Archive pour 俳句 haiku

だれがレバノン南部で演奏するというのだ?

ヒズボラの拠点、南部に入るやいなや連なる旗、Allāhに身を捧げた者たちの写真。
ついで道を間違えれば目の前は、おっとイスラエル2km際…
UNのトラック、立ち入り禁止。
Uターンして山を超え、小さい村々を越え、
人が住むでもない豪奢な別荘はヒズボラの潤沢な資金のあらわれ。
羊の群、レモン畑、ベイルートから3時間ナバティーエに着く。

この街でだれが演奏をするというのだ?

「ナバティーエで演奏?ヒズボラに会いに行くの?」
とベイルートっ子に言われた。
ここで音楽を奏でた者はわたしたちで2人目だそうだ。
原理主義に近い彼らの組織である街に、音楽と名のつくものはなにもない。
日本人でこの地に来たのは、足立正夫氏、NGOぐらいだろうか…。
アンスティチュット・フランコ/ナバティーエの庭には街の人々。
鳥のささやきの中で音楽が鳴り始める。
なんというタイミングだろう、夜を告げる今日5度目のアザーンが、
演奏後に響き渡る。
楽器を片付ける奏者の回りには人集り。
みな、歌に、ウードの音に飢えていたのだと実感。

60年代~詩人や芸術家たちが夜な夜な集まり朗読会や討論をしたという、
街を見下ろすカフェレストランには、今は一滴のアルコールも詩もなく、
ただただテレビからニュースが流れ、男たちが吸うナギレの煙がたゆたう。

八朔の木陰に音は揺蕩ふて

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どんな大使や首相に聴いてもらうより、
子等に聴いてもらうほうがどれだけうれしいことか。

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アマル(シーア派)の旗で南部は埋め尽くされる。
welcome to Ḥizb Allāh、というわけだ。

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サイダの街。
第一次大戦前のオスマン帝国時代の名残で
このカフェは映画を当時上映していたそうな…

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今日もだから楽器を担いで演奏行脚だね。

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ベイルートで日本料理講座と相なりて

畜生め、戦渦上空を通過して、のうのうとレバノン到着か。
機内の地図にシリアの街の名前は、もうない。
シリアという国はやがてトルコという国になるのだろう。
第一民の国家はもう、存在しない。
国は企業だ。L’état est une société…

しかしこの地に着いたからには、今日集まった10人のレバノンの女性と、
明日の食卓にならぶおかずを作ろうではないか。
異文化交流なんて名称は一蹴、一期一会をモットーに。
きんぴら、鯖の味噌煮、しゃぶしゃぶ、みたらし団子。
この地に大豆の文化がないことは承知の上で使う、
これらのおかずに必要な醤油、の使用はやがてその輸出入の促進になるのだろうか…

生きれば生きるほど、原罪の確信的意識を芽生えさせられる。
そう、好奇心の果てにあるものさえも。
今一度、土地に生きることの原点に立ち返りたい。

朝東風にアザーンと鐘の重なりて

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みんなで作ると楽しいね。

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3キロ先に広がる地中海、そこに眠る人々とは…

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ワエルもヤンもそれぞれの想いの中歩く。

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夜中2時、若者は闘ってるぜ!

今宵演奏の帰り、われら同志ミュージシャンが気温9度の中、
体をはって演奏しているレピュブリック広場へ。
「緊急事態」「労働法典改正」反対の盛り上がりは、
「生きる」命におよぶ危機感と比例する。
ここパリはモロッコ・マラケッシュのフナ広場と化す勢い。
広場の中心で演奏しているのは凄腕のミュージシャンたち。
音によるトランスの境地に街や人を巻き込み、そう、若者は立ち上がっている!

毎度のこと、ツアーに出る前は録音…
吹き込みの切羽詰まった依頼。
万年時差ボケゆえ徹夜は苦にはならぬも、一人の作業。
この状況を支えてくれる夜鳴き鶯の囀、そろそろ聴こえてくる頃かな。

明日も、明後日も、若者は広場に集まるだろう。
フランスの、シリアの、エジプトの、
(↑彼はエジプト政府に徹底的にマークされている)
意思を行動に移す、彼らの姿だ。

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身を守りつつ、しかしこの熱気!

