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Archive pour juillet, 2016

生きとし生けるもの

クレマチスの丘というちょっとした異空間でみる、
動物たちの息づかいが聞こえてきそうな展覧会がはじまりました。
富士の麓、土の上、なだらかな丘。
木漏れ日がさす昼の森もいいけれど、
ものみなが、ひそひそざわざわするであろう
夏の夜の森もいいかもしれません。
この森の動物たちは、展覧会会場のまわりで、
どんなおもいをめぐらせ佇んでいるでしょうか。

パリの自然狩猟博物館で行なわれたArt orienté objet
による展覧会は2014年だったか。
常設展である剥製との組み合わせ、アイロニー。
Marion Laval-JeantetとBenoît Manginによる世界は、
360度の角度で観る者に問いかけます。
自然と動物のあいだにいる人間というあなたとは誰ですか?と。

それぞれの会場で出会った動物たちに想いを馳せ、
しかし今日、常磐色と苗色の伊勢の山から降りてきた子鹿が、
赤信号を待つ車の左横に、すっと立っていました。
置ものかと思うほど凛とした佇まいのこの鹿に、見つめられてしまった。
これが、現在の日本の里山の姿のようです。

手つなげぬ二人の小径蝉時雨

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橋本雅也さんの、鹿の骨でできた日本水仙
なんという世界でしょうか

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Art orienté objetによる作品、空気を抜くとバグパイプの要領で音がでる。
動物との関係ぬきには楽器は奏でられない。
演奏家は直接的に、動物と接しているという可視化。

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内山節さんの、出展作家の、想いがあふれている
書物と呼べるカタログ。

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移動中毒症

都留の山間に育つひまわりやとうもろこし。
耕作放置地帯の割合が広がる日本で、軒の側にある家庭菜園の姿が微笑ましい。
八ヶ岳を西に夏の山は鬱蒼とした緑。
植林した杉、そして関西の山々にみられる竹の威力に蹴落とされる
樹々にくらべると、中央高地のそれは、のびのびとした表情。
山の中にいるもよし、山を視界におくもよし、
彼らの存在感があってはじめて生命を実感する、といったら大袈裟だろうか。

白根山周辺にある火山による赤土の下にはゴロゴロとした岩、岩、岩。
俳句友が営む「月の小径」の温泉にからだを沈めれば、この岩たちが、
この地の時間と土地のことをmurmur(ひそひそ話)で語る。

知るもよし、知らぬもよし。
小さな世界に今日食べるものがあって、うまい酒があれば、それでいい。
移動するから生きていられるのか、生きるから移動するのか。
いずれにせよ実践をしない人生などお呼びでない。

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かいじからあずさへ

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富士急行のみんなは疲れているね

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須坂は普願寺でのコンサートを計画中

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水と山に誘われて

丹後の山々は、その中を通る度に涙がでるほどの浅くも深く、
車窓からみる樹々に魅せられる。
いつもお世話になる天橋立・玄妙庵から望む宮津の海。
ぽつりぽつりと小さな漁船が浮かぶ景。
山々が海に運ぶ贈物の循環の中にわたしたち人間がいるとすれば、
この日本ではこういった共存する姿こそが真実であり原理のはず。
この地に、儲かる、儲からないという尺度は無用のはず。

水を求めて琵琶湖に着けば、朝焼4時が照らす水面。
井上靖「星と祭」にみる信仰の姿に出会うには、
まだまだ時間を要するからにして再び山へ入る。大原の清流、八瀬童子。
比叡山の静寂がひとりの時間をゆたかにする。
山頂からみる湖北の方向伊吹山を越えれば、その内にあるのは養老の滝。
そこから濃尾平野を一望すると、山々からの水が、人の生きる時間を支えている。
これらのgeographyは、小学校で学んだはずだった。
鳥瞰図という方法は、ものごとの全体を見るに有用であるようだ。

