Archive pour あーと art

萬古 ばんこ Banko

東海地区の土は、その昔何万年を経て粘土質を有し、
今に焼きものを支えている。
常滑、瀬戸、信楽(滋賀だけれど地の流れとして)…。
そこに、おそらくあまりメジャーではないけれど、
ひっそりと歴史を刻む焼き物、それが萬古焼。
父にいわせると、子供時代四日市の街には、
煉瓦でできた四角い工房の煙突が立ち並んでいたそうだ。
戦中生まれというからには、戦後の風景は現在へと変容したのだろう。
この萬古焼のデザインアーカイブを目的にできたのが、
BANKO archive design museum

陶芸家である内田鋼一さんの私設美術館となる。
これがすごい。
おそらく世界でもっとも小さな美術館。
思想がある。
小さな世界から、大きな世界を俯瞰できる、美術館。
設立にあたり刊行された図録を見ていると、
「この人高校の同級生だ。」と父がいう。
小さな美術館の窓口となるHPや紙媒体のイラストを描いた、大橋歩さんだ。
土地に生きる、生きたひとが、支えている。

春霞萬古の里に煙見ぬ

NCM_1042

NCM_1046
工房があった界隈には神社が。
土の神さん、焼き物に携わった人々、みな一様に楠木が覆う神社にいる。

Commentaires

レリスを求めて331km

昨年7月。レリスが求めたものを求めて、Metzへ向う。
彼が彼のすべてを、ものとして寄贈した先
ポンピドゥー美術館は今やMetzに分館を構え、
それは日本でいう新幹線側。
ロレーヌ地方を代表する街の裏に、建てられている。

ミッシェル・レリスを唯一インタビューという形で
ドキュメンタリー映画に姿を残したのは、
シュールレアリズムフィリップ・スーポーを語る、
というお題目のお陰。
Michel Leiris souvenirs Soupault
彼の晩年のサン・ルイ島の自宅。
映像の中で彼はいう「人は詩人である。」

レリスの残した表現という範囲での文章には、
おそらく彼が経験したアフリカのそれにおよばない。
あるいは言葉が経験を代弁するのか。

展覧会には、オブジェ、写真、記録…etc
アンドレ・シェフネルと砂漠の一帯でテントを組み立て座る写真。
美術評論をした作家たちの作品。
ダカール=ジブチ・アフリカ横断調査団の手記。
書簡。

観客は、わたしは、レリスの何をみたというのだろう。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ポンピドゥー・センター・メッス入り口。入場者を迎えてくれるのは、
Céleste Boursier-Mougenot セレスト・ブルシエ=ムジュノ作
「clinamen v.2」陶器が水の上で出会う音と空間の世界は、圧巻。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ドキュマン=レリスはジャズが好きだった。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
レヴィ=ストロースからの、手紙。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
展示室最後は、なんとクリス・マルケルの短編
「北京の日曜日 Dimanche à Pékin」で終わる….

Commentaires

そしてモロッコから、こんにちは

日本での演奏を終え、フランス組、レバノン組それぞれの地へと帰り、
日本組は最終日公演東京根岸の下町から、西へ西へとモロッコは
エッサウィラへ、アシュラ祭りへ趣いた次第。
Good Bye Schlöndorff を各地で協力していただいた皆様、
来場いただいた皆様、ありがとうございました。

メディナの路地で児等が、タリージャという、
陶器と山羊の皮でできた太鼓を叩き、
モロッコ各地で使われる何万個というこの太鼓はこの日、割られる。
それは、土と皮でできた楽器の再生を次の年に残し、再びお母さんたちが作る、
楽器の運命。
来年も、そして今いるこの子ども達が大人になって、
また子ども達に与える様に、楽器を通して人の営みは続くのだ。

