Archive pour mars, 2016

un rêve

パリ19区。
スターリングラード駅の高架下には数えきれない程の人々が寝起きしている。
雨をしのぎ、寒さを皆々と分かち、もうすぐ春、という今日。
朝9時に警察が我が家の目の前の大通りを塞いだ。
叫ぶ者、シミだらけのマットレスを無惨に一掃する者、
カフェの主人、パン屋の旦那、通りに住む住人が、
この理不尽な今日の出来事に対し道に立つ警察に掛け合う姿。
カラシニコフを持つ仁王立ちの列。
女は泣き伏し、男は絶望を隠さない。
メトロ2番線は閉鎖。
すべてを追い出し柵が囲われ、高架下は立ち入り禁止場所となった。
家を出る度に見ていた彼らの日常は、もうない。
この目の前の出来事に、だれがカメラを向けられようか。

ミントの葉やコリアンダーはこの駅前で彼らが売っているものが
一番新鮮で一番安い。
炊き出しをもらった後の安堵の表情。
娼婦たちの姿。
2016年、こうした風景は、大きな世界の象徴であるパリの移民街で共生する、
わたしたちの日常。

彼らは、今日どこで夢をさまようのだろうか。
せめて温かい場所であると、願う。

春の夜の夢の浮橋とだえして嶺にわかるる横雲の空(藤原定家)

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
彼らの姿は、もうない。

Commentaires

ミモザと逢瀬・日本の里山鹿を喰う

フランスは立春過ぎた頃から、日本は春分を佳境にミモザが芳香を放つ。
南仏にはミモザ群生があるそうな。

誰訪ねて駅からの道は丘。こういう丘陵はその昔里山だったのか。
丘から見える遠方は、人溢れる街。足下には、野生の草たち。
誰訪ねて志摩の村に行けば、里山の奥で獲ったという鹿や猪をみやげにもらう。
村のみかん畑の木肌は鹿によるcâlinでつるつるに。
こういう里山のめぐみとして、喰う今日の飯となる。
空港に向う東に見えるのは、紀伊の山々。
なんともいえぬ安堵、感。

母愛でぬ玄関番のミモザかな

2013-03-28 09.37.15

NCM_0124
ここはどの里山でしょうか

Commentaires

萬古 ばんこ Banko

東海地区の土は、その昔何万年を経て粘土質を有し、
今に焼きものを支えている。
常滑、瀬戸、信楽(滋賀だけれど地の流れとして)…。
そこに、おそらくあまりメジャーではないけれど、
ひっそりと歴史を刻む焼き物、それが萬古焼。
父にいわせると、子供時代四日市の街には、
煉瓦でできた四角い工房の煙突が立ち並んでいたそうだ。
戦中生まれというからには、戦後の風景は現在へと変容したのだろう。
この萬古焼のデザインアーカイブを目的にできたのが、
BANKO archive design museum

陶芸家である内田鋼一さんの私設美術館となる。
これがすごい。
おそらく世界でもっとも小さな美術館。
思想がある。
小さな世界から、大きな世界を俯瞰できる、美術館。
設立にあたり刊行された図録を見ていると、
「この人高校の同級生だ。」と父がいう。
小さな美術館の窓口となるHPや紙媒体のイラストを描いた、大橋歩さんだ。
土地に生きる、生きたひとが、支えている。

春霞萬古の里に煙見ぬ

NCM_1042

NCM_1046
工房があった界隈には神社が。
土の神さん、焼き物に携わった人々、みな一様に楠木が覆う神社にいる。

Commentaires

あたまとからだ

ないおつむを使おうにも使い方もわからず、たまに使えばショートして、
調べものを探しに法学部生が使う図書館にいけば、
利用者の脳みそが館内に充満しているような空間に圧倒され、
1954年の雑誌の一部をコピーし、いざ帰路へ、と図書館出口付近にあったものは、
17世紀に綿布に描かれたヨガのポーズの数々。
このあたまとからだのバランスに、救われる。
救われるが、一向にあたまの回路はつまったまま。
草木萌出今日この頃、ないおつむから何かは生まれ、出口に辿り着けるのだろうか。

下萌やいまは辛抱あと少し

182900_200129680002621_3412266_n
Sainte-Geneviève図書館内の集中力は凄まじい。

IMG_0185
南インドで描かれた、29のポーズ

Commentaires

La voix des artistes |
Le Blog de Piteur |
deathvalley |
Unblog.fr | Annuaire | Signaler un abus | Buddy Stewart
| Rap de qualité Δ Lyrics
| Michel Mainil