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Archive pour octobre, 2013

旅と移動 -心臓が、不安で耐えられぬ日々-

秋冷覚える今日、11月はすぐそこに。
3~5年かけた自分勝手なプロジェクト、
「ブルキナファソの大地から、日本の大地へ」も、すぐ目の前に。
無事、トルコを経由して成田空港に、本当に彼らKaba-koは着くのだろうか。
頭をカリカリ、爪をガリガリ、
心臓は寒さが原因ではなく震え、
胃の辺りも痙攣の如くブルブル震え…いやはや。

Ky [キィ]のコンサートは京都は法然院、堺は海会寺と続き、そして今宵、
夜中まで録音の仕事を、続けている。
ツアーが始まる前にともかくやることはやった、と自分を言い聞かせ、
ラストスパートの仕事を続けるのみ。
もちろん眠る時間も、なにする時間もなく、しかし、
« のれそれ » や、 »山形の十四代 » の、味の感動を思い出しては生きた証とし、
明日、まずはムッサ・ヘマの到着と共に心臓の負担は軽減されたし。

鶴見俊輔氏にはまっている今、最新の河出書房新書のコレンクション第3弾は
いみじくも、「旅と移動」。
10月の丹後、北近畿タンゴ鉄道の車窓は秋雨に、
近鉄橿原は山々を背景に、9月から何度往復した事か、東海道新幹線の車窓には、
これ以上のスピードを求めませぬ。

旅と移動  -心臓が、不安で耐えられぬ日々- dans 俳句 haiku 2013-10-19-16.29.22-150x112
丹後由良安寿の居た日凪の海
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土壁の崩れし庭に柿のなる

フライヤー配りは、街の隅々までくまなく、
手にはタコ、腕はますます太く太くなり、
鞄が軽くなったと思えば、すぐさま古本屋さんにて
瀧口修造のこれは60年代?の、みすず書房からの一冊。
さて、録音機材、CD、フライヤー、PCに電源グッズ、歯ブラシに、
すこ〜しだけ服と下着を入れて、あとは楽器を担いで全財産。
明日はまた、移動の日々。

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鹿の啼く茜の山を眺めをり

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モロッコの入れ歯と、日本の電動歯ブラシの距離

イスラム圏のどこでも、薄荷茶に砂糖はつきもので、北アフリカであれば、
陽が皮膚の皺奥深くまで入り込んだ肌と、同じ色の、隙間だらけの歯を
見せながら笑うおじさんや、サハラ以南に行けば、太陽の陽は肌そのもので、
対照的な白い歯は、しかしやはり虫歯で抜け落ちた、隙間だらけの、それを
見せながら楽しそうに笑う人々が、毎日の祈りと同じ数だけ、薄荷茶を飲んでいる。

モロッコはエサウエラの市場で、敷物の上に並んだ入れ歯、入れ歯、入れ歯の数を見た時の驚き。
ここは東京、街の真ん中で電動歯ブラシの宣伝を電子掲示板(と呼ぶのだろうか…)を眺めつつ、
あまりにも遠いこの二つの歯に関わる道具のことを考えてみた。

この二つの道具の距離が近づく時、今や決まり文句 « グローバル »は、
真の意味を持つことができるのではないだろうか。
近づく、といったって、どんな具体性をもち、どんな働きの結果なのか、
安易な理想論的考えかもしれない。

しかしひとつの具体的な案として、二つの道具が出会うこと、が重要といえる。
片や入れ歯をした者と、片や電動歯ブラシを生活の一部にする者が、面と向かって出会う。
そこから対話は始まり、互いの思考は思考という機能を果たすことになるだろう。

秋香る今日は10月13日、月は否応に秋に奇麗だ。
今一度、断食月にモロッコでみた月に思いを馳せる。
月に足を乗せた人類は、新たな原罪と共に生きて行く覚悟はあったのだろうか。

今日といふ暦を月に映しをり

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フランス滞在56時間。

共有するとは、時間軸でいうただこの一瞬のために、往復26時間の飛行は、
孤独な作業となります。
あるドキュメンタリー映画監督の7年間の白血病との闘病の末の逝去、
これから日本を襲うであろう序曲のように感じられます。

「なぜあなたは現実を撮るのですか?」

ペールラシェーズには、多くの映画関係者、そして多くのミュージシャン、
ブルターニュの人々が集った。
Moussa Hemaが奏でる葬送の演奏。じつはわたくし、彼が死者に語りかける
演奏という名の”語り »は初体験。
日本での大きなツアーが始まる前に、彼のこういった本来の演奏を聴くことになろうとは。
音楽という事象を、根源から考えさせられる時間である。
死者を現世の私たちにとっての死者にする行為として、その冷たい身体に触れるように、
Moussaの音は、その魂をやさしく愛撫するように、死者に語り、現世の私たちに語りかけます。

信仰を持たぬ者。
その肉体をこの世の人に、最後のお別れという形で、
聖歌でも、賛美歌でも、お経でもなく、送る、
それはなんと、 »拍手 »、 »指笛 »、そして”かけ声”で幕を閉じ、
信仰ではない、人間のヒューマニティーを信じられる、それこそ、
映画のワンシーンでありました。

帰路アムステルダム空港にて、在ブルキナファソ日本大使館からの、
7人分の査証発給報告のメールは、
非常に孤独な喜びであることは間違いなく、ただ、
この孤独の先にKaba-koの演奏を皆と共有できる喜びは、
生きる力となります。

フランス滞在56時間。 dans 時勢 circonstance 2013-09-28-17.41.47-300x225

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