誰が世界を翻訳するのか
これは2005年に人文書院から上梓された真島一郎さんによる編著のタイトル。
そして、金沢21世紀美術館での展覧会のタイトルでもあります。
観察、他者、遠近の眼差し…
レリスが試したように、レヴィ=ストロースが神話論理という方法で思考を実践したように。
生きる実践の中で、ミクロの世界をマクロと同等に、いやそれ以前の一体となり響きあうポリの世界を、僅かな変容にも繊細な気を使いながら他者を観察した先達。
ここでは言語の問題が必ず付きまとう。
「神話は、けっして自身の言語に属しているのではなく、他なる言語への一つのパースペクティブなのである…」
では言語を同じにする場合の観察とはどうだろう。
都市の者が辺境に向かうという偏差はあるにせよ、その言語的一体感が観察者に類としての原動力を付加する。
観察者として切り取って見せる写真や言葉が何か身体の奥に響くものであるようなのは、その眼差しの根ざす場所が己にも通底していることを教えられるから。例えば、岡本太郎であり、宮本常一なのかもしれない。
外からでなく、中からの観察に挑むという実践をする者に、わたしは憧れる。
と同時に想起したのは、ボルタンスキーの展覧会 Faire Son temps (英題:Life Time)
会場自体がひとつのインスタレーション空間に。この空間にいる他者とはだれなのか。
みすず書房からの新訳版「人種と歴史」(L=Strausse)
https://www.msz.co.jp/book/detail/08850.html
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