音を見立てる
Drome地方にある「禅の庭」での演奏会は、遠くは京都から庭師が、
そして、我らふらんす吟行俳句会とパリ短歌会の同志の参加で、
Erik Borjaさんの庭は賑やかに。
そして、南仏の庭の大地と空に、音は広がったのでした。
耳に聴こえてくる音は、それこそ聴く人の内的見立てによって、
なに様にも成れる様です。
だから、この庭で演奏するということは、演奏家の鳴らす音が、
あるいは奏者個人の奏でる音という我を
どこかにやってしまうことができる、
例えば原罪を和らげてくれる様なことかも知れないですね。
そして、それは音の先に宇宙がある、という希望かもしれません。
禅庭や見えきしかたち風薫る 佳
鳴きやんでまた鳴く七日蝉時雨 麻紀
鍵穴の奥の十字架暑気払ひ 崇
せせらぎのさやかにひびく禅の庭 なをみ
もろこしの花連山の影を背に 克洋
イゼール河を清水の護りとして鳥居の立つ横に、各々に庭を演奏した奏者が集合
父上はアルジェリア人のフルート奏者アミナと。鳥のような彼女の音のささやき
演奏後は、Erikさんのドメインclairmontsのシャルドネの白で。お疲れ様!
http://www.cavedesclairmonts.com/
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