カスバゆく秋意を揺らす太鼓の音

IMG_0082
イスラム暦新年から10日目、モロッコのアシュラ祭では
子ども達がタリージャを叩く

IMG_0017
孤児院ではアイサワ(スーフィー教団)が奉仕演奏

IMG_0144
エッサウィラ、老夫婦が港に佇むという現実。
その横でHassan Hakmounが撮る映画という虚構。

IMG_0102
数ある中から鳴りのいいタリージャを選ぶ

Commentaires

レバノンへ、さようなら

なぜ「グッドバイ・シュレンドルフ」=グッドバイなのですか?
計3回の講演後の質疑応答の中で、もっとも素朴な質問が印象に残る。

「なぜなら、シュレンドルフがベイルートで撮影していた間は、
内戦が停戦になっていたのです。
撮影クルーが街から去ってしまった同時に戦争は再開されました
=よって、この作品のタイトルは、 »さらば、シュレンドルフ »なのです。」

これが今回の公演での大きなメッセージだったとは…
山形国際ドキュメンタリー映画祭公演後の反応。
それは映画をつくる側からの多くの意見を得る事により、
なぜワエルがシュレンドルフのこの映画を使い、
過去に吹き込まれカセットテープと合わせて作品をつくったのか、
改めて理解できた次第。

國學院大学での講演の報告書にはこうあります。

「撮影の数百メートル先では本当の戦闘が行われている最中の撮影で、
当地のレバノン人が見れば映像の虚構が皮肉としか見えないとのことです。」

しかし、これこそがシュレンドルフ監督の、
各々の生きる役割を社会に反映させる方法なのです。

そう、映画のタイトルである「偽造者」とは

・映画の中の主人公 (ベイルートを取材するジャーナリスト)
・虚構の映画(しかし撮影場所はリアル)を創る映画監督
・当事者ではない、わたしたち

今宵一夜がベイルートになる空間へ、ようこそ!

10月13日(火)19:30 open 20:00 start
SuperDeluxe 東京都港区西麻布3丁目1-25
前売り3000円 当日3500円 (学生1000円)

1部:Good Bye schlondorff
2部:Ky [キィ]
なんと、20~30年代のアラブ音楽音源でワエルによるDJ!

7f6b2e78f161209604b98e1e037689d8-300x200-1
講演の様子

NCM_0978
山形国際ドキュメンタリー映画祭開演前のチェック。
開場は地べたに座る若者多々、満員御礼感謝。

難民を乗せる船間の天高し

Commentaires

われら逆行族

えっ?
ハイレゾ音源配信、App Storeで買うのが今や常識でしょう!?

わしら逆行しております。
わしらはレバノンでカセットテープを作りました。
その中身はデジタルとアコースティックで織り成す音楽です。
80年代のベイルートの爆撃音、家で怯える人々の、声。
Kinectによる音が重なり、ウードが鳴く。

明日、ワエルはこのカセットを持って、レバノンを発ちます。

あっ、そういえばソニーはカセット簡易再生機の生産を昨年中止したような…?
ものは大事に使いましょうね。

あっ、限定100本です。

GBS_cover

Commentaires

レバノンの若手アーティスト

出自、そして選択の余地のない成長過程に必要な環境。
それは運命なのだろうか。
ならば彼らにとって環境である国とは何なのだろう?
それは、「家族」だという。
国家ではなく、祖国とは「家族」のことを指す、と
先日ディアスポラとしてアメリカで幼少期を過ごしたベーシストが語ってくれた。

この数年レバノン人アーティストとの関わりを軸に、
このレバノンという国の特異性を肌身で感じでいる。
アイデンティティーに言語を含むか含まないか、
それも環境によっての母国語のレベルはあるだろうが、
普通に3カ国語を操る彼らにとって、
国の存在、あるいはシーア派とスンニ派の許されぬ結婚、
国民の半分がキリスト教である現実を前にして、
異民族という形での形式的共存が認められぬ中で、今を生きる人々は、
表現というフィルターを通して、この地を知らぬ私たちに現実を伝えてくれる。
この表現という事象をアートと呼んではいけないのだろうか?

