は様々な花も旨い。
バナナの花はスリランカ料理。
ズッキーニはイタリア風天ぷらで。

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寝ぼけてアテネ、眼がさめれば鈴鹿山脈

 「日本庭園を知る」講演会は、パリ、ロンドン、ウィーン、
ブタペストそしてマドリードと回り、無事満員御礼となり候。

「人間はなぜ庭をつくるのでしょう?」
という冒頭から始まる講演会の主役は京都の庭職人、石川佳さん。
このシンプルな質問から目の前に広がる庭への眼差しは、「ここに居る」
という事実につきる。
あなたがここに居る、だから、この空間は庭になったのだ。
なんだか禅問答のようですね。
さて、この講演会ウィーンの後パリに戻るはずが、なぜか機体はアテネに向かい、
蒼い蒼い海を見ることに。
寝ぼけて航空券を買うとこうなるようです。
そして、夢心地の日々を過ごし辿り着いた日本は伊勢志摩~鈴鹿山脈。
山の中にはヒグラシの音。で眼を覚ましたというふしぎな夕暮れ。
男梅雨空けぬ小暑、父が捕まえる今年の蝉一号となり候。

蝉時雨庭にようこそ安堵かな

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アテネまで15分

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ギルシャワインのラベル!本当にあるなら吹いてみたいな。

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伊勢志摩サミット!?ねぼけた祭りは放っといて、
太古からある志摩の海と地。

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日本の塩・フランスの塩

あかちゃんもばあちゃんも、汗をかいて、水を飲んで、
食べものから塩分をとって、汗はしょっぱい。
この連鎖はずっとずっと進歩しない原理ですね。
伊勢志摩は二見にある、御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)。
この御料地にある御塩御倉の »かたち »は、地球儀を回して
大西洋岸ゲランドという塩田地帯でもみることができます。
夏は夏で仕事にはげみ夕刻塩田脇でビールをのむ職人さんたち。
冬は冬で潮風を背中に自然の中にある年中仕事。
こういう働く姿を愛らしくおもうのは、
そこに根源的人間の姿をみるからでしょうか。

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御塩御倉

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ゲランドの塩田

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塩田に風通る道半夏生

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空港で羊に会いましょう

少し前までベルビル界隈にはマグレブの人々がろばを繋いで道を歩き、
18区のアフリカ人街では鶏コッココッコと鳴くCageが数十個、
近所の人はここで卵を必要なだけ買った。2002年前後のパリ移民街の風景。
2016年、空港の敷地には羊が飛行機と共存する姿。
あるいはだれかによるInstallation artというギャグだろうか。

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近代に羊の毛剪る人いずこ

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Crescendo <

藤の芳香の中で、歩く目線をすこし上げると、
桐の花、花、花。
双方薄紫の階調。
藤は垂れ桐は空へ、重力の中で生きている。

藤は春、桐の花は夏の季語。
春のフェイドアウトと初夏にむかうクレッシェンドの間にある
五月という時が見えてくる。

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珈琲をテラスで二人桐咲きぬ

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みずがめ座η流星群 η-Aquarids

ブルターニュ、23時。
村は真っ暗、電灯は皆無。
港の灯台が遠く瞬く。
空は新月。
すると、空は星たちの光で溢れる。
こぐま座、金星、みずがめ座η流星群。
すると、呼び起こされる映像は、チリの映画監督パトリシア・グスマンの
「光のノスタルジア」と「真珠のボタン」。

