旅する音楽

2010年1月冬。
トルコ・イスタンブールは膝まで積もる雪でした。
まだ秋になったばかりなのに冬の話をするのはおかしいのですが、
その時この地の地理的意味をはっきりと認識したのを覚えています。
それは、温暖な、陽気なイメージを抱いていたトルコという地が、
黒海すぐ北はシベリアからの寒波が覆う土地であるということ。
その雪の中、縁あって一緒に奏でるようになったミュージシャンと録音した
ものが、「旅する音楽 Musique Vagabonde」というアルバムです。
演奏家が演奏することを目的に旅をする。
音楽は国という単位ではくくれない空間をたゆたうようです。
まるで音楽自体が旅をしているように。
だから、音楽のある世界とはヒエラルキーをいう境を融かしていくような、
ジャンルもいらないただただ”鳴る”世界であるようです。

あれから6年。タイトルをどうするか色々と悩みましたが、
結局ここに立ち返りました。
「旅する音楽」

10月7日、せりか書房から発売されます。
http://ameblo.jp/sericashobo/html

A案 旅する音楽

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落穂拾い-アニエス・ヴァルタ-

稲穂輝く収穫の横で待ち構えるのは烏たち。
色のコントラストが面白い。
この背景はパリの街でもよく見かける。
拾う=収穫。
わたしもマルシェの後に幾度とお世話になったことか。
拾う人々と仲良く小型ナイフを手に、トマトやらりんごやらを拾った。
その日の糧を得るために、街に落ちている野菜を拾うという行為は、
労働でもある。この話はまた別の機会に。

Boxセットになったアニエス・ヴァルタのそれはまあ仕掛けの多い
玉手箱!という趣向。
女の子にとってこのBoxは、大事な小物を入れた、宝石箱を彷彿させる。

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穂を与け巣立つ我が子に秋烏

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アニエス・ヴァルタおばあちゃま、と呼びたいね

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収穫、地に佇む種 -心地よい絶望-

紫蘇の穂は土の上に落ちそしてまた来年芽をだす。
曼珠沙華が秋の彼岸この時期に、必ず、必ず咲く姿に
わたしたちは何を見るでしょう。
様々な地には、種が佇み、いつか陽を浴びすっくと伸びゆく枝葉の季節を待つ。
しかしその地を失った人々がいる。

色々な場所や色々な人や自然から種をいただき、
Ky10周年を迎え、その種は今、音楽という地の中で芽吹きを始めたようです。
しかし、”今”という時を生きるわたしたちの前には、常に「絶望」という
娑婆の現実が立ちはだかっているわけで。
そこで、約100年前に書かれたサティの「心地よい絶望」という
短い対位法による曲を新譜のタイトルに使いました。

今ままで録音からマスター、プレスリリースに至まで、
そしてジャケットを友人アーティストに支えられ、孤独にCDを作ってきましたが、
今回はじめてチームでつくりあげるという醍醐味を覚えました。
SyntaxJapanやOTTAVA、A&Rにデザイン、そして録音するわたしたちの周縁にある
地の自然たち、お力添えしてくださった方々に感謝いたします。
発売は台風一過彼岸花の咲く秋分の日となり候

CD詳細→ https://synthax.jp/RPR/ky/desespoir.html
Ky10周年ツアー→ http://official.kyweb.fr/official.kyweb.fr/welcome.html

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実るほど頭を垂れる稲穂かな
まさにこの稲のめぐみを前にする農家さんたちの想いを代弁したことわざ。

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ほかいびと

井上井月という俳人を知って約一年強。
祝い、言祝ぐひと=ほかいびと。
江戸末期から明治の始め、日本という国家創世の狭間に生きた
この俳人の生きた土地が、長野は伊那。
ヴィジュアルフォークロアの北村監督の撮る「ほかいびと」は、
それはもうこの土地の人々の想いが映像に溢れている。
だから一度この地を訪れるべきしてこの地に着けば、
泣けよ泣けよの雨雨雨。
頭垂れる稲穂と蕎麦の花々の中に、井月さんの句が待っていた。