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テントで寝起きする者。労働法などの説明も受けられる。

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手がかじかみながらサックスを吹く

寄り集ふうねり続きて夜半の春

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ミモザと逢瀬・日本の里山鹿を喰う

フランスは立春過ぎた頃から、日本は春分を佳境にミモザが芳香を放つ。
南仏にはミモザ群生があるそうな。

誰訪ねて駅からの道は丘。こういう丘陵はその昔里山だったのか。
丘から見える遠方は、人溢れる街。足下には、野生の草たち。
誰訪ねて志摩の村に行けば、里山の奥で獲ったという鹿や猪をみやげにもらう。
村のみかん畑の木肌は鹿によるcâlinでつるつるに。
こういう里山のめぐみとして、喰う今日の飯となる。
空港に向う東に見えるのは、紀伊の山々。
なんともいえぬ安堵、感。

母愛でぬ玄関番のミモザかな

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ここはどの里山でしょうか

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萬古 ばんこ Banko

東海地区の土は、その昔何万年を経て粘土質を有し、
今に焼きものを支えている。
常滑、瀬戸、信楽(滋賀だけれど地の流れとして)…。
そこに、おそらくあまりメジャーではないけれど、
ひっそりと歴史を刻む焼き物、それが萬古焼。
父にいわせると、子供時代四日市の街には、
煉瓦でできた四角い工房の煙突が立ち並んでいたそうだ。
戦中生まれというからには、戦後の風景は現在へと変容したのだろう。
この萬古焼のデザインアーカイブを目的にできたのが、
BANKO archive design museum

陶芸家である内田鋼一さんの私設美術館となる。
これがすごい。
おそらく世界でもっとも小さな美術館。
思想がある。
小さな世界から、大きな世界を俯瞰できる、美術館。
設立にあたり刊行された図録を見ていると、
「この人高校の同級生だ。」と父がいう。
小さな美術館の窓口となるHPや紙媒体のイラストを描いた、大橋歩さんだ。
土地に生きる、生きたひとが、支えている。

春霞萬古の里に煙見ぬ

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工房があった界隈には神社が。
土の神さん、焼き物に携わった人々、みな一様に楠木が覆う神社にいる。

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あたまとからだ

ないおつむを使おうにも使い方もわからず、たまに使えばショートして、
調べものを探しに法学部生が使う図書館にいけば、
利用者の脳みそが館内に充満しているような空間に圧倒され、
1954年の雑誌の一部をコピーし、いざ帰路へ、と図書館出口付近にあったものは、
17世紀に綿布に描かれたヨガのポーズの数々。
このあたまとからだのバランスに、救われる。
救われるが、一向にあたまの回路はつまったまま。
草木萌出今日この頃、ないおつむから何かは生まれ、出口に辿り着けるのだろうか。

下萌やいまは辛抱あと少し

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Sainte-Geneviève図書館内の集中力は凄まじい。

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南インドで描かれた、29のポーズ

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発酵する音

実存的な音は、ぷくりぷくり。あるいはプスプス。
白菜キムチの、生きている証拠が毎日の音で確認できる。
人類は食べることを基本に、この世に何万年。
それを支えてきたのは発酵食品、と近年話題になっているような。

芥子菜を塩で揉む。それがふつふつと発酵作用をおこし、
水でちょっと塩気を落して刻んですり胡麻。うまい。
赤い小粒のラディッシュをフランス人は塩とバターで生をかじり、
葉が新鮮であればスープに。
しかしこちらも塩だけで揉めば、さっぱりした箸休めになる。
両者新漬の方法。

西アフリカにはスンバラSoumbalaという
日本でいう味噌、あるいは大徳寺納豆のような食材がある。
ネレの木の、莢の中身を乾燥→発酵させたもの。
これと合わさる味は、干し魚。
旨いソースを作るに必須であるこれらの材料からできた
料理の味わいの中に感じるノスタルジー、
それは鰹出汁+味噌、の風味。

発酵の原理は進化ではなく、偶然性をもった必然的流れ、
の中で生まれたのではないでしょうか。
偶然に対する好奇心、が発酵と共に生きてきた私たち祖先の生きた証。

ブルキナファソの母さんに教えてもらったオクラソースは、
とうもろこしの粉を餅状にした、トーと食す。
玉ねぎからの旨味、トマト、スンバラ、魚、唐辛子。
そして今やマギーキューブを入れることで味になる、そうだ。