薄暮に浮かぶひこうき雲を見ながら、この得体の知れぬ機体に乗る
わたしたちの日常を思い浮かべながら、
生身の人間は、星のひかりに身をゆだねるしかない。

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惜春や瞬く星のそば去りて

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広場 – Arvo Pärt- 催涙ガス

広場の提議とは。
ローラースケート、杖をつく人々の手の温度、
ベンチの読書、恋人たちの口づけ…

スターリングラード駅北側は100年前はパリではなかった。
だから、運河の境目として、18世紀に建てられた
入市税の関所その名をLa Rotonde(円形車庫)という。
20世紀後半、フランス植民地国が次々と独立をはたすころから、
人々は、この地をパリのゴミ箱と呼んだ。
わたしはこのゴミ箱に住んでいる。
だから、19区の市民は、ここで生きています。
こどもたちがボールを蹴り、マグレブのおじさんたちが煙草をふかし、
おかあさんたちが井戸端会議。
そこに生きる世界がある。
そして、つい最近までは広場の意義が反映されたこの場所で、
若者は地べたに座り、政治を語り、ビール片手に芸術を語り…
その横でムスリムの家族はピクニックをする姿。
今日、行政はそのどれもを商品にしてしまった。
レパビュリック広場、ナシオン広場で立ち上がるNuit Debutの影響下、
広場という広場は、人が集う場という機能を奪われ、警察は催涙ガスぶちまく。
スポーツは入場制限がある範囲での »行為 »、商品となった音楽をガンガン鳴らす。
樹々の傍らで鳴く鳥の存在には目も向けない。

ペレストロイアカ前、エストニアでArvo Pärt アルヴォ・ペルトの世界は、
ある制限の中静謐な世界を脈々と紡いでいた。
そして、今日彼の音は、「音は消えても音楽はのこる」というほどの、
具現性を超える想像の中で、広場に鳴り響くのだろうか。

すべてを商品にしてしまう社会のしたたかさは、
小咄にするしか、ない。

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ECMのアルヴォ・ペルト
加藤訓子さんによる編曲版Spiegel im Spigelの世界は息をのむ。

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男の子が自転車を走らせ街を行く。
こんな景はもうみられなくなってしまった広場。

囀の向こうの空に下弦かな

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西は黄昏、東は夜

ノルマンディーに向う道中は一面菜の花。
あと三ヶ月もすれば、もろこし、麦秋を迎え、南の方からひまわり畑に変わる。
ヨーロッパの大地は、こうして気温の変化と並行して黄色が輝く、季節。
演奏会場まであと100km。遠方にモンサンミッシェルが見える。
人々は、昔この道を何とも歩いたことか…。
朝9時、パリから演奏者を積んで一行は片道5時間のルノーのおんぼろバス。

西は黄昏、東は夜。
フランス夏時間、演奏が始まる21時の風景だ。
十六夜の月の光を浴びて、会場の外で深呼吸。
さて、今日もいっぱい吹くとしよう。

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演奏会場では白いお馬さんが迎えてくれる

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丘は黄色に牧草は緑に

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コートジボワールのバシールが唸るリズムに女子が踊る!

春草のノルマンディーに立つ仔牛

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だれがレバノン南部で演奏するというのだ?

ヒズボラの拠点、南部に入るやいなや連なる旗、Allāhに身を捧げた者たちの写真。
ついで道を間違えれば目の前は、おっとイスラエル2km際…
UNのトラック、立ち入り禁止。
Uターンして山を超え、小さい村々を越え、
人が住むでもない豪奢な別荘はヒズボラの潤沢な資金のあらわれ。
羊の群、レモン畑、ベイルートから3時間ナバティーエに着く。

この街でだれが演奏をするというのだ?

「ナバティーエで演奏?ヒズボラに会いに行くの?」
とベイルートっ子に言われた。
ここで音楽を奏でた者はわたしたちで2人目だそうだ。
原理主義に近い彼らの組織である街に、音楽と名のつくものはなにもない。
日本人でこの地に来たのは、足立正夫氏、NGOぐらいだろうか…。
アンスティチュット・フランコ/ナバティーエの庭には街の人々。
鳥のささやきの中で音楽が鳴り始める。
なんというタイミングだろう、夜を告げる今日5度目のアザーンが、
演奏後に響き渡る。
楽器を片付ける奏者の回りには人集り。
みな、歌に、ウードの音に飢えていたのだと実感。