除け合うて二人ぬれけり露の道(井月)
台風裡伊那の谷間に雲霧かな (麻紀)

出来揃ふ田畑の色や秋の月 (井月)
ひとり立つ枯向日葵に陰のなく (麻紀)

案内人に、感謝。

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長野はだから、蕎麦畑

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絶句となったこれこそ名句。  »落栗の座を定めるや窪溜まり »

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ベイルートでバンクシーに遭遇

倒れている民に対しそれでも暴力をふるう権力。
ここでは警察をその権力の象徴としたバンクシー。

そして隣にはシュトックハウゼンが1969年にベイルートから18km離れた
Jeita洞窟で行なったコンサートで語った言葉たち。

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中指を立てずにはいられなかった…

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長野の山々と地脈ーブルターニュのメンフィルと気脈

新宿のビル群、これらビルの高さを支えるものは何でしょうか。
原始時代に建てられたこれまた摩訶不思議な巨石、メンフィルは、その高さと
同じくらい地の中に長さをもって、地表にでる石を支えているそうです。

長野の山々は地脈を張りめぐらし、わたしたちの生活を目に見えぬところで根源的に
支えているようにもみえます。

インドの作家アルンダティ・ロイ女史が「民主主義のあとに残るもの」
で語りかけることとは、この表出されるものごと。
それは、「表れる」ためには、「表象」されぬものごとへのまなざし。

「資本主義の現実の「墓堀人」は、まるでイデオロギーを宗教とした枢機卿のように
妄想に憑かれたままその役目を終えるかもしれない。いくら戦略に長けていたとしても、彼らには単純な事実が把握できないようだ
ー資本主義が地球を破壊している、ということを。
戦争と消費というふたつの古いトリックで過去の危機を切り抜けてきた資本主義だが、もうその手は効かない。
 私は長いあいだアンティラの外に立って、陽が沈むの見つめていた。
その塔のような建物が、高さを同じだけの深さを持っていることを想像してみた。
そうするとそれは二七階建ての根茎を持っていることになり、地面の奥深く根を張り
めぐらして地球から栄養を吸い付くし、それを煙と金に変えてしまうことだろう。」

ところでブルターニュの現在は、ジョゼ・ボヴェがあるファーストフード店の解体を
うたったその時代を経て今、黄色と赤の看板と動物が同じ地に住む、
という時代になったのかも知れません。
そこには地とものの繋がりも、気というつながりも、全くありません。

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賢者ナータン-Nathan le Sage-

1779年、レッシングによるこの戯曲は今、Nicolas Stemannの演出と、
エルフリーデ・イェリネクの脚本により、最高の演劇になろうとしている。
三つの指輪で有名なこの物語は今、この時代において示される真相、

-資本主義、それはまるで第四の一神教のようだ-

苦笑いするしかない。
そういう矢先にもわたしたちの生きる世界は
無意識下においてこの現実に包囲されているのだから。

諧謔に富んだ演出、映写を取り込む(i-phoneでの撮影!)演劇のリハーサルは順調。
役者ではない演奏者はその場にいることが重要で、
「はい、音楽!」
といわれれば音を差し出す状態でなければならない。
それでも多くの時間は役者への演出がほとんどなので….
そこで機転が働く音の錬金術師たちは手持ち無沙汰の時間を
「楽器をつくろう!」
という”つくる”喜びに変換する。
そしてできた楽器は、劇中登場するカラシニコフを改造した
「カラシニコフォン…」
これ、特許登録したほうがいいですね!

スイス、レマン湖畔目の前にある劇場では、毎日リハーサルが繰り広げられ、
そしてたった30分の休憩でも目の前の水を求めて潜り泳ぐ、出演者の姿。

白鳥の赤ちゃんも、鴨も、小魚も元気に太陽の光を浴びている。
あ、もちろん我らがメダカの学校もね!

