モロッコの入れ歯と、日本の電動歯ブラシの距離
イスラム圏のどこでも、薄荷茶に砂糖はつきもので、北アフリカであれば、
陽が皮膚の皺奥深くまで入り込んだ肌と、同じ色の、隙間だらけの歯を
見せながら笑うおじさんや、サハラ以南に行けば、太陽の陽は肌そのもので、
対照的な白い歯は、しかしやはり虫歯で抜け落ちた、隙間だらけの、それを
見せながら楽しそうに笑う人々が、毎日の祈りと同じ数だけ、薄荷茶を飲んでいる。
モロッコはエサウエラの市場で、敷物の上に並んだ入れ歯、入れ歯、入れ歯の数を見た時の驚き。
ここは東京、街の真ん中で電動歯ブラシの宣伝を電子掲示板(と呼ぶのだろうか…)を眺めつつ、
あまりにも遠いこの二つの歯に関わる道具のことを考えてみた。
この二つの道具の距離が近づく時、今や決まり文句 « グローバル »は、
真の意味を持つことができるのではないだろうか。
近づく、といったって、どんな具体性をもち、どんな働きの結果なのか、
安易な理想論的考えかもしれない。
しかしひとつの具体的な案として、二つの道具が出会うこと、が重要といえる。
片や入れ歯をした者と、片や電動歯ブラシを生活の一部にする者が、面と向かって出会う。
そこから対話は始まり、互いの思考は思考という機能を果たすことになるだろう。
秋香る今日は10月13日、月は否応に秋に奇麗だ。
今一度、断食月にモロッコでみた月に思いを馳せる。
月に足を乗せた人類は、新たな原罪と共に生きて行く覚悟はあったのだろうか。
今日といふ暦を月に映しをり
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