60年代~詩人や芸術家たちが夜な夜な集まり朗読会や討論をしたという、
街を見下ろすカフェレストランには、今は一滴のアルコールも詩もなく、
ただただテレビからニュースが流れ、男たちが吸うナギレの煙がたゆたう。

八朔の木陰に音は揺蕩ふて

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どんな大使や首相に聴いてもらうより、
子等に聴いてもらうほうがどれだけうれしいことか。

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アマル(シーア派)の旗で南部は埋め尽くされる。
welcome to Ḥizb Allāh、というわけだ。

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サイダの街。
第一次大戦前のオスマン帝国時代の名残で
このカフェは映画を当時上映していたそうな…

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今日もだから楽器を担いで演奏行脚だね。

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ベイルートで日本料理講座と相なりて

畜生め、戦渦上空を通過して、のうのうとレバノン到着か。
機内の地図にシリアの街の名前は、もうない。
シリアという国はやがてトルコという国になるのだろう。
第一民の国家はもう、存在しない。
国は企業だ。L’état est une société…

しかしこの地に着いたからには、今日集まった10人のレバノンの女性と、
明日の食卓にならぶおかずを作ろうではないか。
異文化交流なんて名称は一蹴、一期一会をモットーに。
きんぴら、鯖の味噌煮、しゃぶしゃぶ、みたらし団子。
この地に大豆の文化がないことは承知の上で使う、
これらのおかずに必要な醤油、の使用はやがてその輸出入の促進になるのだろうか…

生きれば生きるほど、原罪の確信的意識を芽生えさせられる。
そう、好奇心の果てにあるものさえも。
今一度、土地に生きることの原点に立ち返りたい。

朝東風にアザーンと鐘の重なりて

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みんなで作ると楽しいね。

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3キロ先に広がる地中海、そこに眠る人々とは…

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ワエルもヤンもそれぞれの想いの中歩く。

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夜中2時、若者は闘ってるぜ!

今宵演奏の帰り、われら同志ミュージシャンが気温9度の中、
体をはって演奏しているレピュブリック広場へ。
「緊急事態」「労働法典改正」反対の盛り上がりは、
「生きる」命におよぶ危機感と比例する。
ここパリはモロッコ・マラケッシュのフナ広場と化す勢い。
広場の中心で演奏しているのは凄腕のミュージシャンたち。
音によるトランスの境地に街や人を巻き込み、そう、若者は立ち上がっている!

毎度のこと、ツアーに出る前は録音…
吹き込みの切羽詰まった依頼。
万年時差ボケゆえ徹夜は苦にはならぬも、一人の作業。
この状況を支えてくれる夜鳴き鶯の囀、そろそろ聴こえてくる頃かな。

明日も、明後日も、若者は広場に集まるだろう。
フランスの、シリアの、エジプトの、
(↑彼はエジプト政府に徹底的にマークされている)
意思を行動に移す、彼らの姿だ。

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身を守りつつ、しかしこの熱気!

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テントで寝起きする者。労働法などの説明も受けられる。

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手がかじかみながらサックスを吹く

寄り集ふうねり続きて夜半の春

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ミモザと逢瀬・日本の里山鹿を喰う

フランスは立春過ぎた頃から、日本は春分を佳境にミモザが芳香を放つ。
南仏にはミモザ群生があるそうな。

誰訪ねて駅からの道は丘。こういう丘陵はその昔里山だったのか。
丘から見える遠方は、人溢れる街。足下には、野生の草たち。
誰訪ねて志摩の村に行けば、里山の奥で獲ったという鹿や猪をみやげにもらう。
村のみかん畑の木肌は鹿によるcâlinでつるつるに。
こういう里山のめぐみとして、喰う今日の飯となる。
空港に向う東に見えるのは、紀伊の山々。
なんともいえぬ安堵、感。