ネッスルのマギーキューブNestle Maggiに支配された舌を、
人類の進化と呼ぶのだろうか。

白菜を洗うアジアの女たち

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漬けて一週間目。
タッパーの蓋は毎朝発酵により膨らむ。

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オクラソースは西洋人にはやや不人気。
ひとつに香り、ひとつにネバネバが難点のようだ。

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カストリアディス-ラスト・タンゴ・イン・パリ

民族問題、とは何でしょうか?
対岸で起きていることに対し、このひとことで納得し、
興味の範疇から消去する、という安易な思考回路を私たちはマス・メディアの
それに操られてきたようです。

先日の演奏会場は、ギリシャの哲学者、カストリアディスの自宅で行なわれました。
中途、トルコの伝統曲を演奏しました。
会場にいる人々はギリシャとトルコという”民族 »の狭間でどんな想いを抱き聴いて
いたのでしょうか。
民族とは、ある誇りを持ち、共存することなのでしょうか。
絆というやや軽々しい言葉の中にある、彼らの絆とは何なのでしょう。

コンスタンティノープルに生まれやがてギリシャの民となる者。
アテネに生まれやがてトルコの民となる者。
宗教を軸にしたこの背景で、それ以外の人々は、どこの民となるのだろう。

「具体的な歴史によって生成された個を超えた運命的構成体、
すなわち「民族(Volk)」
(明かしえぬ共同体:M.ブランショ:解説:西谷修:ちくま学芸文庫)

演奏しながら、個が、音楽のある空間で共同する瞬間を、少し見ました。
それは、”ウスクダラ”という伝統曲ではない曲を演奏した時。
ブルガリアの映画監督Adela Peevaの作品「この歌はだれのもの?」にあるように、
いつの時代も、どこでも、「民族」に頼らないみんなのもの、
であるこの曲は、だれのものでもない。

演奏後に振る舞われた、ぶどうの葉で米と肉を包んだドルマダキァは、
今日は特別レモンと卵のもったりしたソース付き。
ぶどうの葉の料理も、この地域にあるものとして、ある民族のものでは、ない。

帰り際Passy駅に向うに、このアパートが映画「ラスト・タンゴ・イン・パリ」の
舞台であったと知った次第。
こうして、今日も地を歩き、演奏行脚の日々は続くのでした。

春寒に音の温さやだれのもの

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図書館のような家の一角にある、摩訶不思議な日本語の本たち。

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セーヌ河の目の前。
この日も寒く、だれかは外で聴いているのだろうか。

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板子一枚下は地獄 新年祈りのかたち

虚無に満ちあふれるこの時勢。
何望むでもなく、しかしこの村の人々は、ただただ五穀豊穣を、
あるいは土地柄海上安全を祈りとし、
年の始め1月2日に海の神さんへ三番叟を捧げる。
何年も何百年も受け継がれし人形の、お面が入った重箱の中身を、
それを抱える爺さんに尋ねれば、
「知らぬほうがいいものよ」
とけたけた笑いながらの返答。

今日喰うものがあり、海穏やかな、しかしそれ以外に何もない、
豊かな生きる営みが、伊勢志摩は安乗という漁村にある。 

初舞や凪の応じて三番叟

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いざ海へ

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祝詞、玉串奉奠と続き

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父尉の舞

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鼓に笛の音も、空に舞ふ

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アポリネール / ヤナーチェク Apollinaire/Janáček

アポリネールの生涯を描いたドキュメンタリー映画の音楽を制作中。
音楽となるべく音の粒は今パリで舞いはじめている。
監督からの依頼はヤナーチェクにインスパイアされた音を、
Ky à la Janáček Kyヤナーチェク風といったところか。

ノートルダム寺院にもエッフェル塔にも、人はまばら、のパリで、
アポリネールの「見る詩」を街の壁に貼る、といった撮影の試み。
それは彼の作品思念に呼応するため。
ヤナーチェクの作品で圧倒的に魅力を覚えるのは
「草かげの小径にて-言葉なく-Sur un sentier broussailleux-Sans paroles-」
二人とも、第一次大戦を生きた人間で、
一人は戦後、一人は大戦の終焉と同時に亡くなる。

時勢の影響を常にうけながら、それでも人々は音楽を愛でていたと思う。
もしかしたらそれはある希望であり、ある治癒なのかもしれない。

彼ら同様第一次大戦を生き、その後レベティコの女王として生涯歌いきった
ローザ・エスケナージからの言葉を。

Je dois mon corps à la terre noire,
mon âme au messager des morts,
et à mon amour je dois ma vie présente.
- Róza Eskenázy (1890-1980)