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観客に向って突き出されるカラシニコフ、という演出

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昼間は子等しかいないレマン湖畔

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これが問題のカラシニコフォン。これが良い音出すんですよ。

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明け方の湖は泳いではいけないそうな。

宵闇は突然やってくる晩夏

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ガレット100枚挑戦!

蕎麦好き高じて究極のガレットを探求中。
というと大袈裟ですが、フランスで最も美しい村に選ばれたRoche-en-terre
という村でクレープ屋さんを営んでいたアンヌさんに教えを乞う。
水と塩とそば粉と卵。12時間寝かせることができればこの材料だけで
なんとも香ばしい蕎麦粉のクレープができる。
時間がないときはビールをちょこっと加えるコツを覚えると良い。
このレシピは今秋発売の本にて掲載。

bonne fin d’été, 良い残暑を!

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生徒は緊張中、気持ちも熱いが鉄板の熱さといったら

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師匠は職歴35年!形は美しい円、余裕に50枚目を突破中。

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宵詩 poème du soir

明後日は満月、どうやら雨の予報。
いつもいただく京都は松栄堂のお香。
小さな箱を手に取れば「宵詩」の名前。

箱の横には
「静かな雨音、宵に香る」
と書かれている。

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夏時間ひとり宵待ち香焚きぬ

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Art et Cultures Symbioise

夏休みはひとりでもくもくと本を読むことになりそうです。
日本でいただいた本の贈物。
書く宿題も山積みだというのに…

さて、Art et Cultures Symbioise 芸術と文化の共生
というアソシエーションを立ち上げました。
色々な人が、国境を融かしていくような。
聴くこと、食べること、考えること…
まずはローカルからじわじわと。
さて、今宵上弦、そろそろペルセウス座流星群のあらわれる頃でしょうか。

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ウードよ今夜も有難う

少し前の出来事ですが、東京は國學院大学というところで
演奏会がありました。
ウード奏者の眼差しの中で演奏できるよろこび。
背景のちがうウード奏者がアラブ音楽の深淵をたぐる音。
こういった演奏の機会をくださった、國學院大学の教授陣に、感謝。

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七夕や逢瀬は音をたずさへて

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Sailaway 立秋

夏夏真っ盛り、のはずがここはもう秋の気配。
時差ボケ夜明け、毎日陽が昇るのを待っているけれど、
5時30分を越えてようやくうっすらと白んでくる。

誰思ふあの日の空に原爆忌

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帆の向こう側へ、海の向こう側へ

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地平に建つ卒塔婆

標高1m未満の地に建つ、品川から浅草の間の南の窓、
むこうには富士山がみえます。
標高50m、西へ西へ高さを増す土地からは、
見渡す限りの一軒家。

人々が、高い所で暮らしはじめてかれこれどのくらいになるのだろうか。
高いという感覚は、いつか消え去ってしまうのだろうか。
高いということ、重力のこと、落ちるという感覚が消えたとき、
子等は命をおとしていくのだろうか。

27階のまたたくビルの光に、18階の薄暮。
12階の横浜港の明け方に、14階の住宅街。
13階東の空、夏雨あとの、虹の半分はどこにあるのだろう。

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天王洲からみる東京湾

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大島9階の家庭菜園

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中世に建てられた、海辺の村の礼拝堂から

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生きとし生けるもの

クレマチスの丘というちょっとした異空間でみる、
動物たちの息づかいが聞こえてきそうな展覧会がはじまりました。
富士の麓、土の上、なだらかな丘。
木漏れ日がさす昼の森もいいけれど、
ものみなが、ひそひそざわざわするであろう
夏の夜の森もいいかもしれません。
この森の動物たちは、展覧会会場のまわりで、
どんなおもいをめぐらせ佇んでいるでしょうか。