皮肉も一杯、哀愁も一杯、映画も音楽も大好き、
フェイルーズの面影に美味いオリーブを頬張りながら、
旨いレバノン料理を作るお母さんの隣で過ごす、
祖国という概念を、宗教という概念をどこかに置いて、
ただその土地に生きる彼らの姿が、まぶしい。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
Quartier Paris 夏のパリ・アートフェスにてのパフォーマンスは、
エジプト映画からの映像と音のリミックス、で楽しませてくれた、
Rayess BekことWael Koudaihと、ビジュアルアーティスト、La Mirza

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
レバノンを代表するラッパー、Rayess Bekはこの10月に来日します。
現詳細は→http://openmusic.kyweb.fr/openmusic.jp.net/Good_Bye_Schlondorff.html

Commentaires

ガラス玉の世界は輝いている?

目下ポンピドゥーセンターで開催中のMona HAOTUMモナ・ハトゥム展での
白眉はなんといっても、「地図 map」である。

なぜガラス玉なのだろ?

この地図には国を表す国境が示されていない
ふとした衝撃により容易に崩れてしまう危うさを表現した

なぜ透明な、ガラス玉なのだろう?
世界に光があたる様に、世界が光を吸い込むことができる様に…

こういったメッセージは観る側が感じることで、
しかし芸術におけるメッセージ性を言葉で表すことの
安易的具体性さと可能性の間で、いつも表現者は逡巡する。

この作品の配置は「展示空間に任せる」とある。
よって透明のガラス玉からなる地球の地図には、
光が当たるのか、背景には何があるのか、
上から観るのか、水平線上に配置するのか、
色々な可能性がありながらも、展示会場の制約された場の中で
如何様にも表情をかえる。
この作品、日本は金沢21世紀美術館のコレクションとあるが、
どのような展示がされているのだろう?
できれば、輝く世界であってほしい….

立秋や東の果てに斜陽尽き

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
西にモンマルトル・サクレクール寺院
東にBogignyの団地群。いわゆる郊外の…
この東にモスクが建っていると想像すると、ワクワクする。

124286_4d16188
ならば日本各地の除染土壌袋は!

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ベイルート、カブール、バグダットの都市地図=爆撃のあった地点

Commentaires

今日は三日月、ラマダン終了 L’Aïd el-Fit عيد الفطر

自分自身が断食月をやっているわけではないけれど、
世界中の敬虔なイスラム教徒と共に私たちはこの地球にいるわけで、
彼らの時間の流れに、想いにちょっと触れてみたい。

隣の食品店はいつも西アフリカのおばちゃん、おじさんで溢れている。
働く人々はどこの国の人々だろうか?インド人の様な…
数週間前、この店でオクラを買った時に渡されたのが、断食月中のカレンダー。
日の出と日の入りと一日のお祈りの時間が記されている。
今年はフランス全土も猛暑にて、夕方頃には旦那衆が、
スターリングラードの運河片陰に集まり、ポツリぽつりと仲間と話をしている。
女たちは日が暮れてからいただく食事に精がでる。
だから、断食月中でも、食料品店はいつも賑やかだ。
ちなみにここで売られているオクラの原産国は、ホンジュラス!
長旅ご苦労様!

新月から三日目、今宵はみなさん家族と共に、
よきイド・アル=フィトルとなります様に。

人生の欠片を共に夏の月

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
ポンピドゥーセンターではレバノン出身のパレスチナ人アーティスト
Mona Hatoumの個展

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
Waiting is Forbidden !!!!!

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
イスラム暦は今年1436年

Commentaires

音を見立てる

Drome地方にある「禅の庭」での演奏会は、遠くは京都から庭師が、
そして、我らふらんす吟行俳句会とパリ短歌会の同志の参加で、
Erik Borjaさんの庭は賑やかに。
そして、南仏の庭の大地と空に、音は広がったのでした。
耳に聴こえてくる音は、それこそ聴く人の内的見立てによって、
なに様にも成れる様です。
だから、この庭で演奏するということは、演奏家の鳴らす音が、
あるいは奏者個人の奏でる音という我を
どこかにやってしまうことができる、
例えば原罪を和らげてくれる様なことかも知れないですね。
そして、それは音の先に宇宙がある、という希望かもしれません。

禅庭や見えきしかたち風薫る   佳
鳴きやんでまた鳴く七日蝉時雨  麻紀
鍵穴の奥の十字架暑気払ひ    崇
せせらぎのさやかにひびく禅の庭 なをみ
もろこしの花連山の影を背に   克洋 