黒き地に躰をあずけ伝へしは我が魂を死者に送りぬ
(訳:仲野麻紀)

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冬の雨音は言葉に寄り添ひて

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サイクス・ピコ協定による国境 食べる生きる

そして、それでも日常生活は、続くのですね。
様々な戦渦で生きる人々は、毎日毎日唸る空爆のもとで、
女はじゃがいもや小麦粉を求め、子等は道に落ちているモノで遊び、
そして…男は…。
このような想像はどこからくるのでしょう。
四の五の言わず私たちは、今日も「食べる」ことによって生きている、
他者も同様に日常の延長として「生きている」
という事実からです。

犠牲者への悼みとは別の次元で、わたしたちに残され、課せられたことがある。
それは、考えるということ。
サイクス・ピコ協定から派生し今に至るそれを、考えることを、
日常にしたい。

招かれし神帰月人は逝く
神帰月(かみかえりづき)は11月の意味、冬の季語。

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一番のメトロ乗換駅であるシャトレ。そう、土曜日の夜に人はもう外出しない。

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しかしながら唯一残された日常として、音楽をします。
しかしここはもう公共の場ではなく、 »自己判断 »に委ねられた場所での録音。

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そしてモロッコから、こんにちは

日本での演奏を終え、フランス組、レバノン組それぞれの地へと帰り、
日本組は最終日公演東京根岸の下町から、西へ西へとモロッコは
エッサウィラへ、アシュラ祭りへ趣いた次第。
Good Bye Schlöndorff を各地で協力していただいた皆様、
来場いただいた皆様、ありがとうございました。

メディナの路地で児等が、タリージャという、
陶器と山羊の皮でできた太鼓を叩き、
モロッコ各地で使われる何万個というこの太鼓はこの日、割られる。
それは、土と皮でできた楽器の再生を次の年に残し、再びお母さんたちが作る、
楽器の運命。
来年も、そして今いるこの子ども達が大人になって、
また子ども達に与える様に、楽器を通して人の営みは続くのだ。

カスバゆく秋意を揺らす太鼓の音

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イスラム暦新年から10日目、モロッコのアシュラ祭では
子ども達がタリージャを叩く

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孤児院ではアイサワ(スーフィー教団)が奉仕演奏

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エッサウィラ、老夫婦が港に佇むという現実。
その横でHassan Hakmounが撮る映画という虚構。

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数ある中から鳴りのいいタリージャを選ぶ

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レバノンへ、さようなら

なぜ「グッドバイ・シュレンドルフ」=グッドバイなのですか?
計3回の講演後の質疑応答の中で、もっとも素朴な質問が印象に残る。

「なぜなら、シュレンドルフがベイルートで撮影していた間は、
内戦が停戦になっていたのです。
撮影クルーが街から去ってしまった同時に戦争は再開されました
=よって、この作品のタイトルは、 »さらば、シュレンドルフ »なのです。」

これが今回の公演での大きなメッセージだったとは…
山形国際ドキュメンタリー映画祭公演後の反応。
それは映画をつくる側からの多くの意見を得る事により、
なぜワエルがシュレンドルフのこの映画を使い、
過去に吹き込まれカセットテープと合わせて作品をつくったのか、
改めて理解できた次第。

國學院大学での講演の報告書にはこうあります。

「撮影の数百メートル先では本当の戦闘が行われている最中の撮影で、
当地のレバノン人が見れば映像の虚構が皮肉としか見えないとのことです。」

しかし、これこそがシュレンドルフ監督の、
各々の生きる役割を社会に反映させる方法なのです。

そう、映画のタイトルである「偽造者」とは

・映画の中の主人公 (ベイルートを取材するジャーナリスト)
・虚構の映画(しかし撮影場所はリアル)を創る映画監督
・当事者ではない、わたしたち

今宵一夜がベイルートになる空間へ、ようこそ!

10月13日(火)19:30 open 20:00 start
SuperDeluxe 東京都港区西麻布3丁目1-25
前売り3000円 当日3500円 (学生1000円)

1部:Good Bye schlondorff
2部:Ky [キィ]
なんと、20~30年代のアラブ音楽音源でワエルによるDJ!