パリの自然狩猟博物館で行なわれたArt orienté objet
による展覧会は2014年だったか。
常設展である剥製との組み合わせ、アイロニー。
Marion Laval-JeantetとBenoît Manginによる世界は、
360度の角度で観る者に問いかけます。
自然と動物のあいだにいる人間というあなたとは誰ですか?と。

それぞれの会場で出会った動物たちに想いを馳せ、
しかし今日、常磐色と苗色の伊勢の山から降りてきた子鹿が、
赤信号を待つ車の左横に、すっと立っていました。
置ものかと思うほど凛とした佇まいのこの鹿に、見つめられてしまった。
これが、現在の日本の里山の姿のようです。

手つなげぬ二人の小径蝉時雨

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橋本雅也さんの、鹿の骨でできた日本水仙
なんという世界でしょうか

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Art orienté objetによる作品、空気を抜くとバグパイプの要領で音がでる。
動物との関係ぬきには楽器は奏でられない。
演奏家は直接的に、動物と接しているという可視化。

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内山節さんの、出展作家の、想いがあふれている
書物と呼べるカタログ。

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移動中毒症

都留の山間に育つひまわりやとうもろこし。
耕作放置地帯の割合が広がる日本で、軒の側にある家庭菜園の姿が微笑ましい。
八ヶ岳を西に夏の山は鬱蒼とした緑。
植林した杉、そして関西の山々にみられる竹の威力に蹴落とされる
樹々にくらべると、中央高地のそれは、のびのびとした表情。
山の中にいるもよし、山を視界におくもよし、
彼らの存在感があってはじめて生命を実感する、といったら大袈裟だろうか。

白根山周辺にある火山による赤土の下にはゴロゴロとした岩、岩、岩。
俳句友が営む「月の小径」の温泉にからだを沈めれば、この岩たちが、
この地の時間と土地のことをmurmur(ひそひそ話)で語る。

知るもよし、知らぬもよし。
小さな世界に今日食べるものがあって、うまい酒があれば、それでいい。
移動するから生きていられるのか、生きるから移動するのか。
いずれにせよ実践をしない人生などお呼びでない。

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かいじからあずさへ

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富士急行のみんなは疲れているね

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須坂は普願寺でのコンサートを計画中

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水と山に誘われて

丹後の山々は、その中を通る度に涙がでるほどの浅くも深く、
車窓からみる樹々に魅せられる。
いつもお世話になる天橋立・玄妙庵から望む宮津の海。
ぽつりぽつりと小さな漁船が浮かぶ景。
山々が海に運ぶ贈物の循環の中にわたしたち人間がいるとすれば、
この日本ではこういった共存する姿こそが真実であり原理のはず。
この地に、儲かる、儲からないという尺度は無用のはず。

水を求めて琵琶湖に着けば、朝焼4時が照らす水面。
井上靖「星と祭」にみる信仰の姿に出会うには、
まだまだ時間を要するからにして再び山へ入る。大原の清流、八瀬童子。
比叡山の静寂がひとりの時間をゆたかにする。
山頂からみる湖北の方向伊吹山を越えれば、その内にあるのは養老の滝。
そこから濃尾平野を一望すると、山々からの水が、人の生きる時間を支えている。
これらのgeographyは、小学校で学んだはずだった。
鳥瞰図という方法は、ものごとの全体を見るに有用であるようだ。

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生きる道天橋立大暑きぬ

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琵琶湖4時30

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この緑の中にひとり楽器を吹く至福

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-蓮始開-

七十二候、そろそろあちらこちらで蓮のお目見え、でしょうか。
本物を今年まだ見る前にこちらで拝見。
地下鉄の網棚に楽器を忘れてこれで3回目、
と学習せぬ我ながら呆れる。
和歌山は南海電鉄でなんばー和歌山市駅間を
4往復したウードもすごいけれど…