GR017822
睡蓮の池のまわりにただよう音

GR017973
イゼール河を清水の護りとして鳥居の立つ横に、各々に庭を演奏した奏者が集合

GR017813
枯山水から下る階段庭園には、Ky

GR017844
父上はアルジェリア人のフルート奏者アミナと。鳥のような彼女の音のささやき

GR017876
演奏後は、Erikさんのドメインclairmontsのシャルドネの白で。お疲れ様!
http://www.cavedesclairmonts.com/

Commentaires

たんぽぽの家 アートセンターHANA

佐保川を越えて右に平城京跡、秋篠川を越えて左に薬師寺。
奈良駅前で見つけた自転車置き場にてレンタルサイクルを借り、
土地勘よき自分と高を括っていざ西ノ京へ向かうも、
唐招提寺からの坂道回り道ですったもんだ。
交番に寄ってようやく辿り着いた小高い丘の上に立つ「たんぽぽの家」には、
以前岡本太郎美術館での開催「岡本太郎とアール・ブリュット展」で観た時と
同じイマキュレな空間と、ここで活動=仕事をするダウン症の人々の
作品に包まれた場。

アール・イマキュレの名は、アウトサイダーアートやアートブリュットとは
一線を画しており、その差異とは、
後者を、主体在りとし社会あるいは対称という構造から生まれるアートか、
前者を、主体なき無垢という衝動による始源たるアートであるか。

奈良のこの地に彼らが働く(=というのも彼らのアートを自立性をもったものとして
ファブリック製品、あるいはテキスタイルの商品にする実質的場所。)ということの
土地の意味を、自転車で来たことによってわかった気がする。
この地自体が immaculate イマキュレと感じる故。

帰り、秋篠寺の伎芸天を想いながら、秋篠川を右手に山に向かって自転車を漕ぎ、
太古の昔、山には春を司る神霊=佐保姫がいたという思いを馳せながら、
佐保川を渡る。
川両側の桜並木の蕾が春を待っていた。

この地のどの山も、地球の上で繋がり連なっていると信じたい。

佐保姫や救ひ給ふネパールの民

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
たんぽぽの家アートセンターのアトリエ内で

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
薬の殻を集めて何万個!
摩訶不思議かっこいい作品に仕上がります。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
実際に靴下の柄となった作品。伊勢丹でも販売しているそうです。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
秋篠や 外山の里や 時雨らむ 生駒の岳に 雲のかかれる(西行)

Commentaires

南仏・Erik Borjaの日本庭園

オブニー784号の特集で取材した南仏の日本庭園「Jardin Zen」は、
自然を見立てることを日本庭園の基本におきながらも、
ひたすらに「観る」ことにより、ものの本質から観る者の観念を取る
この修行のような行為を経て、彼の庭は「禅の庭」と名付けられた。
77年の京都の数十カ所におよぶ日本庭園訪問依頼、
元々造形作家であるがゆえに、彼にとっての作庭は芸術表現になる。
ひたすら謙虚に、プリンシパルのある、アーティスト。
そして真の食いしん坊は、御歳74歳にして毎日うまいごはんを自分で作っている。
アルジェリアで生まれ帰仏した彼はまた、真のピエノワールでもあり、
青春時代に得た、お母さんたちのそばで覚えた料理の数々。
アルジェリアのユダヤ人達のお祝い料理の面白さは、また格別の話だった。

7月5日には、この3ヘクタールある「禅の庭」にてKyのコンサートが開催されます。
自然の音と、楽器の音が庭の中にどのように漂うのか、
そして聴衆のみなさんと庭を共に歩きながら奏でる音はどこに飛んで行くのか。
心がどきどきします。

さて、彼のレシピからひとつ拝借。「真鱈のサルティン・ボッカ風」

-鱈を人数分に切り、塩胡椒、小麦粉をまぶしてオリーズオイルで焼き色を付け、
白ワインで軽くフランベ。
-グラタン皿に鱈を並べてサフランを振りかける。
-生ハムを鱈の上にのせ、オーブンで15分。