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講演の様子

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山形国際ドキュメンタリー映画祭開演前のチェック。
開場は地べたに座る若者多々、満員御礼感謝。

難民を乗せる船間の天高し

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レバノンの若手アーティスト

出自、そして選択の余地のない成長過程に必要な環境。
それは運命なのだろうか。
ならば彼らにとって環境である国とは何なのだろう?
それは、「家族」だという。
国家ではなく、祖国とは「家族」のことを指す、と
先日ディアスポラとしてアメリカで幼少期を過ごしたベーシストが語ってくれた。

この数年レバノン人アーティストとの関わりを軸に、
このレバノンという国の特異性を肌身で感じでいる。
アイデンティティーに言語を含むか含まないか、
それも環境によっての母国語のレベルはあるだろうが、
普通に3カ国語を操る彼らにとって、
国の存在、あるいはシーア派とスンニ派の許されぬ結婚、
国民の半分がキリスト教である現実を前にして、
異民族という形での形式的共存が認められぬ中で、今を生きる人々は、
表現というフィルターを通して、この地を知らぬ私たちに現実を伝えてくれる。
この表現という事象をアートと呼んではいけないのだろうか?

皮肉も一杯、哀愁も一杯、映画も音楽も大好き、
フェイルーズの面影に美味いオリーブを頬張りながら、
旨いレバノン料理を作るお母さんの隣で過ごす、
祖国という概念を、宗教という概念をどこかに置いて、
ただその土地に生きる彼らの姿が、まぶしい。

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Quartier Paris 夏のパリ・アートフェスにてのパフォーマンスは、
エジプト映画からの映像と音のリミックス、で楽しませてくれた、
Rayess BekことWael Koudaihと、ビジュアルアーティスト、La Mirza

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レバノンを代表するラッパー、Rayess Bekはこの10月に来日します。
現詳細は→http://openmusic.kyweb.fr/openmusic.jp.net/Good_Bye_Schlondorff.html

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ガラス玉の世界は輝いている?

目下ポンピドゥーセンターで開催中のMona HAOTUMモナ・ハトゥム展での
白眉はなんといっても、「地図 map」である。

なぜガラス玉なのだろ?

この地図には国を表す国境が示されていない
ふとした衝撃により容易に崩れてしまう危うさを表現した

なぜ透明な、ガラス玉なのだろう?
世界に光があたる様に、世界が光を吸い込むことができる様に…

こういったメッセージは観る側が感じることで、
しかし芸術におけるメッセージ性を言葉で表すことの
安易的具体性さと可能性の間で、いつも表現者は逡巡する。

この作品の配置は「展示空間に任せる」とある。
よって透明のガラス玉からなる地球の地図には、
光が当たるのか、背景には何があるのか、
上から観るのか、水平線上に配置するのか、
色々な可能性がありながらも、展示会場の制約された場の中で
如何様にも表情をかえる。
この作品、日本は金沢21世紀美術館のコレクションとあるが、
どのような展示がされているのだろう?
できれば、輝く世界であってほしい….

立秋や東の果てに斜陽尽き

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西にモンマルトル・サクレクール寺院
東にBogignyの団地群。いわゆる郊外の…
この東にモスクが建っていると想像すると、ワクワクする。

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ならば日本各地の除染土壌袋は!

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ベイルート、カブール、バグダットの都市地図=爆撃のあった地点

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チョムスキー×ヴェルチェク 西洋のテロリズム      On Western Terrorism

ある時サハラ以南の地で、植民地時代をその地で生きた人と話をしていた時、
「日本は西洋=(白)だ」、という彼の認識のもとで話が進んだ。

日本はアジアだという認識は、当の本人が意識するところであろうか。
ならば私たちは例えばどれだけ大戦前の日本のしてきたアジアでの行為を、
インドネシアのことを、ベトナムの歴史を、真の中国での市民の声を…
アジアという範囲に耳を傾けているだろうか?
同じ国の内にある声さえも届かないこの小さな地において。

日本国内の植民地化と世界の地で起こっていることを
チョムスキーのこの言葉で考えてみよう。
「賛美されている経済成長というものが、
少数のエリート集団による自然資源の強奪によって成し遂げられているという事実」

まるでどちらかの家のサロンで話しをするチョムスキーとヴェルチェクの、
温和な時間。経験を消化した言葉たち。
数多ある専門的な言葉でまくしたてた識者のそれとは一線を画し、
抗う術としての会話、がこの本の中で展開されている。

