セルビアから、小さな抵抗
セルビア、と聞くと何となく、「ユリシーズの瞳」の風景を思い出す。
年に一回Jazz Couleur と銘打って、ピアニストのBojan Zがディレクターとなって催される
ジャズフェス(というよりもサーキット式のコンサート)は、今年からセルビアも参加。
4月に一緒に演奏したマケドニアのミュージシャンの、強いお酒を浴びながら(ちょっと大げさかな)
24時間演奏踊らせるためのリズムが強調されたそれとはちがった赴き、とでもいうか…
その会場となったセルビア文化会館の所々にちりばめられた、いわゆるパロディは、
受け取る者にもよるけれど、”アメリカ »という国へのレジスタンス的意思が読み取れる。
映画監督アンゲロプロスが言う様に、アメリカの一方通行的物事の進め方、
そして世界がどのように回っているか掘り下げて知ろうとしない国民がギリシャをはじめ、
セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、はたまた日本…を支配する要素は、
日常のこんな小さなマークなのかもしれない。
この2,3年でパリにできたスターバックスの数を数えてみましょうか?
仰天。
そういえば、Nayの先生イズマエルは、トルコ人というけれどもオリジナルはセルビア人。そして本当は何々人とは呼べないくらいに、複雑な歴史を辿った民族だと思う。その金髪、そして淡いブルーの瞳を思い出す。
月冴ゆる どの国からも 眺めおり