フランス料理では海のものと肉を一つの料理の中に入れることは
あまりしないけれど、真鱈の淡白な味と、まぶした小麦粉に生ハムの旨味が
染みいる、うまさ。

ovniの記事はこちらから→www.ovninavi.com/784sp

禅庭や小さな宇宙春の匂

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
枯山水にインスピレーションを受けて作った庭に佇むエリックさん。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
南仏の陽光が入る台所は気持ちのよいものだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
サフランが鱈の白身に栄える。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
アシスタントの家族、皆で囲む食卓というしあわせ。

Commentaires

ベンガルの刺繍・日本のフリージャズ

今やどこでにいても、少しの電気と、少しの機材があれば、
録音はいとも簡単に、できる。
少しの耳の技術と、そしてなにより良い音があれば。
4月8日に発売される「今、日本のフリージャズを聴く」と題された、
70年代に録音された作品の再リリースを迎えるにあたり、
「高木元輝・加古隆/パリ日本館コンサート」のライナーノートを書いた。
スタッフが運んだであろう、マイクや録音機。その当時の音から、
匂い立つ機材の香りを嗅ぐことができる。
加古さんと高木さん、そしてロン・ピットナーとケント・カータの音を支える、
彼ら演奏者の前に陣取る録音技師の想いが、伝わってくる作品、だと思う。
もちろん当人の演奏があってのコンサートという出来事である。

インドはベンガル地方に残る女の仕事、「カンタ」。
魅惑の刺繍の愛らしさといったら。
こういう人間の成す営みを、柳宗悦的にいうならば「民藝」と呼ぶのだろう。
しかしもっと根源的な愛情を感じることができる。
こういう人間の成す営みに小さなスポットを当てる、
無印良品「MUJI」というコンセプト。
購買意欲をそそる商品がずらっと並ぶその奥に、「Atelier MUJI」という
小さなスペースに、このベンガルから来た刺繍布カンタが佇んでいる。
やさしい空気が、そこにあります。

いずれも、手仕事として何かを残す、という作業に、
なぜもこんなにわたしたちは魅かれるのだろう。

一日の仕事を終えて春の暮

「ベンガルのたなごころ、彼女たちの針仕事」と題した展示は4月22日まで有楽町のATELIER MUJIにて。
http://www.muji.net/lab/ateliermuji/exhibition/150306.html

「今、日本のフリージャズを聴く」のシリーズは→http://www.universal-music.co.jp/japan-free-jazz/product/pocs-9347/

IMG_0026

IMG_0027

Commentaires

ドゥルーズの陽炎を20区の中庭で見て…

離婚した妻との家族、その前妻の母親、そして今ある家族。
88歳から0歳1ヶ月までの人間3世帯が一緒に住む、
という今や貴重な共同生活は、パリであれば尚更。
脚本家のローランは、この共同体をつなぐ55歳にして
4人目の子どもは0歳の乳飲み、の親父さん。
そして年長の、彼にとっての義母はジル・ドゥルーズの奥さんである。

「まるでアフリカの村にいるみたいですね。」と私が言えば、
「その通り、パリのアフリカなの!」と。

離婚後、週に数回父親に会うために子ども達がパリを横断する労力を、
共同生活をすることにより取っ払ってしまうという合理的な生活に、
彼らは舵を漕ぎ出した。
そして老媼となった前出ドゥルーズの奥さんを見守る若い世代。
新しい奥さんとの間の4歳になるデルフィーヌは、
中庭を横切って血のつながっていないおばあちゃんの所へ遊びに行く。
あるいは異母兄弟と一緒に夕飯を食べる。
「子どもは社会に在りて」の実践。
第三者からは見えぬ当事者の、各人の日常を保つ共同への配慮。
ガラス張りの窓に囲まれた中庭を共通項に生活をする人々を、
もしここにドゥルーズ老爺が居れば、どんな眼差しで見ただろう?
そしてこの共同体に彼がおられるならば、
その暮らしの結果からどんな著書が生まれてくるのだろう?
と密かに想像してみる。