結論をいおう、
「彼らと私たち」という立場を貫くが如く、
日本は世界の三極構造のひとつにこれからも居続けたいのか、それとも
「彼らは私たち」という立場の在り方に、希望を求めるのか。

ジョージ・オーウェルの言葉である「un-people・非人間」に
なるのか、ならないのか。
という選択だ。

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訳者は本橋哲也氏 邦題は
「チョムスキーが語る、戦争のからくり-ヒロシマからドローン兵器の時代まで-」
平凡社

夏の星背中湿らす深き夜

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今日は三日月、ラマダン終了 L’Aïd el-Fit عيد الفطر

自分自身が断食月をやっているわけではないけれど、
世界中の敬虔なイスラム教徒と共に私たちはこの地球にいるわけで、
彼らの時間の流れに、想いにちょっと触れてみたい。

隣の食品店はいつも西アフリカのおばちゃん、おじさんで溢れている。
働く人々はどこの国の人々だろうか?インド人の様な…
数週間前、この店でオクラを買った時に渡されたのが、断食月中のカレンダー。
日の出と日の入りと一日のお祈りの時間が記されている。
今年はフランス全土も猛暑にて、夕方頃には旦那衆が、
スターリングラードの運河片陰に集まり、ポツリぽつりと仲間と話をしている。
女たちは日が暮れてからいただく食事に精がでる。
だから、断食月中でも、食料品店はいつも賑やかだ。
ちなみにここで売られているオクラの原産国は、ホンジュラス!
長旅ご苦労様!

新月から三日目、今宵はみなさん家族と共に、
よきイド・アル=フィトルとなります様に。

人生の欠片を共に夏の月

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ポンピドゥーセンターではレバノン出身のパレスチナ人アーティスト
Mona Hatoumの個展

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Waiting is Forbidden !!!!!

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イスラム暦は今年1436年

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音を見立てる

Drome地方にある「禅の庭」での演奏会は、遠くは京都から庭師が、
そして、我らふらんす吟行俳句会とパリ短歌会の同志の参加で、
Erik Borjaさんの庭は賑やかに。
そして、南仏の庭の大地と空に、音は広がったのでした。
耳に聴こえてくる音は、それこそ聴く人の内的見立てによって、
なに様にも成れる様です。
だから、この庭で演奏するということは、演奏家の鳴らす音が、
あるいは奏者個人の奏でる音という我を
どこかにやってしまうことができる、
例えば原罪を和らげてくれる様なことかも知れないですね。
そして、それは音の先に宇宙がある、という希望かもしれません。

禅庭や見えきしかたち風薫る   佳
鳴きやんでまた鳴く七日蝉時雨  麻紀
鍵穴の奥の十字架暑気払ひ    崇
せせらぎのさやかにひびく禅の庭 なをみ
もろこしの花連山の影を背に   克洋 

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睡蓮の池のまわりにただよう音

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イゼール河を清水の護りとして鳥居の立つ横に、各々に庭を演奏した奏者が集合

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枯山水から下る階段庭園には、Ky

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父上はアルジェリア人のフルート奏者アミナと。鳥のような彼女の音のささやき

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演奏後は、Erikさんのドメインclairmontsのシャルドネの白で。お疲れ様!
http://www.cavedesclairmonts.com/

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白濁した飲みもの -カンボジアからその壱-

西アフリカでバンギーと呼ばれるパームワインは、
その飲んだ時の表現が確かミッシェル・レリス著「幻のアフリカ」文庫本の、
真島一郎さんによる解説に出てきた覚えがある。こんなくだりだったと思う。
「レリスとおなじく私もまた、初めてヤシ酒(バンギー)を口にしたとき
「精液の底味」を舌先に覚え…」

ブルキナファソで始めて飲んだ時の感覚が蘇る。

ここカンボジアでもヤシ酒を飲む様で、シェムリアップ(アンコールワット遺跡の
地)で仲良くなったバイク車の運ちゃんに誘われ、マキ(林より小さい茂み)にある
村の集いの場でこれを味わせてくれることとなった。
街を離れ、村の様な場所ここは、地元の人々が長閑に過ごす、とでもいうか、
観光客の足はここまで届かない雰囲気だ。
一晩前にヤシの汁を採り、翌日の昼まで醸造させ、
その日の20時まで飲むものである理由に、
僅かな時間による醸造であるからしてお腹にくるそうだ。
これが街で見かけない理由、観光客にもあまり提供しない理由なのかもしれない。