つかの間の蓮ある大気浄土かな

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忘れ物は日比谷駅。睡蓮が出迎えてくれる。

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この時期は様々な花も旨い。
バナナの花はスリランカ料理。
ズッキーニはイタリア風天ぷらで。

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寝ぼけてアテネ、眼がさめれば鈴鹿山脈

 「日本庭園を知る」講演会は、パリ、ロンドン、ウィーン、
ブタペストそしてマドリードと回り、無事満員御礼となり候。

「人間はなぜ庭をつくるのでしょう?」
という冒頭から始まる講演会の主役は京都の庭職人、石川佳さん。
このシンプルな質問から目の前に広がる庭への眼差しは、「ここに居る」
という事実につきる。
あなたがここに居る、だから、この空間は庭になったのだ。
なんだか禅問答のようですね。
さて、この講演会ウィーンの後パリに戻るはずが、なぜか機体はアテネに向かい、
蒼い蒼い海を見ることに。
寝ぼけて航空券を買うとこうなるようです。
そして、夢心地の日々を過ごし辿り着いた日本は伊勢志摩~鈴鹿山脈。
山の中にはヒグラシの音。で眼を覚ましたというふしぎな夕暮れ。
男梅雨空けぬ小暑、父が捕まえる今年の蝉一号となり候。

蝉時雨庭にようこそ安堵かな

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アテネまで15分

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ギルシャワインのラベル!本当にあるなら吹いてみたいな。

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伊勢志摩サミット!?ねぼけた祭りは放っといて、
太古からある志摩の海と地。

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日本の塩・フランスの塩

あかちゃんもばあちゃんも、汗をかいて、水を飲んで、
食べものから塩分をとって、汗はしょっぱい。
この連鎖はずっとずっと進歩しない原理ですね。
伊勢志摩は二見にある、御塩殿神社(みしおどのじんじゃ)。
この御料地にある御塩御倉の »かたち »は、地球儀を回して
大西洋岸ゲランドという塩田地帯でもみることができます。
夏は夏で仕事にはげみ夕刻塩田脇でビールをのむ職人さんたち。
冬は冬で潮風を背中に自然の中にある年中仕事。
こういう働く姿を愛らしくおもうのは、
そこに根源的人間の姿をみるからでしょうか。

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御塩御倉

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ゲランドの塩田

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塩田に風通る道半夏生

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Ecole Théodore Monod

歩いて、歩いて、サハラを歩いて何万里。
井戸なき砂漠を歩いて900km。
ラクダと、杖と、喉を潤すにカマンベールとレモネードの夢をたずさえて。

ある日フランスの小さな村の小学校にやってきたThéodore Monod。
モーリタニアの砂漠ですれ違ったというこの村の住人である映像作家が、
村の小学校でテオドールじいちゃんの話を、子供たちと聴こう、
と提案。校長先生も大賛成。
あるふとした時に、このじいちゃんの姿や、おぼろげな内容だけれど、
物事の本質のような”何か”を、質感を、子どもたちは思いだすかもしれない。

学問は教育機関を携えて?
日々喰うための仕事?
研究者としての”自分”より、歩く自分を選びサハラ砂漠を行き、
その感覚をもってこの学校へも訪れたのだろうか。

博物学者であり生物学者、IFAN研究所所長や博物館教授である
彼の調査は学問の範囲で書物となり、専門的な範囲で審判にさらされる。
しかし彼の砂漠での調査とは、その調査の先にある、
生きとし生きる人々の、こころに届ける »お話 »なのだ。
だから、この老爺を、じいちゃんと呼びたくなるのだ。
きっと、モーリタニアの人々もひとつの愛情の形として、
彼をそう呼んでいただろう。

220px-Théodore_Monod_-_Aéroport_d'Atar_(Mauritanie)_-_20_décembre_1998

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この村を訪れた日本人作家はドリアン助川さんという。

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