彼の著書の半分も読んでいないので、
深淵なるその考察から何かを得たとはいえぬ自分、
これを機にその世界に潜り込んでみたいものだ。
中庭を眺めながら頭をよぎるイメージとフレーズ、それは、
「アフリカは始源から続く人類の完成形」。
こちら相当長い説明必要故、いつか文章あるいは体現という形で試みたい。

「すべてが絶えることのない相互作用の中で共存するのだ。」
      »千のプラトー » から ジル・ドゥルーズ・フェリックス・ガタリ

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
蕾が開きだした冬桜の枝は、庭にあるものだろうか

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
空間を仕切る、本。というアイデア

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
アフリカの布はどんな空間にも、馴染む。

Commentaires

サド公爵、諷刺ってなんですか?

Jean-Jaques Lequeuのデッサン。
こんな乳首の表現、個々の深層に隠れたエロティシズムが
刺激されてしまうではないか。
時勢に臆することなく言おう、これも宗教に対する冒涜か。
こちら昨日終了したサド没後200年記念、オルセー美術館での展覧会。
終始ドキドキして、サドの描いた物語りの世界が具現化される世界を垣間みた、
という印象。
サド研究の凄腕女史アニー・ルブロンAnnie Le Brunの審美眼に
かなった強者作品ばかり。
めったに観られぬオーストリアのクービン. Alfred Kubinや
ハンス・ベルメールの登場。展覧会終盤にかけて心臓の高鳴りをTWという方法で
中継したいも当方TWはやっておらず、ほぼ最終日に行ったが故、
興味を持ちそうな友人たちにこの展覧会の情報を拡散できぬ、無念。

サドの言葉が木片に削られ各所に配置。その中にある一節。
「L’idee de Dieu est, Je l’avoue, le seul tort que je ne puisse pardonner a l’homme.
神という着想を抱くこと、それはわたくし曰く、人間の赦しがたい唯一の過ちだ」

このフレーズをキュレーターA.Le Brun女史が数あるサドの文章から選択し、
言葉を言葉以外の作品と共に配置することにより見えて来る意味。
それは、「現在」という名のもとで我々が生きる世の中への疑問、
秩序という名の倫理あるいはコード、理性的世界を易々と裏切る、
人間の本質的エロティシズムに目を向けるが故に浮かび上がる、言葉。
人によってエロティズムその焦点は当然異なるけれど…
何か予言的に、もしくは長い時の流れの中で、
だれしもが抱いていた疑問を、A.Le Brun女史がサドに代弁させているようにも
捉えることができる。
意味じくも会期中にあの事件は起こってしまったわけだが…
しかし同時に忘れてはいけない、サドの作品は永らく発禁物であり、
諸々彼自身も監獄生活続きであった、ということ。
それは、
自由という名のもと表現の自由に甘んずることなき、リスクを負っての、表現
である。

ではアリストパネスにみられる諷刺は一神教誕生以前、
だれの恨みを買っただろうか。
大革命以降社会の隘路となるライシテ、
あるいは紀元前アテナイ(一神教の誕生以前)の時代からある
「諷刺」というの手法、両者時空を埋められぬが故の問題を浮かび上がらせるに、
今回の展覧会はサドという表象を逃さなかった。

今一度、サドというある一人の人間が追求した、人間の真相を読み解くべく
思想、あるいは物語、を知る喜び、そしてその歴史的背景を知る喜びとしよう。

2週間に渡る特別号charlie hebdo「Tout est pardonne」
での編集部からのメッセージの中で注目すべき文章とは、

「追悼のためのパリノートルダムの鐘楼を鳴らす者は、
フェメン FEMEN、 Фемен の彼女たちであるべきだ。」
と、〆ている。
さて誰の気分を害すというのだろうか。
(物理的に今や鐘は機械によって作動=鐘をつくのは人間では、ない。
という自己諧謔性。
あるいはフェメンを赦し難い対象としてしている者たちへの….)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

