鬼のように遊び、修羅のように学ぶ
演奏家にとっての仕事は楽器の練習と思索。
時々練習が遊びになることも稀にありますが、それは晴れた日に河岸やら山の山頂、あるいは牛の前でパラパラと奏でる時のこと。
遊びの空間にはいつもそう、自然があることです。
そして、学びも自然の摂理からの贈与としてあるのです。
今宵お洒落をして愛人と出かける、
というのも鬼のような遊びの極意であり、修羅となり候。
(タイトルは社会思想学の上野俊哉さんのフレーズから借用)
愛人の家には熱帯魚、イグアナ、白蛇、お猿さん、秩父の流木なんでもござれの居心地のよさ。
インテリアにHermèsのスカーフをさりげなく飾る、センス。
おもろうてやがて三冬尽く末時