車窓によって不眠人生のつじつまが合う
人類は移動をし、あるいは移動を諦めそれぞれの地で生き存え、
今私たちの命がある。
なんていうと大げさですね。
同一性(わたしはアイデンティティという言葉を好みません)への問い、あるいはその中を彷徨う理由は何でしょうか。
今いる場所、この場所に生きるしかないという現実。
万年不眠の日々はかれこれ15年位がたちます。
万年時差ぼけ=移動ばかりしてきたからでしょうか。
つじつまが合って今生きているのは、車窓のおかげなんです。
移動の車窓からみえる景がどれだけの癒しになり、創造の源になり、隣に座る人々と過ごした時間が、どれだけの幸福をもたらしてくれたでしょうか。
人類が、移動をしてきたには理由があります。
移動の時間にある風景、それはわたしたちのDNAに刻み込まれた心象。
それは、同一性を形成する、エレメントのひとつになる。
浅い眠りの中に、少しの応答があるかもしれませんね。
突如現れた虹その日は、ある人の逝去と、ある作品の誕生の日となった。
秋の景後ろと前にそして横