Jean-Jaques Lequeu -そう、私たちも母ですから-

03goya_cap024

大好きなゴヤの版画「気まぐれ」シリーズ、は象徴的揶揄にあふれている。

Aubrey-Beardsley-The-Toilette-of-Lampito-1

目眩がするほど魅力的なビアズリーの
「女の平和 Lysistrata」シリーズは、19世紀が誇る風刺では。
ただし、そこには宗教的象徴は描かれて、いない…

Commentaires

コートジボワールの布

60年に独立後すぐ、家族でコートジボワールに移住したという、
今は小学校の教師マリリエスの家の壁一面には、その当時現地の友人から
贈られたという、セヌフォ族による泥染コロゴ布のタペストリーが飾られている。
彼女の父上は61年からECOSOCの一環として‪アフリカ経済‬開発のための
調査・援助の仕事に従事し、「イボワールの奇跡」に貢献したという。
父上の家にはその当時の資料(もちろん紙)が山の様にあるそうだ。
いつか目にしてみたいものだ。
しかしながら、ウフェ=ボワニ大統領の死後の内戦、クーデターの時代を
フランスに戻った彼はどのような想いで観ていただろうか…

この布の柄が、見ての通り非常に胸を衝くからにして、写真として拝借。
私も彼女のように毎日眺めてみよう、と思う次第。

年明けて何を望もふ明日の日に
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

Commentaires

価値とはブランドロゴにあるのか

ある依頼が、あるイベントの1週間前にあり、こういう間際の依頼は仕事がら
よくあるのですが、ある難関を越えられれば引き受けることができる、と思い、
師走の賑々しさと忙しさに押されて、ある挑戦を。

それは、韓国人アーティストMunGi YANG氏の「DE LUXURY STONE」という、
石にブランドロゴを刻んだ作品を持ってフランス国立近代美術館、
通称ポンピドゥー・センターの広場をファッションショー会場に見立て、
野外で演奏するというもの。

ブランドロゴマークが刻まれた石の鞄を持って歩くモデルさんも大変だけれど、
極寒パリ野外で一人で吹くという、これが »ある »挑戦としてあるわけで。
指はかじかむ、歩きながら吹く、金属でできたサックスは寒さで音程が
おかしくなる。とまあ挑戦に見合う条件そして状況。
しかしながらパフォーマンスを見入る人、行き交う人からの反応、
なによりパリ大学で学ぶ韓国の学生やミュージシャンと知りあいになれたことの
喜びは大きなもの。
特に韓国の伝統楽器、大笒テグム奏者 InBo LEEとの出会いを、
大切にしたいものだ。

사진 4
ポンピドゥー・センター広場での演奏を終え、ストラヴィンスキー広場に移る

IMG_0053
ルイ・ヴィトン、モノグラム・ヴェルニのパロディ!!

Commentaires

全27公演、ありがとうございました!

今秋ツアーを応援いただきありがとうございました。
既に数週間経ってしまった今頃になってのお礼だなんて、師走も迫るというのに…。
今回も各地の頼もしいほどの生きる力に感激。
上越は100年を迎える世界館を守り、盛り上げる、力。
秋田の学生さんたちが持っている好奇心の眼差し、
おずおずと、しかし個と個になると発揮する、力。
福島は飯野町に覚悟を決め、先祖を守り抜く、力。
北海道の山との共生、海との交わる、力。
静岡の山寺承元寺住職の、鈴木大拙の英語講義を日本語訳にする、力。
名古屋のアートと生きる過程を同次元で展開する、力。
富士山周辺はやはりそのエネルギー自体との共存を日々のこととする、力。
まだまだまだありますが….
真の交流とは、人が動いてなんぼのもん。
ともあれこれら土地と人々が生む力、との出会いでした。

土地行けば寒ゆるみたるおふるまひ

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
会津を抜けて霧の中の、これが磐梯山じゃ!

IMG_0004
秋田公立美術大学の学生たちに質問攻め、の演奏者

IMG_0015
「てさぐり」展覧会の会場を案内してくれる人は、視覚障害者の方々!
だから、鑑賞者も「てさぐり」なんだ!決して革新的ではない、これぞ必然的展覧会。

IMG_0045
井上信太(美術作家)・前田真二郎(映像作家)による未年計画 名古屋ひつじ物語
開催するヤマザキマザック美術館へ多いに一票!

