国家の一員になるのか、根になるのか
生まれ育った場所を故郷と呼ぶならば、地方から都市へ、人々は根をいつの間にか、知らないうちに失い、国家の一員に抗うことなく、成った。
では、国家は故郷なのか。
移動の時代になって国単位の根を拠り所とするのか、あるいは生きる土地(場所・コミュニティー)を根とするのか。
わたしにとって国家とは、パスポート上の国籍である日本がもつ査証の有効性だ。
わたしは根をもたない。しかし、すべてが根であるといえる自信がある。
中心、ひっそりと在る、無数の中心が根になる。
今日はシモーヌ・ヴェイユ Simone Weilの誕生日だ。
哲学を、身体を駆使する労働をすることで体現した、真の哲学者。
体、体だ。インテリなんてくそくらえ。
そして、夭折した彼女の思想は死後見つかったカイエ(ノート)に、溢れ綴られていた。
彼女の遺作は、「根をもつこと L’Enracinement,」。
「重力と恩寵」のページをめくるとしよう。
我々は今日、立春に迎えられる。