母愛でぬ玄関番のミモザかな

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ここはどの里山でしょうか

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萬古 ばんこ Banko

東海地区の土は、その昔何万年を経て粘土質を有し、
今に焼きものを支えている。
常滑、瀬戸、信楽(滋賀だけれど地の流れとして)…。
そこに、おそらくあまりメジャーではないけれど、
ひっそりと歴史を刻む焼き物、それが萬古焼。
父にいわせると、子供時代四日市の街には、
煉瓦でできた四角い工房の煙突が立ち並んでいたそうだ。
戦中生まれというからには、戦後の風景は現在へと変容したのだろう。
この萬古焼のデザインアーカイブを目的にできたのが、
BANKO archive design museum

陶芸家である内田鋼一さんの私設美術館となる。
これがすごい。
おそらく世界でもっとも小さな美術館。
思想がある。
小さな世界から、大きな世界を俯瞰できる、美術館。
設立にあたり刊行された図録を見ていると、
「この人高校の同級生だ。」と父がいう。
小さな美術館の窓口となるHPや紙媒体のイラストを描いた、大橋歩さんだ。
土地に生きる、生きたひとが、支えている。

春霞萬古の里に煙見ぬ

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工房があった界隈には神社が。
土の神さん、焼き物に携わった人々、みな一様に楠木が覆う神社にいる。

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あたまとからだ

ないおつむを使おうにも使い方もわからず、たまに使えばショートして、
調べものを探しに法学部生が使う図書館にいけば、
利用者の脳みそが館内に充満しているような空間に圧倒され、
1954年の雑誌の一部をコピーし、いざ帰路へ、と図書館出口付近にあったものは、
17世紀に綿布に描かれたヨガのポーズの数々。
このあたまとからだのバランスに、救われる。
救われるが、一向にあたまの回路はつまったまま。
草木萌出今日この頃、ないおつむから何かは生まれ、出口に辿り着けるのだろうか。

下萌やいまは辛抱あと少し

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Sainte-Geneviève図書館内の集中力は凄まじい。

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南インドで描かれた、29のポーズ

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発酵する音

実存的な音は、ぷくりぷくり。あるいはプスプス。
白菜キムチの、生きている証拠が毎日の音で確認できる。
人類は食べることを基本に、この世に何万年。
それを支えてきたのは発酵食品、と近年話題になっているような。

芥子菜を塩で揉む。それがふつふつと発酵作用をおこし、
水でちょっと塩気を落して刻んですり胡麻。うまい。
赤い小粒のラディッシュをフランス人は塩とバターで生をかじり、
葉が新鮮であればスープに。
しかしこちらも塩だけで揉めば、さっぱりした箸休めになる。
両者新漬の方法。

西アフリカにはスンバラSoumbalaという
日本でいう味噌、あるいは大徳寺納豆のような食材がある。
ネレの木の、莢の中身を乾燥→発酵させたもの。
これと合わさる味は、干し魚。
旨いソースを作るに必須であるこれらの材料からできた
料理の味わいの中に感じるノスタルジー、
それは鰹出汁+味噌、の風味。

発酵の原理は進化ではなく、偶然性をもった必然的流れ、
の中で生まれたのではないでしょうか。
偶然に対する好奇心、が発酵と共に生きてきた私たち祖先の生きた証。

ブルキナファソの母さんに教えてもらったオクラソースは、
とうもろこしの粉を餅状にした、トーと食す。
玉ねぎからの旨味、トマト、スンバラ、魚、唐辛子。
そして今やマギーキューブを入れることで味になる、そうだ。

ネッスルのマギーキューブNestle Maggiに支配された舌を、
人類の進化と呼ぶのだろうか。

白菜を洗うアジアの女たち

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漬けて一週間目。
タッパーの蓋は毎朝発酵により膨らむ。

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オクラソースは西洋人にはやや不人気。
ひとつに香り、ひとつにネバネバが難点のようだ。

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カストリアディス-ラスト・タンゴ・イン・パリ

民族問題、とは何でしょうか?
対岸で起きていることに対し、このひとことで納得し、
興味の範疇から消去する、という安易な思考回路を私たちはマス・メディアの
それに操られてきたようです。