IMG_1065
駿河に安国寺、今は承元寺、重松ご住職の英語での会話のひと時。

IMG_1024
女の細腕で樹を切り倒し植林する姿。ホタテ貝を大地に敷き詰め、向こうに見えるは洞爺湖。

IMG_0070
小さな窓から、世界を観る。

Commentaires

ツアーエスケープ@久国寺

池袋のぺーぱーむーんにて疲れを癒し、バスにて早朝に名古屋へ着く。
かれこれ2日間はもう布団で寝ていやしない。
朝6時前ではカフェだって営業していないし、
駅をぶらつくも疲れきっており、そこで機転をフル回転。
「そうだ、太郎さんに会いに行こう!」
ということで、名古屋生まれなのに実はいった事のない、北区へ。
志賀本通り駅を下車。感を頼りに、あっという間に「久国寺」へ到着。
岡本太郎が創った「梵鐘」に会いに。
青山の記念館庭では他入場者を気にせず叩くことができたのですが、
かえって一人ぽっちのこの境内では、鳴らすどころか、
その存在を前に立ち尽くしてしまった。
故障したアンプ修理を取りに、帰りは名鉄瀬戸線に乗るわけなのですが。
なんと辿り着いた場所は、そう、学生時代に使った、「尼ケ坂」駅。
こんな偶然のいたずらも、岡本太郎の成せる技だろうか…。

久国寺住職の依頼による、岡本太郎作「歓喜の鐘」
IMG_0854

尼ケ坂。江戸時代には辻切りが多かった坂だそうだ。
IMG_0864

Commentaires

モロッコのユダヤ人

15/8 拍子のリズムがタリージャ、ヘレーズによって刻まれる瞬間、
拍子の頭を探し、メロディーの頭を探し、という感覚はなくなるようです。
ただただリズムに心身共委ねて、感覚の中に何かが目覚めたとき、
自然と舞台前方で叩くリズム隊と目が合い、何百年続く »治癒の音楽”と
呼ばれる神秘主義スーフィー教団Hamdchaに伝わるそのメロディーが自然と楽器を
通してでてくるのでした。そして歌い手サラの声が、メロディーに、重なる。
とまあやはりその音を聴かねば伝わらぬこと多々ですが…

またもや舞台の上では、やはり音の神さんが降りる瞬間多々で、
なんど涙が頬をつつったことか。お恥ずかしい。
例えば、 »Bibi Louya »という曲はリーダーであるYoramによるアレジン。
モロッコ組は激しさを抑えたリズムを淡々と叩く。
この曲が始まった瞬間、突然涙が目に溢れた。
本番である今日の今日までYoramはこの曲の由来を楽士達には話さず、
しかし、この曲はユダヤに伝わるメロディーなのだという。

観客に向けこの曲のことを説明した後、私は彼の心の奥にあるユダヤ人である
という »何か »神聖たる想いを見た気がする。
そう、彼はモロッコ人でありユダヤ人であり、イタリア人であり、そして今、
フランス人なのだ。だからこそ »ルーツ »を求める彼の想いは
音楽に投影されているのだ。

信心深いモロッコ人スーフィー教団の楽士を目の前にし、
また彼らと共に限りなくイスラムに基づく伝統的な音楽、
そして実験的な音楽を追求している彼の、この時自身の出自を音楽に託す彼の姿勢が
一気に理解できた。

今日はいよいよアラブ世界研究所での演奏、ヤンラ!!

IMG_0537
演奏前の楽士(Hamdchaの衣装ではなく、みな各々の伝統的モロッコの服で)

IMG_0511
Herrezヘレーズの皮は山羊、
太陽がでていないため人工光で皮を乾かし張りのある音に

Commentaires

お父さん、「生きる」ってなあに?

どういうことだろうね。
生きるということは。
ひとりでは、できないこと、だろうね。

生きるという営み_5(1)

Ky2014年のツアー、11月から始まります。

Commentaires

123

La voix des artistes |
Le Blog de Piteur |
deathvalley |
Unblog.fr | Créer un blog | Annuaire | Signaler un abus | Buddy Stewart
| Rap de qualité Δ Lyrics
| Michel Mainil