昼の14時はイベリア半島よろしくシエスタといきたいこの地の気候の中、
特に若者がマキに集まり、ところで私を連れて来た運ちゃん然り、
昼間から白濁したヤシ酒を飲む。一緒に。
アルコールはきわめて低いためバケツ一杯を何杯でもいけそうだ。
実際この飲み物はバケツに入れられている。
つまみは川魚の素揚げと鶏のレバー。
一緒に出てきたソースは、やはりヤシ酒が酢になったものだという。
給仕の女性は自作の酢、何年ものとやらをペットボトルに入れ、
帰り際私に持たせてくれた。
これはどうやらカンボジア料理を深く知るきっかけになりそうだ。

どの土地にあっても、人間一人一人の毎日のこの瞬間をどのように共同できるか。
それは極めて個人的な経験になるであろうし、個によって形成される関係だ。
そして彼と私の間にはバンギーを介した瞬間、
”運ちゃん”・”お客さん”という関係はなくなり、
ただただうまい酒を飲み交わす”仲”という、
互いの内的体験が今という時をつくったのだ。

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ヤシ酒で乾杯と相成る。
カンボジアのものは西アフリカのものより炭酸が弱いようだ。

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クメール語ではカテーチューと呼ばれるヤシの酒

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肴は外に出ている炊事場で作っていた。

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米酢に似た、しかし酸味はよりまろやかなヤシ酢

麦酒とは似て非なるかなヤシの酒

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サンドニ門〜シャペル大通り 娼婦の館に住む

昔一番の繁華街として、観劇後の老舗ブラッセリーFLOや、劇場の名残。
今は西にクルド人街、東にインド人街。
駅には中国人女性が、時に女同士で腕を組んで、
あるいは1mごとに立ち並ぶ、娼婦たち、の街サンドニ門。
門の南にはかつての最盛サンドニ通りに今も、
ポツリぽつりと女が立っている。
繊維問屋の多いこの界隈には、荷物を待つインドの人々の姿。
その姿を撮ろうとしたところ、突如女二人が私の前に立ちはだかり…
「カメラをよこしな!何撮っているのよ、画像を消しなさい!!」
と、私がうっかりして向けたレンズの先に彼女達は、立っていたのだ。
幸いにして彼女たちの姿はカメラには映っていなく、一件落着したものの、
彼女たちは自分たちの置かれた立場を私に云々お説教。
女同士の立ち話、となった。

パリに住み始めてかれこれ10年を越えた今、振り返ると10回以上引っ越した
私の住居には、彼女達の姿が往々に在った。
18区の駅には、演奏を終えて帰路に着く夜中、彼女たちは無料のエイズ検査車に
列をなし、11区のベルビル界隈では同じ建物に早朝戻って来る彼女たちの姿。
お客を街でとり、客はいつも彼女の5m後ろでアパートの階段を昇る姿。
時にヒモらしき男の姿とすれ違う。
そして今、モンマルトルとウルク運河の間に位置する現住居である大通りに面した
建物の壁には、番地の存在より大事な、昔灯燭がその存在の証明となる、
灯す台が建物に付いており、また隣の建物は娼婦の館特有の飾り看板が
彫られている。建物を入り牢屋のような金属の扉の向こうには、
今ではパリ市によって保存義務になっているロココ調の階段が出迎えてくれる。
(といってもそれは見かけだけで、昇る部分はなんとも貧そなつくり)。
家の中は小さくも、扉が隣り合わせ、向かい合わせになることはなく、玄関の壁には
全面鏡。
大家さんいわく、この建物は19世紀末からあるそうだ。
となると、床はやや歪んでいる….。
この界隈が決して高級住宅地とはほど遠い下町であるから、
メゾン・クローズとは呼べぬが、役割は、同じであった。

女と街の関係、娼婦なしに、人類の歴史を語ることは、できない。

客待ちて何を想おふ梅雨の月

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バタイユ作・マダム・エドワルダの舞台になったサン・ドニ門

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パリにはすべての通りに名前がついている

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問題となった荷車を押すおじさんの後ろ姿。この後怒られるのだが…

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どの部屋も五角形のつくり

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