先日の演奏会場は、ギリシャの哲学者、カストリアディスの自宅で行なわれました。
中途、トルコの伝統曲を演奏しました。
会場にいる人々はギリシャとトルコという”民族 »の狭間でどんな想いを抱き聴いて
いたのでしょうか。
民族とは、ある誇りを持ち、共存することなのでしょうか。
絆というやや軽々しい言葉の中にある、彼らの絆とは何なのでしょう。

コンスタンティノープルに生まれやがてギリシャの民となる者。
アテネに生まれやがてトルコの民となる者。
宗教を軸にしたこの背景で、それ以外の人々は、どこの民となるのだろう。

「具体的な歴史によって生成された個を超えた運命的構成体、
すなわち「民族(Volk)」
(明かしえぬ共同体:M.ブランショ:解説:西谷修:ちくま学芸文庫)

演奏しながら、個が、音楽のある空間で共同する瞬間を、少し見ました。
それは、”ウスクダラ”という伝統曲ではない曲を演奏した時。
ブルガリアの映画監督Adela Peevaの作品「この歌はだれのもの?」にあるように、
いつの時代も、どこでも、「民族」に頼らないみんなのもの、
であるこの曲は、だれのものでもない。

演奏後に振る舞われた、ぶどうの葉で米と肉を包んだドルマダキァは、
今日は特別レモンと卵のもったりしたソース付き。
ぶどうの葉の料理も、この地域にあるものとして、ある民族のものでは、ない。

帰り際Passy駅に向うに、このアパートが映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の
舞台であったと知った次第。
こうして、今日も地を歩き、演奏行脚の日々は続くのでした。

春寒に音の温さやだれのもの

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図書館のような家の一角にある、摩訶不思議な日本語の本たち。

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セーヌ河の目の前。
この日も寒く、だれかは外で聴いているのだろうか。

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板子一枚下は地獄 新年祈りのかたち

虚無に満ちあふれるこの時勢。
何望むでもなく、しかしこの村の人々は、ただただ五穀豊穣を、
あるいは土地柄海上安全を祈りとし、
年の始め1月2日に海の神さんへ三番叟を捧げる。
何年も何百年も受け継がれし人形の、お面が入った重箱の中身を、
それを抱える爺さんに尋ねれば、
「知らぬほうがいいものよ」
とけたけた笑いながらの返答。

今日喰うものがあり、海穏やかな、しかしそれ以外に何もない、
豊かな生きる営みが、伊勢志摩は安乗という漁村にある。 

初舞や凪の応じて三番叟

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いざ海へ

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祝詞、玉串奉奠と続き

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父尉の舞

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鼓に笛の音も、空に舞ふ

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アポリネール / ヤナーチェク Apollinaire/Janáček

アポリネールの生涯を描いたドキュメンタリー映画の音楽を制作中。
音楽となるべく音の粒は今パリで舞いはじめている。
監督からの依頼はヤナーチェクにインスパイアされた音を、
Ky à la Janáček Kyヤナーチェク風といったところか。

ノートルダム寺院にもエッフェル塔にも、人はまばら、のパリで、
アポリネールの「見る詩」を街の壁に貼る、といった撮影の試み。
それは彼の作品思念に呼応するため。
ヤナーチェクの作品で圧倒的に魅力を覚えるのは
「草かげの小径にて-言葉なく-Sur un sentier broussailleux-Sans paroles-」
二人とも、第一次大戦を生きた人間で、
一人は戦後、一人は大戦の終焉と同時に亡くなる。

時勢の影響を常にうけながら、それでも人々は音楽を愛でていたと思う。
もしかしたらそれはある希望であり、ある治癒なのかもしれない。

彼ら同様第一次大戦を生き、その後レベティコの女王として生涯歌いきった
ローザ・エスケナージからの言葉を。

Je dois mon corps à la terre noire,
mon âme au messager des morts,
et à mon amour je dois ma vie présente.
- Róza Eskenázy (1890-1980)

黒き地に躰をあずけ伝へしは我が魂を死者に送りぬ
(訳:仲野麻紀)

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冬の雨音は言葉に寄り添ひて

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