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生きる道天橋立大暑きぬ

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琵琶湖4時30

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この緑の中にひとり楽器を吹く至福

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-蓮始開-

七十二候、そろそろあちらこちらで蓮のお目見え、でしょうか。
本物を今年まだ見る前にこちらで拝見。
地下鉄の網棚に楽器を忘れてこれで3回目、
と学習せぬ我ながら呆れる。
和歌山は南海電鉄でなんばー和歌山市駅間を
4往復したウードもすごいけれど…

つかの間の蓮ある大気浄土かな

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忘れ物は日比谷駅。睡蓮が出迎えてくれる。

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この時期は様々な花も旨い。
バナナの花はスリランカ料理。
ズッキーニはイタリア風天ぷらで。

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寝ぼけてアテネ、眼がさめれば鈴鹿山脈

 「日本庭園を知る」講演会は、パリ、ロンドン、ウィーン、
ブタペストそしてマドリードと回り、無事満員御礼となり候。

「人間はなぜ庭をつくるのでしょう?」
という冒頭から始まる講演会の主役は京都の庭職人、石川佳さん。
このシンプルな質問から目の前に広がる庭への眼差しは、「ここに居る」
という事実につきる。
あなたがここに居る、だから、この空間は庭になったのだ。
なんだか禅問答のようですね。
さて、この講演会ウィーンの後パリに戻るはずが、なぜか機体はアテネに向かい、
蒼い蒼い海を見ることに。
寝ぼけて航空券を買うとこうなるようです。
そして、夢心地の日々を過ごし辿り着いた日本は伊勢志摩~鈴鹿山脈。
山の中にはヒグラシの音。で眼を覚ましたというふしぎな夕暮れ。
男梅雨空けぬ小暑、父が捕まえる今年の蝉一号となり候。

蝉時雨庭にようこそ安堵かな

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アテネまで15分

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ギルシャワインのラベル!本当にあるなら吹いてみたいな。

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伊勢志摩サミット!?ねぼけた祭りは放っといて、
太古からある志摩の海と地。

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日本の塩・フランスの塩

あかちゃんもばあちゃんも、汗をかいて、水を飲んで、
食べものから塩分をとって、汗はしょっぱい。
この連鎖はずっとずっと進歩しない原理ですね。
伊勢志摩は二見にある、御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)。
この御料地にある御塩御倉の »かたち »は、地球儀を回して
大西洋岸ゲランドという塩田地帯でもみることができます。
夏は夏で仕事にはげみ夕刻塩田脇でビールをのむ職人さんたち。
冬は冬で潮風を背中に自然の中にある年中仕事。
こういう働く姿を愛らしくおもうのは、
そこに根源的人間の姿をみるからでしょうか。

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御塩御倉

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ゲランドの塩田

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塩田に風通る道半夏生

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Ecole Théodore Monod

歩いて、歩いて、サハラを歩いて何万里。
井戸なき砂漠を歩いて900km。
ラクダと、杖と、喉を潤すにカマンベールとレモネードの夢をたずさえて。

ある日フランスの小さな村の小学校にやってきたThéodore Monod。
モーリタニアの砂漠ですれ違ったというこの村の住人である映像作家が、
村の小学校でテオドールじいちゃんの話を、子供たちと聴こう、
と提案。校長先生も大賛成。
あるふとした時に、このじいちゃんの姿や、おぼろげな内容だけれど、
物事の本質のような”何か”を、質感を、子どもたちは思いだすかもしれない。

学問は教育機関を携えて?
日々喰うための仕事?
研究者としての”自分”より、歩く自分を選びサハラ砂漠を行き、
その感覚をもってこの学校へも訪れたのだろうか。

博物学者であり生物学者、IFAN研究所所長や博物館教授である
彼の調査は学問の範囲で書物となり、専門的な範囲で審判にさらされる。
しかし彼の砂漠での調査とは、その調査の先にある、
生きとし生きる人々の、こころに届ける »お話 »なのだ。
だから、この老爺を、じいちゃんと呼びたくなるのだ。
きっと、モーリタニアの人々もひとつの愛情の形として、
彼をそう呼んでいただろう。

220px-Théodore_Monod_-_Aéroport_d'Atar_(Mauritanie)_-_20_décembre_1998

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この村を訪れた日本人作家はドリアン助川さんという。

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