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「レバノンの爆撃跡から」

海沿いのベイルート空港は、真夏の日本の様な湿気。
一日に2~3時間は電気が切れる。
2006年の戦争の爆撃跡がいたる所に残るキリスト教区に住むムスタファの家は、
電化機器が »喋る »という環境。

視力障害向けの、喋るPCを巧みに操り、
ドキュメント映像のためのソロ録音を編集している。

午後には教育番組のTV収録に出向くため、
ある機械を使って、パンタロンの色を確認する。

-ム「マキ、このパンタロンは黒?」
-マ「いや、むしろグレーだね。」

機械をかざす。

-ム「マシーンは、黒って言ってるよ」
-マ「んん、マシーンにとっては、 »黒”なんだろうね。」

「音楽と教育」をテーマにマスターを終え、
今、彼は実践の場として大学を通じて、「音」を発信している。

-ム 「シャツの色は、白かな?赤は派手だろうね?」
-マ「(赤が派手、という概念はどこからくるの!?イメージの賜物だろうなあ。)
まあ、白がいいんじゃない、TVだし」

そうこうしているうちに迎えの車。

今、自分の出来る事をやり抜いているムスタファの姿が、まぶしい。

「バスティーユ難民」

今宵ランデブーは、Bastilleにて。
ドンドコドコドコ、何やら騒々しいではないか。
やった!
先日の、北駅で遭遇したマニフェスタシオンの皆が、ここBastilleはオペラ座の前で陣取っている!かれこれ1週間、ここに青テントを張り、食住をしている。

この光景は抜群に絵になる。
ジャンベやらをウムサンガレの曲に合わせて叩いている。
調度、オペラを見終わった人々が出てくる。
卑しい目つきでsan papierの彼らを見る。
(しかも演目はKAGUYA HIMEになるようだ、何たるミクシュチャー)
このコントラストは何なんだろう。

友人の黒人は言う、
「彼らは、フランス語がきちんとしゃべられない、それが、滞在許可書をもらえない一番の問題だ。」
ならば、パリにおいて圧倒的に人口を増やしつつある中国人のフランス語力は?
日本人のそれは?(つい最近Anten jeuneという青少年向け自主学習センターに出向いた時、10代の中国人子等のフランス語力の低さにこちらがびっくりした。)

国外退去のターゲットが南の有色人種に向けられている事は歴然だ。

「パリから南下中」

ブルキナファソプロジェクトは無事終了。
演奏が終わり、列車に間に合わせるため、ろくに食事もせず駅に向かい、
にも関わらずここはフランス、大幅な列車の遅れはもうすぐ零時に。
そうなれば、コートジボワール出身のバシールはンゴニを取り出し歌いはじめる。
私もナイを取り出して踊り、ドラムのヤンはジャンベを。
そこに、黒人の青年が私たちに話しかける。
コンサートに来ていたお客さん等も一緒になって、
二次会ごとくプラットホームでコンサートが始まってしまった。

翌日は、今秋の講演会に向けて、対談者と打ち合わせにてここは北駅。
ともすれば、MPAのデモ!
駅の外から何やらざわめきが。
黒人を中心とした労働者がジャンベに汗を滴らせ練り歩いている。
広い構内に入れば音の反響は想像を超え、
なぜ録音機を持ち合わせていなかったと後悔。

こういう光景に脆い私は涙、なみだ。

濡衣の黒い肌は玉汗で光り、
音楽を奏でる時のひょうきんな表情はなく、
切羽詰まる彼らの訴えは、誰に届くのだろう。
拡声器を使って街を歩くデモとはえらい違いだ。
平井玄氏の「暴力と音」をまた読みたくなった。

朝9時からモンパルナスーオペラー東駅ー北駅と、
パリを軽く一周して、日本人観光客を横切りリヨン駅からアヴィニヨンに向かうTGVに飛び乗る。
セーフ!
こんな賭けみたいな生活がいつまで続くのだろうか。

南下する車窓からは、茜色の陽が沈み始めた。

南仏から初夏の風を

アビニョンに到着には、カエルの鳴き声の出迎え。
駅から30分ほど車を走らせ、何も口にせずバタンQ…

翌日の演奏を終え、滞在した家の壁一面のCDを聴き荒らせば…
うっぷっ…

音楽批評家とやらいう仕事を生業にしている人は、大変ですね。
毎日送られてくる、または自分で見つけてくる(!?)
CD等を聴いているんですもんねえ。

コレクションの中からは、縦文字のタイトルもいくつか。
日本からも色々なミュージシャンがここにCDを送っているのですね。
Lucさんは、impro jazzという雑誌に携わり、
それと関連したラジオで隔週で担当している。

もう何年も前にVienne Jazz Festivalへ行き、
その時はパットメセニーとONJの共演だったはずが、
ONJのストライキ、よってメセニーのソロが決行。
なんと贅沢な。そしてなんともフランスらしい出来事だったと思う。

あの時の南仏の空気は変わる事なく、勿論たった6年ほどではね…
ここの空気はローマ帝国時代から変わっていないような気がしてくる。
一面に広がるオリーブ畑は、モロッコのそれとは違うおもむきだし、
白い岸壁に佇む古代の遺跡の空気感は、どこかの泥棒博物館では味わえない。

おんぼろシトロエンに乗って、訪れたBioのワイン倉には
珠玉のGourgonnierが並ぶ。

一口と また一口と 初夏の味

「ウクライナの良寛さん」

今はイスラエルに住む、昔のご近所さんは、
先日久々にパリに戻り、彼女と共に演奏を聴きに来てくれた。

二枚のウクライナの伝統楽器の鳴るCDと、
なんとウクライナ語で訳された良寛和尚の句集をお土産にくれた。

この心遣い、どうしてくれよう。

わが宿を いづこと問はゞ 答ふべし
天の川原の はしの東と

To ввецері То раптанні Матусі образ В Лам яті сплива,
Як силует Садо
В густім туммні

たらちねの 母がかたみと 朝夕に 
佐渡の島べを うちみつるかも

「アザーン」

土地に鳴り響く音、(土地を鳴り響かせる音)に、心打たれ、それを誰かに伝えようも
「何」を伝えるのか?「どうやって」伝えるのか?
そして「どうして」伝えるのか。

音を体感する時、個人的吸収と反応が作用する事も多々、しかし、音を発する方の機能によっては、こちら聞く方の共有的体験のバイブレーションが作用することも多々。

「何」=ある事実を、
「どうやって」=言葉、または副弐的な音で、
「どうして」=それが現状であり、ある営みを継続する現状でもあるから。(それに対する始原的役割と欲求)

誰かさんの真似をして、行く先々の土地の音を録音した中に、目的の「音」そのものより、
風の音という素敵なおまけが付いていたりする。
今聴いているのは、トルコのミナレットから流れるアザーンに付随する風の、音。

青嵐と 疾風に乗りし アザーンかな

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